不登校はいま、我が家の日常の中にある
以前お知らせした通り、これまで書いてきた不登校に関する記事を、オンライン学習支援サイト「CoCon」さんでコラムとして掲載してもらっている。
そのことをシェアしてくださった方が何名かいて、それもあってか初回の記事は公開数日でのペースとしては驚かれるくらい、たくさんの方に読んでいただいたようだった。
その節は本当にありがとうございました♡
現在、週1目安で過去のものから順に掲載していただいている。
それにあたって過去記事を読み返すと、今の自分とは別人レベルに違う当時の価値観や考え方を目の当たりにする。
恥ずかしい部分もあるけどそれが当時のリアルであり、そんな当時のわたしに共感できる方もまた、いらっしゃるかもしれない。
そんなわけで、そのときの感情や価値観などはいじることはせず、あくまでも文章上読みやすくなるように多少修正や加筆をしたリライト版をCoConさんで掲載してもらっている。
今 CoConさんで公開されている記事を書いたのは1年前だけど、内容としては2年前のこと。
同じようなことでずっと悩んでいるように思うこともあるけれど、2年間でわたしもちゃんと変わってこれたんだなぁって、過去の記事を読むと実感することができる。
なんだか過去の自分から手紙が届いたような気持ちになるんだな。
あれから2年が経ち、不登校は我が家の日常になっている。
普通に学校に通い、帰宅したら習い事に行き、怒られながら宿題をしたり。
忘れ物や無くし物の多さにブチ切れたり、筆箱の汚さに驚愕したり。
かつてあった日常は、今はない。
そんな日常をごく当たり前に過ごしている大多数の家庭にしてみたら、わたしの言っていることはよくわからないかもしれない。
でも、不登校はやっぱり我が家の日常の中にある。
もう特別なことではない、と言いたいのだ。
不登校だからこそ大変な面も確かにある。
日々の昼食の用意や、学校に行けていれば発生しないはずの出費に付き添いや送迎など、言い出せばキリがない。
だけど。
「不登校だから子育てが大変」というよりは、
不登校でも不登校じゃなくても、
「その子に合わせた対応を試行錯誤で探していくことの大変さ」が本質なのであって、不登校はその延長上にある。
そんな表現が今のわたしにはしっくりくる。
この時期が来ると2年前を思い出す。
なんとか運動会が終わり、大きなひと山を越えられた。これでもう大丈夫かもと思った浅はかな自分を。
実際は真逆だった。
運動会をなんとか終えた息子はそこで力尽きた。
周りの子たちと比べて、根性がなさすぎると思っていた。打たれ弱すぎると思っていた。
すぐに泣くし、気持ちを言葉にするのが苦手で無言で固まるし、そんな息子にどうしてもイライラしてしまうことが多かった。
でも、息子はわたしだった。
今だからわかるけど、息子とわたしはそっくりだった。
わたしだって根性なんかない。
顧問の先生が怖くて部活を辞めたことだってあるし、親にお金を出してもらって進学し保育士の資格を取ったのに、現実の厳しさに打ちのめされてその道を諦めた。
打たれ弱くてすぐに落ち込むし、涙もろい。
自分の気持ちを言葉にできないときは、黙って固まっているように見えても頭の中ですごくすごくたくさんのことを考えている。
この段落を書いただけでもう泣いている。
なんでわかってあげられなかったんだろうな。
こんなにも同じだったのに。
子どもが不登校になると、自分の育て方のせいだとか、学校でこんなことがあったからだとか、どこかに原因を見つけたくなる。
子どもがどうかしてしまったんじゃないかと、正したくなる。
でも、2年経ったいまだからわかる。
不登校になるくらい、エネルギーがなくなってしまっただけ。
子どもは自分で自分を守ってるだけなんだと。
結局こんなありふれた言葉になってしまうけど、本当にそうなんだと今だからわかるんだ。
