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かんのんとはなにか✧♡③

 玄侑宗久氏の「観音力」から知識を頂いています( ´艸`)


 次の言葉が前回の講演の最後の言葉である。

1.長生きの日本記録

 皆さん、話はまったく違いますが、長生きしてくださいね。日本記録は数えで二百四十三歳です。え?信じませんか?江戸の天保年間(1830~44)に永代橋が架け替えになったとき、渡り初めをしてもらうのに日本一長生きの夫婦を探そうといって、将軍家の肝煎りで探したんですよ。そうしたら、三河の国の百姓である満平さんご夫妻が日本一だったんです。息子も孫もみんな、年の記録も名前も残っています。孫嫁が当時百三十七歳です。息子の万五郎は百九十三歳、孫の万九郎は百五十六歳です。まあ、なせばなりますw

 人生80年ではないとは思っていたけれども、自分もギャグで120歳まで生きようと発言していたけれども(地球が滅亡している可能性はありw)
 243歳って( ゚Д゚)
 人間の常識とか思い込みってなんだろう?

2.八面六臂と言う言葉


 この「八面六臂」という言葉は聞いたことがありますね。顔が八つ、腕が六本。普通、ヨーロッパですと、こういうのはあまり誉め言葉には使いませんよね。「化け物じゃないの?」って思うんじゃないですか。ところが日本では、顔が幾つもあるとか、腕がたくさんあるというのは、誉め言葉になっているんですね。おそらくこれは、少なくとも西洋にはないんじゃないかと思います。それが今日の演題でもある「観音力」ーそういう考え方が日本人にあるせいではないかと思うわけです。
 神戸というのは1995年、ですから13年前ですね。大震災に見舞われまして、そして劇的な復興を遂げられました。もう聞きたくない、話したいくないっていう方も、大勢いらっしゃるんじゃないかと思います。これまで体験したことのないようなことをそれぞれがなさって、いまに至られたのではないかと思うんですね。やっぱり八面六臂で、皆さまは生き抜いてこられた。観音さまのことを語るには、非常にふさわしい場所なのではないかという気がしております。


3.観音さまは出世頭


 皆さん、聖観音(しょうかんのん)という方をご存じですよね。聖観音というのは、最もオーソドックスなお姿をされています。けれども、聖観音から、いろいろな観音さまが派生したわけではないんです。日本に一番最初に入ってきた観音さまは、十一面観音です。(略)本体の顔が一つある。その頭の上に十個お顔があるんです。ぐるっと周りを回ってみますと、真後ろが怖いんですよ。大口を開けて笑っているんです。もちろん、横のほうには、泣いてたり、怒ってたり、いろいろな顔があるんです。じつに不思議な仏像ですね。
 もともと十一面観音という方は、ヒンドゥー教の神だったと云われています。そうやって、例えば四天王ー持国天、増長天、広目天、多聞天ですねー、この4人もヒンドゥー教からスカウトされてきました。しかし、スカウトされた仏像っていうのはあまり出世できないんです。

 かんのん記事の①を書いた時、甚九郎さんから、面白いコメントを頂いた。

その十一面の1つの顔に「大笑面」という笑顔があるのですが、それはべつに嬉しくて笑っているわけではなくて、善悪が入り乱れた不純な人間の行ないに呆れて笑っている顔だそうで、それを知ったとき深く感動したことを憶えています。

甚九郎さん

 甚九郎さんの記事を読むと、この人は悟っているのでは?と思うような不思議な人である。



 初めて知った「大笑面」についてググってみると、次のような知識が得られた。


「暴悪大笑面(ぼうあくだいしょうめん)」と読む。

「悪への怒りが極まり、笑う」とある。「人間の愚かさに呆れて、笑い飛ばす、笑うしかない」と理解している。通常は、背にある光背や、壁面に遮られ、拝観することができない。

ネットより


十一面観音像(奈良国立博物館)

 上の暴悪大笑面は予想外に、おっとりして、すこしカワ(・∀・)イイ!!
 では、もう一つ。


十一面観音(向源寺)

