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「極低出生体重児」で産まれた息子 〜6歳までの記録〜

新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年12月にスタートをしましたnoteですが、
本当は年末に1本は投稿する予定でございましたが、

想像以上に年末が忙しく慌ただしく。
年明けも体調不良になったりと、
気づけばすっかり仕事はじめから
1週間経とうとしております。

以前、Instagramのアンケートでnoteに何を書いてほしいかと
皆様に伺ったところ、
以前ブログで書いていた出産時の話などが
比較的上位でした。
(一番多かったのは終わったばかりのお受験ネタでしたが)

個人的にも、あの時の記憶は記録として
残しておきたいなぁなんて思っていたので
いい機会ですし、また書き起こしてみることにしました。

しかしながら、
出産から6年半も経過し、
当時の熱量と同じまではいかないとは思いますが、
頑張って、当時書き留めていたものも見返したりして
掘り起こしてみました。

また、6年経ったおかげで息子の成長過程や
産後になった、病気(息子も私も含む)なども
簡単ではありますが、追記することもできました。

そしたら、とんでもないボリュームになっちゃいましたが、
(2万2千字超えてるよ……笑)
よければお時間ある時に
ゆっくり読んでみてください。


出産から0歳児

「絶対安静で、このまま入院してください」 と言われた日

5月1日から令和に元号が変わると、世間も浮き足立つ最中。
本来は5月中旬から産休予定だった私は、
有給をくっつけてゴールデンウィークと共に、
一足先に産休に入りました。

年号が変わる影響で、
未だかつてないほどの長さとなっていた大型連休。
4月26日金曜日、仕事の引き継ぎを終え、
晴れ晴れと産休に突入し、

「あと2ヶ月ほど、出産準備をゆっくりやるぞー!」

なんて、27日の土曜日の朝はのんびり考えていました。

入籍、結婚、新婚旅行、引っ越し、妊娠。
そして激重(おも)悪阻に悩まされつつ……。

トントン拍子で、でも忙しなく過ぎていった日々。
なかなか遊べていなかった友達とも、

「子供産む前に会おうね〜」

なんて話をしていて、
出産予定は6月下旬〜7月頭だったので、
5月いっぱいは会いたかった人や
やっておきたいことを
動けるうちにやっておかなくちゃ!と

5月後半まではなんやかんや予定も埋まっていて、
「平日にお出かけできるなんて嬉しいなぁ」
と、呑気に産休を楽しみにしていました。


▲4月26日当時の写真

そんな4月29日月曜日。
GWの隙間の平日で、産休後最初の検診日。

今考えると、この日に検診を入れてた自分すごいなと思うのですが(笑)

