3月11日、福島出身である私が原点に帰る日
3月11日。
私は毎年、自分の原点に立ち返ります。
福島で生まれ育った私にとって、
この日はただ過去を振り返る日ではありません。
あの日をきっかけに、
私は何度も問い続けてきました。
福島を出て東京で暮らしていた時も、
ベトナムで事業をしていた時も、
そして、スペインで暮らしている今も。
自分はどう生きたいのか。
何を選び続けていきたいのか。
先日、ペクさんのPodcast「365日の彩りラジオ」に出演し、
このことについてお話しする機会をいただきました。
今日は、そのときにお話しした内容を、
少し言葉を補いながらここに残しておきたいと思います。
🎧 「365日の彩りラジオ」はこちら
私の教育の原点は、福島の母校
私は現在、スペインを拠点に、子ども向けのオンラインスクールを運営しています。
プログラミングやAIを使いながら、子どもたちが自分のアイデアを形にする学びを届けています。
でも、私が子どもたちに届けたいものは、単なる技術ではありません。
子どもたちが
・自分の頭で考える
・行動する
・カタチにする
そして
世界や社会とつながっていく力
を育てることを大切にしています。
この考え方の原点は、間違いなく、私が福島で受けた教育にあります。
子ども扱いしない先生たち
私が通っていたのは、小さな公立の小中学校でした。
でもそこには、とても熱意のある先生たちがいました。
例えばある時、私たちが
「24時間遊び続けるキャンプをやりたい」
と言ったときのことです。
普通なら、即却下されそうなアイディアです。
でも先生たちは、それを止めるのではなく、
「どうしたら実現できるか」
を一緒に考えてくれました。
校庭にテントを張り、校舎で肝試しをして、
本当に24時間遊び続けるキャンプを実現しました。
もちろん、自由には責任も伴います。
近所の方へ
「ご迷惑をおかけしたらすみません」
という挨拶も、自分たちで行いました。
忘れられない出来事があります。
私は夜中に担当の仕事があったのですが、テントの中で寝落ちしてしまいました。
そして振り返りのとき、ある先生に厳しく詰められました。
「自分で決めた仕事なのに、やらないなんて無責任だ」
子どもだから仕方ない、とは言われませんでした。
でも私は、そのことに今でも感謝しています。
先生たちは、私たちを子ども扱いするのではなく、
対等な一人の人間として接してくれていました。
本気でやりたいと言うなら、本気で応援する。
その代わり、責任も伴う。
そんな教育を受けてきたからこそ、今の私も、子どもたちに対して中途半端な気持ちで接したくないと思っています。
震災をきっかけに気づいたこと
震災が起きる前から、私はぼんやりと
「いつか世界中の子どもたちのために、何かできる大人になりたい」
と思っていました。
それもまた、福島の教育が育ててくれた思いでした。
学校には青年海外協力隊の方が来てくれたり、海外の方の話を聞く機会があったり、世界を見るきっかけがたくさんありました。
でも当時の私は、こう思っていました。
「人のためになるには、まずお金が必要だ」
だからまずは、給与の高い営業の仕事を選びました。
でも震災をきっかけに、気づいたことがあります。
時間は無限ではない
ということです。
自分の人生は、いつまでも続くわけではない。
限られた人生の中で、私は何をしたいのか。
そう考えたとき、私の胸に強く浮かんだのは
「世界の子どもたちのために、何かできる大人になりたい」
という想いでした。
自分の軸を見つけた場所
その後、私は社会起業家や政治家を多く輩出している
「一新塾」という私塾に入りました。
そこを選んだ理由は、募集要項の中にあった言葉でした。
「自分の根っこを知りたい人」
「自分の軸を見つけたい人」
その言葉に、とても惹かれたのです。
実際に入ってみると、大企業の方や政治家の方など、さまざまなバックグラウンドを持つ方が集まっていました。
当時の私は20代前半。
でもそこでは、誰も私を「若いから」と下に見ることなく、一人の人間として対等に話をしてくれました。
そのとき、ふと思ったのです。
あれ、これ中学生のときと同じだ。
自分の考えを話し、互いを尊重しながら議論する。
それは、私が福島で受けてきた教育と同じ空気でした。
そのとき、はっきりと気づきました。
自分が受けてきた教育は、本当に特別だったんだ。
そして私は決めました。
この教育を軸にして、事業をつくりたい。
「できない」は、本当にできないのか
あの頃から今まで、ずっと自分の中に残っている感覚があります。
それは、
「できない」と思っていることは
本当にできないのではなく
まだ頭を働かせていないだけ
ということです。
自分が見ようとしていないだけ。
知ろうとしていないだけ。
選択肢に入れていないだけ。
そういうことは、思っている以上にたくさんあります。
ベトナムで起業したときも
その後、私はベトナムで教育事業を始めました。
日本で起業したこともないのに、海外で事業を始めたことに驚かれることもよくありました。
でも私にとっては、
やりたいことがあって、その方法を探しただけ
でした。
そして、小さな一歩を積み重ねていった結果、形になっていきました。
その後、パンデミックで教室を閉めることになったときも、やめるという選択肢は浮かびませんでした。
対面が無理なら、オンラインにする。
続ける方法を考える。
ただ、それだけでした。
福島を震災だけの場所にしたくない
海外に出てから、何度も経験していることがあります。
「福島出身です」と言うと、
すぐに原発事故の話になることです。
そして
「大丈夫なの?」
と心配されることも、今でも少なくありません。
そのたびに私は、
15年経った今でもそのイメージを払拭できていないこと、
そして福島の現在や、本来の魅力を伝えきれていないことに、
強い歯がゆさを感じます。
もちろん、その出来事は消えません。
でも福島は、それだけの場所ではありません。
素晴らしい教育があり、
本気で子どもと向き合う大人がいて、
人を育てる文化があります。
私はそのことを、自分の体験として知っています。
だからこそ、震災の印象を上回るような福島の魅力を、
海外の人たちにも伝えていきたい。
自分のスクール事業を通して、
それを少しずつでも実現していきたいと思っています。
歴史は変えられないけれど
中学生の頃に学んだ、
忘れられない言葉があります。
「歴史は変えられないけど、歴史は利用できる」
過去は変えられません。
でも、その経験を通して生まれた思いや問いを
未来への力に変えることはできます。
福島で起きた出来事を、
ただ悲しい記憶で終わらせるのではなく、
これから同じような状況に置かれるかもしれない
誰かにとっての希望やエネルギーに変えていく。
そんなことができたらいいなと、
私は思っています。