 光背で、普段は隠れて見えないこの御顔がこのお寺では見れるそうだ。
 これは・・・何とも言えない表情だ。

 確かに、笑うのは楽しい時ばかりではなく、悲しすぎたり、残念過ぎて可笑しくて笑うこともある。呆れて笑う観音さま。

 仏像には一応、位がありまして、如来がいちばん上ですね。次に菩薩が来まして、その下が明王、最下位が天ですね。よそからコンバートした仏様というのは、だいたい天が多いんです。毘沙門天もそうです。毘沙門天もヒンドゥー教。大黒天もそうです。さっきの四天王もそうですし、吉祥天もそうです。みなインドのヒンドゥー教からスカウトしてきた方たちであります。ところが、十一面観音はヒンドゥー教からスカウトしてきたのに、菩薩にまでなっちゃったんですね。観世音菩薩になっちゃったわけです。これはおそらく、出世頭だろうと思うんです。

仏像の位

 天が沢山出てくるところで、つい、海老天、イカ天と下らないことを考えてしまう私だ。


4.相手に応じ、三十三に変化する


 観音さまの特徴は何かといいますと三十三に変化することと云われています。三十三という数字は、象徴的な数でありまして、「無限に」という意味です。
 よく観音さまって男か女かって訊かれるんですが、無限に変化する以上そんなのは問題になりませんよね。『法華経』には阿弥陀如来の長男とも書いてあるんですが、同じ『法華経』の第二十五章「観音普門品」には、観音さまは婦女に対しては婦女に変身して説法すると書かれていますから、結局どちらにもなれるんです。時代が下るにつれて女性と見る見方が増えてくるようですが、これは観音さまがはるか南の島にお住まいだということから、航海の安全を守る道教の媽祖という女神と結びついたという説もあります。まぁ、お好きなほうで考えていただいてよろしいかと思います。

観音さまは男であり女

 たいてい菩薩というのはインドの貴族や武士階級、つまりクシャトリア階級の奥さんの服装をしてますから、どう見てもこれ、ふつうは女性に見えるんです。長い髪を巻き上げて、頭上にまとめているのが菩薩の基本形です。そして瓔珞と呼ばれるネックレスをつけて、腕輪や耳輪までしている。ところで耳輪、つまりイヤリングって、仏教が日本にいれたんですよ。達磨さんもしてるでしょう。最近は男が耳輪やら鼻輪やらしてますが、これって昔に戻ったのかもしれませんね。我々仏教徒とすれば、男がそんなもんしちゃいかん、とは云えない歴史を抱えているわけです。

昨今の男子は仏教徒返り?

 私も眉をひそめる、男子の化粧、アクセサリーを玄侑宗久氏が認めるところに、氏の寛大な応化力を感じざるを得ない( ´艸`)

 それはともかく、観音さまはどうして変化するのかと申しますと、相手に応じるためです。この応じて変化する力を「応化力」というふうに云いますが、「観音力」というのはまさにこの「応化力」です。相手に応じて変わる。相手が望む状態になるんです。これはなかなか難しいことですね。
 最近、若い人と話していますと、たとえば、なにかご馳走しようとして、「これ、美味しいから食べてみたら」って水を向けますと、「僕はそういうのは食べません」なんてつっぱねる。「そういうのは食べませんって、食べたことあるの?」と訊くと、「いや、ありませんが、そのようなものを食べる私ではありません」みたいなことを云うんですね。どうも、どういうものを食べる人なのかきっちり決まってるらしいんです。若いみそらで。もう一生食べるものが分かってる。これも長年の個性教育の成果なんでしょうね。「試しに食べてみたら?」っていうのを断る子がいるんですね。
 そんなことでは、大震災は乗り切れないわけであります。状況が激変したわけですから、そこでどうするかというのは、これまでのことを振り返ってみても、雛形は何もないわけですよね。「こんなことをする私ではなかった」と云ってみても、いろいろ片付けなきゃならなかったし、汚れ仕事だってしなきゃならなかった。お葬式だって出さなくちゃいけなかった。皆さんはそんな不慮の事態にとにかく「観音力」で対処してこられたと思うわけですが、一方でそういう自在な応化力からほど遠い若者が、最近は出ている気がします。

応化力に逆行する若者

 この若者の話が、心に残る。
 ちょうど同じく借りてきて読んでいた保江邦夫さんの本にも同じようなことが書かれていた。保江さんの武道仲間で、めっちゃ強そうな知人に、喧嘩をふっかけてくる若者が出現した話、相手の強さや自分の行動に全く想像力が働かない若者の話が幾つかあり、そのことを心配していた。
 あ、まただ!とこの部分で思う。

 最近の若い者は・・・という話は、三千年前のバビロニアの粘土板にも書かれていると河合隼雄先生が書いていたから、きっと未来は大丈夫!と信じましょうw
 

 3500字越えたので④へ✧♡