いつものように病院に行き、
検診前に体重やら検尿やら手続きをし、
待合で待機していました。

診察室に入り、検診で届いた数値を見て先生の顔が険しくなります。

尿蛋白の数値が異常値を叩き出していました。

「+++」

最初は、
「え?何かのエラー?」
と思ったのですが、先生と看護師さんがややザワザワし始めます。

普通は「−」か「±」、
「+」と表示されただけでもすごく心配になるのに、
「+++」なんて、+が3つも出ること、ほとんど見たことがない。

これは異常数値です。

先生もやや険しい表情で、そう告げました。

エコーを見ると、
子供も前回からあまり大きくなっていない。

血圧を測ると、上が130台。

これは……。

と、診察室にちょっと不穏な空気が流れ始めました。
すぐに産婦人科の副院長(当時)の先生が来て問診が始まりました。

「普段、血圧高いの?
   ーーいえ、低血圧と診断されたことがあるくらい低いです。

「体調で気になるところは?」
   ーー浮腫がひどくて、靴が履けなくなりました。
     2cm大きなスニーカーを買いました。

当時の私は浮腫が6ヶ月頃から異様にひどく、
前回の検診時にも先生に話しましたが
都合がつかず、普段の担当の先生では無い方だったのもあり

「妊婦は浮腫むからねぇ。」

と、あまり取り合ってもらえませんでした。

元々骨が浮き出る少々男らしいタイプの手足なので、
多少の浮腫は女性らしい肉付きになったと思われてる!?
という懸念もあって、

今回は、産前の足と今の足を比較してもらおう!
と、写真も用意していったのでその画像を見せたりもしました。


▲妊娠する3〜4ヶ月前の足
▲産休に入る直前の足。
靴下跡もひどく指の間に隙間が無い

そんな話をしたところ、

「今、あなたは妊娠中毒症と腎臓障害も起こしています。
今日は家には帰れません。
絶対安静で、このまま入院してください。」

と言われました。

私がポカンとしている間に病室が確保され、
車椅子が運び込まれ、

「基本的には、自分で歩いたりもしないでくださいね!」

と、素敵な笑顔で看護師さん。

「すみません。
夫も仕事中でいつ終わるかわからないし、
家も近いので、入院荷物まとめてくるために
ちょっとだけ帰るのはダメですか?」

と、危機感の薄い私は交渉するも、

笑顔で、
「ダメです」

と一蹴されました。

さっきまで普通に歩いていた病院内を、
そのまま車椅子で運ばれ、病室(個室)に到着。

「部屋内にあるトイレとシャワー以外は立ち歩かないで、
極力ベッドの上で生活してくださいね!

(トイレとシャワーブースまで、ベッドから5〜6歩。笑)

あと、光が眩しいと血圧が上がりやすいので、
カーテンのレースは必ず閉めて、
テレビやスマートフォンも極力見ないでください。

赤ちゃんのためにも、ゆっくり休みましょう!」

と、ここでも素敵な笑顔。

(わぁ……なんだそれ。
めっちゃ暇じゃん。)

と、呆気にとられていました。

「大丈夫ですよ。
今は余計なことを考えずに、ゆっくり休みましょう。」

そんな言葉をかけられつつも、

え?
そんなに悪い状態なの?
どうなってるの??

と不安になりながら、同時に頭に浮かんだのは、

このまま出産になったら、
ベビー用品も、服も、ベッドも、
私の出産用品も、
何一つ用意してないんだけど……どうしよう。

という現実。

色々な考えが頭の中をグルグル巡りながら、
仕事中の夫に電話。

「なんか緊急入院になっちゃって、
家、帰れないかもー!
適当に着替え持ってきて欲しいな。」

と声では明るく連絡。
もう少し、出産予定日近かったら
入院グッズも用意してたんですけどね。
何持ってけばいいの!?と夫はパニックだったでしょう。

妊婦さんは、妊娠した瞬間から
何かあった時用に入院グッズの簡易バッグ
作っておくのがいいのかもしれません(笑)

GWや出産前に遊ぶ予定を入れていた友人にも、

「ごめん、緊急入院になっちゃった!
出産早まって会えないかも……」

と連絡し、

一体これからどうなるんだろう……。

そう思いながら、
先生からの詳しい説明を待つことになりました。

「妊娠高血圧腎症」
それが私の病名でした。


GW明けすぐに緊急搬送、そして出産へ

そんな令和へのお祝いムード全開の中、入院中の病室で不穏な考えを悶々と脳内で巡らせていた私ですが、検査やモニターチェックで看護師さんや先生方の来訪もあり、午後の面会時間には、

「出産前に遊ぼうね!」

なんて言っていた、友人が沢山遊びに来てくれて、なんやかんや飽きることもなく、そこまでネガティブに考えずに過ごしていました。

しかし、5日の夜間。
とてもしんどい腹痛に見舞われます。

ぎゅうぅっと締め付けられるような痛み。

息子の胎動をお腹に感じるたびに、
「大丈夫、大丈夫だよ」
と、自分とお腹にいる息子を励まし続けました。

ナースコールをすると、看護師さんが夜な夜な手を握っていてくれました。
(皆さん、本当に素敵な人たちだった……。ありがとう……。)

