あやのん、タイムマシンに乗る✧♡①
自分の部屋から、持ってきたスクラップブックを整理する。
退職する時に、職場に運び込んでいたスクラップブックは、全く読まずに5冊ぐらい捨てた。今回も読まずに捨ててもいいが、前のは自分が面白いと思った新聞記事の切り抜きで、今回のは、自分が書いた文章の中・高・大のスクラップブックだ。
当時のメモや、自分が体験した文章が入っているのが気になる。
読みながら捨てた。
どうでもいいことが大半だが、たまに気になる話がある。大爆笑したり、懐かしかったり、考えて、捨てたり、残した。
分厚かったスクラップブックは、半分位になる。
これもいつかは、全て捨てれるだろう。
中学校時代の学習の記録
中学校時代書かされていた学習の記録を発見。
担任は体育の先生。人のいい先生だが、あいよぶ魂ではない。
市内で一番の進学校を受ける受験期に、弱気になる。
やはり、公立と私立、二本立てで受験するのがいいのか?
その時、担任は、
「おめが、うちのクラスで受かってくれねば困る。
私立はうけなくていい!」と言って、その話はナシになった。
その学習の記録、つい最近までいた高校でも、生徒たちは、自分を管理する手帳を持ってて、やっていることは同じ?と驚く。
私は、50年前のものだけど( ゚Д゚)
「まったく学習の記録というものは細かくくぎってあってめんどうだ!」とか、「運動会を廃止せよ!あ~ゆーうつ!なんでテスト前に運動会とか遠足がなきゃいけないんだ!」(←体育嫌いw)と、あり、体育教師の担任にとって、いや~な生徒だったな、と笑った。
大人になって、先生と再会し、教師になったことを報告すると、
「えっ、あやのん、お前、先生になったのか」と驚かれた。
学級とか苦手な、担任に素直じゃない生徒だった。
記録も、書きたくないから適当で、2時間ぐらい母と映画のお話をしていたとか、本を読んでぽ~っとしたりうたたねをしたとあった。
琴、と書いている時間もアリ、そういえばお琴を習わされていたと思い出す。秋田の祖母まで演奏会を見に来ている。
しかし、進学校を受けるマジメな生徒?の私がこうなのだ。
他の、宿題やってこない生徒は、この日記を提出してた?と疑問が湧く。
今となっては謎であるw
そんな話をしていると、黒帯は、それはお前、その時代の自分と今のお前は別人だろ、と言い始める。
お前は今、タイムマシンに乗っているのだ!

