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モノを全く捨てられなかった母の、遺品整理から学んだこと

まだ72歳だったのに。

こんなに早く、母を看取ることになるなんて思ってもいなかった。
1年3ヶ月前のことだ。

母とは私が10歳の時に、父親と離婚したことから一緒に住んでいなかったけれど
電車で4駅のところに住んでいたからよく遊びに行っていた。

私はよく母に手紙を送っていた子供だったらしい。
母の遺品整理をしていたら、思いがけず小学生だった私に対面することになったのだ。「これはなんて読むでしょう!」というなぞなぞだったり、「ばいちゃ!」なんて今は死後になっているような挨拶を恥ずかしげもなく書いていた、無邪気な子供だったようだ。

こんな、私がメモ程度に書いた手紙まで捨てられなかった母。
私が「使わないから」とあげた洋服は1枚も捨てられていなかったし、
姪っ子や甥っ子が「お土産に」と言ってくれたお守りやキーホルダーも
全部大切に保管されていた。私の娘の、レシートに描いたらくがきさえも。

8畳+キッチン3畳の狭い部屋の、押入れには大量の箱があり、箱の中にまた箱があり、箱の中からは古い新聞や人からもらったプレゼントについていたであろう、ラッピングの紙やリボン、紙袋にビニール袋、とにかく大量のモノで埋め尽くされていたのだ。

今ではこのような不要なモノを大量にためこんだり、手放せない症状に律儀にも病名が付いていて、「ためこみ症」というらしい。

片付けして4日目でもこんな状態でした

病院嫌いだった母が、72歳の誕生日が過ぎたころに「目が見えづらくてね…」と
姪っ子に付き添ってもらって病院に行ったところ、末期の肺がんだと診断された。

咳が多いな、とは思っていたけれど、引っ越した直後だったから「疲れが溜まっているのかな?」くらいにしか思っていなかったのに、末期がんだったとは。

家がとにかく好きだった母は、「最期は自分の家で死にたい」と自宅に戻って
在宅医療やヘルパーさん、訪問看護さんの手を借りながら、新年を迎える前に亡くなった。「末期の肺がんです」と診断されてから、わずか9ヶ月の早さだった。

退院してからの半年は毎日通う生活で、それなりに大変だったけど
母といろんなことを話すことができた大切な時間だったとも思う。

「モノがね、多いけれど…ま、死んだ後のことまで気にすることないか」と
どこまでも母らしいマイペースさで、大量の遺品が残されたのだ。

大量のモノは押入れに入れられていて、きれいに暮らしていた

母の名誉のために言っておくと、モノは多かったけど居住空間はとてもきれいに整えていて、ヘルパーさんたちに「素敵なお部屋ですね」と言われるお部屋だった。何度引越しをしても、母らしい空間が作られていて、部屋中に植物があって、
質素な暮らしの中に自分の「好き」を詰め込んだ母らしい素敵な空間だったのだ。

衣類は500枚近くあっただろうか・・・
箱の中から箱がどんどん出てきて、まるでマトリョーシカのようでした

母が亡くなる直前に
「私が死ぬまでモノはそのままにしてね。寂しいから…」
とボソッと言った、この一言が忘れられない。

母がモノを手放せなかったのは、離婚して家族と暮らせなくなり、
その寂しさを埋めるために部屋の中を家族や友人からもらったモノで埋めることで
寂しさを紛らわせていたのだ。

寂しい思いをさせて、ごめんよ。

母の遺品整理は、兄と一緒に1週間かけて処分したのだけど、家具やアルバム、その他母が大切にしていたものは全部、兄が持ち帰った。
母と同じで捨てられない「ためこみ体質」の兄もまた、寂しい人なんだと思う。

母が大切にしていたモノたち。


でもね、お母さん。
40年近くしまい込んでいた衣類や箱類はカビが生えていたり、洗ってもカビ臭さが取れなくて全部処分したんだよ。

私たちだっていつ亡くなるか分からないのだから、残された家族が大変な思いをしないように、不要なものは溜め込まずにどんどん手放していこうと決めた。

母が大切にしていたくまたちは手放さずに手元に置いています

私は母のように全てのモノに愛着を持つことはできないけれど、
暮らしを大切にしていた母を見習って、もう少しだけ、愛着をもって
モノと向き合っていこうと思う。


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