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面倒なペットボトルの分別が、楽しくなってきた話

ゴミの分別が厳しくなるというお知らせが、ついにマンションのポストに入った。

私が住んでいる大阪のマンションは、ゴミ置き場さえ守っていれば、いつ出そうが、どんなゴミ袋で出そうが、燃えるゴミと燃えないゴミが多少混じっていようが、回収してくれている。
このご時世になんとありがたい。

だが、ついに来てしまった。
まだ救われるのは、ペットボトルに関してのみ厳しくしますという内容だったことだ。

今は、ペットボトルのラベルもキャップも付いた状態で、ぐちゃっと体積だけ小さくしてゴミ袋に詰め込んでいる。

しかしこの春からは、ラベルは必ず外す。蓋も別プラスチックとして集める。飲料系のペットボトル以外のボトルは、別でまとめる。
というルールに変更になるようだ。

ついに来たか…! と思いながら
我が家のペットボトルごみ箱の中を覗く。
ラベル付きのペットボトルたちが、ぐちゃあっと体を押し潰されて飲み口をあちこちに向けながら、テトリスのようにゴミ箱いっぱいにぎゅうぎゅうに入っていた。

そんなへしゃげたペットボトルたちを一つずつとりだして、衣を剝いでいく。
そしてキャップの帽子を取る。
帽子を取られたペットボトルたちは、やっと息ができるとばかりに、ふぅと体が少し膨らむ。
物理的にその通りなんだけど、人間みたいでちょっとおかしい。

たくさんのペットボトルたちを救出した後には、
裸のペットボトルの山と、ラベルの山と、蓋の山が出来上がっていた。

裸のペットボトルたちだけで一袋。
ラベルはその他の燃えないゴミの袋へ。
蓋はどうしよう? 
色とりどりの蓋の山を眺めていたら、小学生の頃の工作を思い出したりした。
何を作ったかとかまでは思い出せないけど、ペットボトルとか割り箸とか輪ゴムを使って、この世にはなかった新しいものを生み出していた気がする。
ぼーっと思い出してるうちに、
捨てるのもなんか勿体無いなぁ、ナンセンスだなぁと思って
いつか使うかなと取っておいた、クラブハリエのマカロンの紙箱に入れた。

わお、かわいい。

意外とかわいくなった。
蓋を載せて運んでいるバスになった。

そして純粋なペットボトルになった物体だけを、ゴミ袋に詰める。
蓋を開けたときに残ってしまった細いリングだけが、服のコーディネートで映える差し色の靴下の様に、透明のゴミ袋の中でちらちらと色を残していた。

今までは、ゴミ袋の中にしわくちゃになったペットボトルが無造作に入っているだけで、その塊を「ゴミ」としか認識していなかった。

でも、

きちんと分別して、袋の口をきつく縛ったゴミ袋を持ち上げてみると
無色半透明で、向こうの景色が透けて見えて、
ちらちらっと、口に残ったリングの色が光に反射して、透明の海の砂浜で光る貝殻のようで、ちょっと見入ってしまった。

中身はこれまでと一緒なのに「ゴミ」の顔をしていない。
不思議だけど、ペットボトル越しに向こうの世界が透けて見えて、綺麗だった。
海に潜ったときの景色の様な。

アホらしい話かもしれないけど、ちょっとゴミ置き場に出すのが惜しかった。
ちょっと歩くけど、家の近くのイオンに持って行って再生材として使ってもらいたいなと思った。

見た目の印象で、そのものの価値が自分の中で変わった瞬間。
中身は同じゴミなのに、見え方でこうも気分が変わって、その後の行動も変わろうとしているなんて、自分でも不思議。
でも、ただの見た目の印象の変化ではなくて、きちんと分別をしたっていう清々しさがそういう気分にさせているのかも。

とか思ったりしたけど、
ただやっぱり、シンプルに考えると、
本来の形に戻っただけなんだろうなと思った。
元々はシンプルな何もついていないペットボトルで、それにラベルが付いて、蓋がついて。
だから、本来の形に戻っただけ。
その形が、綺麗だと思えるものだった。

ペットボトルに限らず、いろんなものがそうなのかも。
生きていく上で、いろんな都合や生きやすさを気にして、知らないうちに何枚もの衣を纏って、帽子をかぶって、いくつもの顔を持って。
でも、ふと力を抜いて、閉まっていたペットボトルの口が緩むように、息をして。
全部脱ぎ捨てたら、きっと身軽で、それだけで綺麗なのかもしれない。
ゴミだったペットボトルだって、本来の形はこんなに透明で澄んでいるんだから。

なーんて、ペットボトルの分別だけで大層なことを考えるまでトリップしてしまいました。
今でもうちのクラブハリエのマカロン箱には、ペットボトルの蓋がたくさん。

そんなことに、ふと気づいた4月の平日。

綺麗になったペットボトルたち


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