そんな話が読める人も、そんなにいないよ?
俺は持っていないし、たぶんすぐ捨てるから、と黒帯。
そう言われると、貴重に思えるから不思議。
中学生の自分をちょっと掲載。
10月20日(水)
図書室に行ってteddy boyといういみをしらべた。好きなうたに出てくるから前からぎもんに思っていたのです。エドワード7世時代の服装を好んできている少年とか・・・。
10月22日(金)
OMENを観に行った。グレゴリー・ペックはローマの休日より美ぼーはやっぱ、落ちたけど昔の面影があって素敵だった。ただ3人の幸せだったころしか印象にのこらず、ペック夫妻がかわいそうだった。犬が怖い。わお~ん。
10月23日(土)
世の中、まっくらやみ、高校入って、大学入ってしゅうしょくナシ!
中学のときからユ~ウツ。(リアルだな~)
おお!と思ったのは、秋田の祖父母が遊びに来ていた。全く、忘れていたが、占い師で家相を見る祖父が、母の建てた家を見た途端、
「玄関に後家の相が出ている」と言った記憶がある。
(父が早く死に、後家になってから建てた家だしネw)
10月9日(土)
明日、秋田から、じーちゃんばーちゃんが来る。じーちゃんは占いをする人でそれで生活をたてている。クリーニング屋だったけど子供にゆずったのだ。じーちゃんの占いはよく当たり選挙の神さまと呼ばれているそうな。じーちゃんの占いが当たってボクは足にけがをした。いて~。
ああ、全く、自分の汚い字と、ジーチャンと、カタカナで書いていることにムカつく。しかもたまにじーちゃんと、ひらがなだ。
ボクとか名乗るのも、恥ずかしいから勘弁して。(←神さま、ナシナシ!自分への悪口もだめ?)
10月10日(日)
おじーちゃんおばーちゃん、とうちゃく。そのうち、おじーちゃんおばーちゃんと母ちゃんはおんせんに。ぼくとおねえはるすばん。
3人がかえってくる。イトーヨーでたいのさしみを買ってきた。なんと七千円。みんなでたべた。ぼくは足をけがしているのでアルコールはのめなかった。そういうかんじでアルバムみたりずっとはなしをしていた。勉強しにくいよ。けっきょくなにもできなくてねた。
中学生はアルコール飲めませんよ( ゚Д゚)
まさに、なんのはなしか?だ。
中学三年、受験勉強真っただ中。
しかし祖父が買ってきたと言う7000円の鯛の刺身。
そんな刺身、今でも買ったことないわ( ´艸`)
祖父は庭のあるりっぱな家に住み、いつも庭の石をあちこちに動かしたり、庭仕事をしていた姿が蘇ってきた。お正月には、いつも日本酒が沢山、床の間にあり、政治家からの贈り物らしかった。
祖父母は、羽振りのいい生活をしていた。
祖母はお料理上手で、いつもご飯が楽しみだった。我々にとって、秋田のおばあちゃんというのは、彼女だが、実は後妻で、長男である父や弟妹たちの母が、1人目の妻で病死していることは、大分、後に知った。
小学生時代から、姉と2人で秋田の祖父母の家に夏休みのお盆の時期と冬休みのお正月に遊びに行くようになる。
弘前駅から秋田の土崎駅まで。鈍行で3~4時間。子供2人だけでよく、旅してたものだ。祖父母としていたのは、もっぱらトランプ。
点数をつけて、延々と絵札を稼ぐ「ラミー」という遊び。
トランプしながら、祖父は時折つぶやく。
「来たくて来たか、幼連れ」
食事の後は、祖母の指図で、洗剤を入れてお湯を張った洗い桶で、2人で食器を洗い、拭いて、元通りしまう(自分の家ではしないw)
祖母は、時々、2人を町に連れ出し、美術館に連れて行ってくれた。藤田嗣治記念館があり、たくさんの絵を見た。祖母は藤田嗣治の自画像を指し、
「ほら、あんた方のお父さんに、ちょっと似てるでしょ」
と言った。

今思えば、全く似ていない。
眼鏡をかけたインテリってところしか似ていない。
かき氷を食べて、キーンとこめかみが痛くなるよ、と言った祖母の涼し気な着物姿が懐かしい。
しかし、我々がいない一週間、母は、1人で何をしていたのだろう?
懐かしい友達とあったり、子供がいて出来ないことを自由にする一週間だったのだろうか?
お母さんは、お正月1人で、寂しくないの?
秋田では、父の弟妹たち、沢山の親戚に会い、お年玉やお盆玉をもらう。
母の懐は痛まないで、ラッキーだと思っていたが、長男の孫が正月を秋田で過ごすことは、祖父母からの提案だったのではないかという気がしてきた。
母は、父亡き後、嫁入りしていた婚家を去り、幼い娘を二人連れて、青森県に戻って来て、復職した。
「二人と手を繋いで、橋から飛び降りる気になれば、何でもできると思った」と、母は、この時を語る。

教師をしながら、家を建て、娘を2人大学に入れた。
そんな母を経済的に援助したいと、祖父母は思っていたのではないか?
秋田の祖父母の元から帰ってくると、お年玉を全部母に渡す。
そして、喧嘩すると、
「お年玉、全部、返して!」と泣き叫ぶ( ´艸`)
この記事を書き、祖父母を懐かしんだ。
色んな人に支えられて、大人になったこと。
タイムマシンに乗って、改めて気がついたかも✧♡
