自信をなくしても、子どもの成長が母の存在を肯定してくれる
日々追われて、あっという間に一日が過ぎて
もう受験生、もう3月、と息つく間もなく
ひたすら、家庭がうまく回るように整え
調整し、土台をつくり
疲れ果てているけれど、やることが山積みで
何かの生産性があるわけでもなく
でも踊り続けるしかなくて。
あとひと踏ん張りの元気を出したくて
ビールのんで、ご飯つくって。
子どもの今日の出来事を聞いていたら
すこし元気出てきて。
この世にいただいた生命を
余すことなく使い切って
文字通り、身を削って。
子どもに自分の全部を与えて、尽くして
それが嬉しくて。
子どもにバトンを渡したら
そのままバタンと倒れるイメージで。
鏡を凝視するひまはないけれど
ふと、生え際の白髪が目について。
多分、自分が置き去りになっていることに
自覚しましょう、的なお知らせで。
このまま終わっていくのかな、とか
もうメスとしては役を終えた、とか
ため息ばかりの状況でも。
でもでも。
上の子が
卒業式で送辞キメてきたり
好きな人から、しっかり第2ボタンもらったり
下の子の
「行けたら行く」
っていうチャラ男みたいな約束に
たくさんの友達が誘いに来てくれたり
ケンカして「ママ今日はごめんね」
と不意打ちしてきたり。
毎日同じことを繰り返し
年を取るぶん、後退こそすれ
前進している気配さえない
不毛にも思える毎日でも
腐らず、水やりを怠らず
ボロボロでも子どもの傍を離れなかったら
気づいたら、いつの間にか
子どもから芽が出て、膨らんで、花が咲いて。
きっと私はいい土壌を作ったんだな。
そしたら、豊かな何かが実ったらしい。
特別な何かがあるわけでもなく
何かやりたいことがあるわけでもない。
子どもと一緒に自分探ししているような
なんでもない母親でも
大きな希望を産み落とせたような気がしている。
「やってやった。」(という気分)
勇気づけてくれるよな、まったく。
母の人生、本気で踊るのはこれからだ。