お腹に検査のベルトなどを巻きつけたまま、夜を明かしました。

深夜にはエコー検診や内視鏡検査などが行われ、
胎盤に送られる血管の一つが逆流している可能性があると言われました。

さらに、頭だけが週数なりに育っていて、他が小さい。
栄養がすでに十分ではなく、頭部を優先させて発育している状況だとも。

そしてゴールデンウィーク明けの6日。

午前中はそこまで不調ではなく、
ずっと悩まされていた浮腫も、食事療法が効いたのかやや改善。
(減塩というより、無塩?レベルの食事)

▲この附属されている減塩醤油
以外は、無塩でした。
3日ほどで食材の旨みを感じられるようになりました。
▲5月5日にちまき出してくれたのは嬉しかったです(涙)

この日も緊急入院したと聞きつけた友人が、遊びに来てくれていました。

そんな昼下がり、部屋に副院長先生が来訪。
深刻な顔をして、友人には帰って欲しいと促され、

ただならぬ雰囲気の中、

「GWの休みが明けて、他の病院とも連携が取れたので、○○病院に転院が決まりました。
未熟児に強い病院だから安心してね。
到着後、もしかしたら今日出産となるかもしれません。
しばらくシャワーも浴びられないかもしれないので、今のうちに浴びておいてね。
1時間後くらいに、迎えにきます。」

と伝えられます。

え、い……今からですか!?
出産も今日!?

と動揺する私に、

「一刻も早く搬送して、搬送先の病院で対応した方がいいと思うの。
今日かどうかはわからないけど、2〜3日以内には出産になると思う。
ご家族にも連絡してね。」

と言われました。

「ここでは産めないんですか?NICUありますよね……?」

(むしろ、何かあった時用にNICUがある病院を選んだのになぁ)

と聞くと、

「うちにもNICUはあるんですが、超未熟児にあたる1400g以下は対応しきれなくて。
NICUに強い病院の方がいいと思います。
また、お母さんに何かあった時にも、対応が素早い方がいいですよ。」

と。

(なるほど。
思ってるより、状況はやばいってことね。)

と、ようやく自覚しました。

急いでシャワーを浴び、荷物をまとめ、

「なんかこれから緊急搬送で、転院しちゃうみたい。
○○区にある○○病院だよ。」

と、夫と母に連絡。

準備が終わった頃、
「そろそろ行きましょう」
と、ベッドから車椅子で運ばれます。

開けられたドアの向こうには、ストレッチャーと救急隊員の皆様。

(え。そんなにやばいの!?)

と苦笑いしつつ、仰々しい空気の中、
寝かされ、固定され、病院内をストレッチャーで移動。

「大丈夫ですよー!頑張ってねー!」

と看護師さんたちに声をかけられ、外に出ると待っていた救急車。

「先生、私、救急車で行くんですか?」

と間の抜けた質問をすると、

「念の為ね!念の為!!」

と笑顔で返され、

(あー……本当にやばいってことね!!)

と心の中で合掌。

どうやら担当も副院長先生に代わっていたようで、
先生が転院先の病院まで付き添ってくれることに。

(家族が来られなかったのもあるのかな?)

そうして、救急車に一緒に乗り込みました。

救急車の中で先生と少し話をする中で、

「あなたみたいな若い方が、こうなるなんてね。
想像できないわよね。(若いのか?笑※当時30歳2ヶ月)
BMIも産前低かったし、普通はリスクがほとんどないの。
でも、東京でよかった。

昔、田舎の産科で働いていた時、同じようになった妊婦さんがいてね。
お母さんが心肺停止になっても、なかなか転院先が決まらなくて、
どちらも間に合わなかったことがあるの。」

