ぽっかりと
抜けた
記憶
だから
君はぜんぜん
悲しくなかったでしょう
その間
ぼくは
わたしは
君と
いっしょにいた
でも
もう
大丈夫
だから
君は
記憶の蓋を
少しづつ開けて
ぼくは
わたしは
少しづつ
透明になるだけで
君と
ずっと
いっしょに
いるんだから

ーーーー⑥ 父と、前の夫が同じ年に亡くなってから7年と5ヶ月経ちました。
その後、心労が祟り、しばらくの間、記憶の’ある部分’がすっかり抜けるという経験をしました。
心許ない日々だったのですが、周囲に支えられ、少しづつ回復してきたところでした。
そして最近、自分のバイオグラフィーをきちんとまとめる必要に迫られ、過去のFBを調べているうちに、さらに、抜けていた他のさまざまな記憶も鮮やかに甦り、自分が大切にしていた立ち位置、そして、これから、さらに大切にしていきたい立ち位置が見えてきたのです。
表現活動をしながら施設や保育の仕事をしていた自分にとって、音楽であろうと絵であろうと、自分の幼少期の体験と同等以上に、今の子ども達の問題や社会の問題は自分の表現とは切り離しては考えられません。
絵本の勉強をしていた時、坪田譲治さんのびわのみノートに投稿したり、
松谷みよ子さんにも随分傾倒しました。少し前の児童文学者の創作の根底には、戦後、豊かな児童文化を子ども達へとの野太い思想がありました。
時代は移り変わりつつあります。しかし、私は、今も戦後であり、戦中であり、戦前であると危機感を持つと共に、子どもにとって、本質的な大切なところは今も変わらないのではと思うのです。
言わずもがな、いじめや不登校、虐待は今の子どもたちにとって大きな問題ですね。貧困格差、差別問題、環境問題、社会のさまざまなありとあらゆる問題が子どもにも大人にも降りかかっている、、それは今の今始まったことではなく過去を遡ったところから来ている、、。