と話してくれました。

「だから、大袈裟かとびっくりしたと思うけど、
早めに対応しないと後悔するからね。
まだ若いし。」

その話を聞きながら、

「妊娠するのも、妊娠中期頃までは順調だと思ってたんですけどねー。」

と私が言うと、

「あなたは妊娠には問題なかったかもしれないけど、
出産に耐えられる体じゃなかったの。
妊娠能力と出産能力は違うのよ。

出産が苦手だった。
あんまり向いてなかったってこと。
そういう体質なの。
誰も悪くない。
やってみなくちゃわからないから。」

と言われて、妙に腑に落ちました。笑

確かになぁ。
悪阻も酷かったし、浮腫も酷かったし、
体調もずっと良くなかったもんな。

今の時代の出産でよかった。
ひと昔前だったら、死んでたかもしれないなぁ。

そんなことを考えているうちに、転院先に到着。

救急車を降りた後からは一転。
まるで医療ドラマの役者になったかのようなシーンの連続でした。

ストレッチャーの周りに何人もの看護師さんや先生。

「お名前はなんですかー?」
「生年月日言えますかー?」
「血圧測ります、腕巻きますー!」
「点滴のルート確保しても大丈夫ですかー?」

本当に、ドラマで急患が運び込まれるような状況。

あれよあれよという間に、注射や点滴、色んなものを刺され、巻かれ、
迅速に処置されながら、あっという間に処置室へ。

ええ!!すごい!!
医療ドラマだ!
うわ、痛い!
え!?もう刺されたの!?早っ!!

なんて、プチ興奮していたら、

「先生!血圧150です!!」

と聞こえてきて、

救急車に乗る前は135でした!
急いで!赤ちゃんの心拍確認して!!

と飛び交う声に、
別の意味でさらに心臓バクバク。
(いや、これ、さらに血圧上がっちゃうよ〜)
と医療ドラマみたいな情景が目の前で巻き起こり
心の中で叫んでいました。

夫も、到着した時にはさぞ焦ったでしょう。

転院前の病院の先生と、新しい病院の先生と話をし、
少ししてから、

「頑張ってね!大丈夫だから!」

と先生は帰られました。
(本当にありがたかったなぁ。)

その後、夫が到着し、新しい担当の先生から説明。

「お母さんの体も、赤ちゃんも、
かなり苦しいサインを出しています。

先ほど、赤ちゃんの心拍が一瞬落ちた時がありました。
血圧もどんどん上昇しています。

赤ちゃんの頭だけ体に比べ大きくなっており
血流が悪い管もあります。
これはうまく酸素を運べていない状態になっており
赤ちゃんも苦しいサインが出ている状態です。

このままヘルプ症候群になると、
母子共に急死する可能性があります。
もう妊娠を継続するのは限界だと思います。

この場合、双方の命を優先するためにも、
早急に帝王切開で取り出し、
保育器の中で育ててあげた方がいいでしょう。

手術室と麻酔科の準備ができ次第、
緊急帝王切開に入りましょう。」

そう告げられ、
運び込まれてから約1時間で、出産が決まりました。

現在は32週5日。
週数的に、最後に作られる肺の機能がまだ完成していない可能性があること。

補助としてステロイド剤を打って促しているけれど、
産まれてみないとわからないこと。

肺が未完成の場合、自分で泣けないかもしれないこと。
(=自発呼吸ができない)

その場合は、すぐに保育器に入れてNICUへ搬送し、
人工呼吸器をつけること。

でも、このまま妊娠を継続するより、
すぐに出産した方が絶対にいい。

最悪、お互い急死してしまう可能性があること。

そんな色々な情報を沢山聞きますが、
当時は情報の整理が追いつかない状態でした。
医学部進学して医療知識入ってれば
もう少し安心できたのでしょうか?(笑)

「日本の周産期医療は世界トップクラスです。
超未熟児対応も、当病院ではしています。
産みましょう。」

そう勇気づけられましたが、
不安で不安で、泣きながら手術室へ移動しました。

新しい病院に
運び込まれてから約4時間後、手術室へ。

22時半、麻酔開始。
(これが、針刺す時めっちゃ痛い。)

効いてくると、下半身だけまったく痛覚がなくなり、
でも圧迫感はあり、意識はハッキリ。

その分、切られる時は恐ろしかった。

手術中、ずっと助産師さんが手を握ってくれて、

「大丈夫よ!
赤ちゃんも頑張ってるから、
お母さんも頑張って!!」

と声をかけ続けてくれていました。

この時ほど、神様仏様と祈ったことはないかもしれません。


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