「自分軸で生きる」がよくわからなかった。会社を辞めて、少しだけわかったこと
「自分軸で生きよう」と言われるたびに、
少し困ってしまう。
そもそも、自分軸で生きているって、
どういう状態なんだろう。
振り返ってみると、進学も就職も転職も、
偏差値や会社の知名度、年収みたいな
「世の中で良いとされているもの」を頼りに決めてきた。
それでも、それなりに成果は出せた。
なのに、なぜかずっと、生きづらかった。
そして会社を辞めた今、
収入がどうなるかもまだわからないのに、
以前よりずっと気持ちが楽になっている。
もしかすると私は、「自分軸」の意味を
頭で考えすぎていたのかもしれない。
自分軸で生きたことなんて、一度もない気がする
「自分軸で生きよう」
自己啓発やキャリアの話を見ていると、
よく出てくる言葉だ。
他人の評価を気にしすぎず、
自分の価値観を大切にして、
自分の人生を生きる。
言っていることはわかる。
わかるのだけど、私にはどうも、
この「自分軸」というものがよくわからなかった。
そもそも、自分軸で生きている人って、
自分で「俺はいま自分軸で生きている」と
感じるものなんだろうか。
そんなことを考えながら、
自分のこれまでを振り返ってみた。
すると、驚くほど「自分で決めた」と
思えるものが少なかった。
むしろ、大きな決断になればなるほど、
他人が作った基準を頼りにしていた。
進学も、就職も、転職も
たとえば進学。
もちろん、自分で選んだ学校ではある。
結果的には良かったと思っている。
でも、当時の自分が学校を選ぶときに
見ていたものは何だったのか。
偏差値。
知名度。
周囲からの評価。
「その学校に行けば、将来困らないだろう」という、
世の中にあるなんとなくの常識。
学校で何を学びたいのか。
どんな環境で過ごしたいのか。
自分は何が好きなのか。
そういうことを深く考えて選んだ記憶は、
あまりない。
就職活動は、もっとわかりやすかった。
名前の知れた会社。
給料が良さそうな会社。
安定していそうな会社。
そもそも当時の私には、
「自分が何をやりたいのか」が
よくわかっていなかった。
だから、世の中が「良い」としているものを、
自分にとっても「良いもの」だと思って選んでいた。
転職だって、そうだった。
もちろん仕事内容や環境も見ていた。
でも、どこかにずっと
「年収は高いほうがいい」という考えがあった。
今思えば、
これも自分の内側から出てきた価値観というより、
社会の中で刷り込まれてきた「良い人生」の
基準だったのかもしれない。
他人軸でも、別に悪くないのでは?
ここで少しややこしくなった。
「他人軸=悪いもの」と考えると、
どうもしっくりこない。
他人軸で選んだ会社でも、
仕事は一生懸命やった。
学んだこともたくさんあった。
成果が出れば嬉しかったし、
評価されれば気持ちよかった。
年収が上がれば、それはそれで嬉しい。
つまり、他人軸で生きていても、
ちゃんと幸せを感じる瞬間はある。
だから、
「自分軸で生きれば幸せになれる」
「他人軸で生きると不幸になる」
という単純な話ではない気がしてきた。
ただ、私の場合は、それが長続きしなかった。
一時的には心地いい。
でも、なぜかまた苦しくなる。
その理由を、会社を辞める直前まで、
うまく言葉にできなかった。
休日なのに、仕事のことを考えていた
会社員時代、休日にこんなことを考えていた。
「あの仕事、いつまでにやらないとまずいな」
「あれもまだ終わってない」
「平日に時間はあるけど、間に合わなかったらどうしよう」
「ちゃんとしたものを作れなかったらどうしよう」
「社内の人からダメ出しされたら嫌だな」
今振り返ると、不思議だ。
実際に、ものすごく頻繁に
ダメ出しされていたわけではない。
むしろ、ほとんどそんなことはなかった。
なのに、自分の頭の中では勝手に
「ダメ出しされる未来」を作っていた。
そして、その未来を回避するために、
休日まで考え続けていた。
お客さんとの約束があるから、
というのももちろんあった。
でも、それだけではなかった。
「ちゃんとできる自分でありたい」
「能力がないと思われたくない」
「期待に応えたい」
そんな気持ちも、かなり大きかったと思う。
つまり、
実際に誰かから何かを言われていたというより、
他人からどう評価されるかを、
自分で勝手に想像して怖がっていたのだ。
「全部自分の責任」と思っていた
私は昔から、なるべく他責にしないようにしてきた。
今の自分があるのは、過去の自分が選択してきた結果。
良い結果も悪い結果も、自分が選んだものなのだから、
自分で引き受ける。
そう考えてきた。
これは一見すると、かなり「自分軸」っぽい。
でも、今振り返ると、少し違ったのかもしれない。
悪い結果が出たときは、
「全部自分のせいだ」
と思う。
一方で、良い結果が出たときは、
「運が良かった」
「あの人に助けてもらったから」
と考えてしまう。
自分を褒めることが、あまり得意ではなかった。
もしかすると私は、
他人が作った基準の中で生きながら、
その結果だけは全部自分の責任として背負っていた。
のかもしれない。
これって、結構しんどい。
他人の土俵で戦っているのに、
負けたときだけ「自分の能力が足りなかった」と
処理してしまう。
そんなことを何年もやっていたら、
そりゃ疲れるよな、と今は思う。
「自分軸になろう」としても、なれなかった
もちろん、何もしなかったわけではない。
頭の中でぐるぐる考えていることを紙に書いたり。
事実と感情を分けてみたり。
「他人の評価はコントロールできない」と考えてみたり。
いろいろやってみた。
一時的には楽になる。
でも、また考える。
考えたくなくても、考えてしまう。
自分でも「面倒な思考だな」と思うくらい、
ぐるぐるする。
そこで、ふと思った。
もしかして、
思考を変えようとすること自体が違うんじゃないか。
と思った。
だって、そもそも自分がずっといる場所が、
自分を評価する仕組みの中なのだから。
どれだけ「気にしないようにしよう」と思っても、
その環境にいる限り、評価される。
比較される。
成果を求められる。
誰かの期待がある。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。
会社という仕組みは、そういうものだ。
でも、自分にはその環境との
相性が良くなかったのかもしれない。
だから、会社を辞めた
そして私は、
会社というプラットフォームから降りることにした。
かなり極端な選択だと思う。
「会社を辞めれば全部解決する」
なんて思っていたわけでもない。
収入が安定するかどうかも、まだわからない。
これから仕事がうまくいくのかもわからない。
むしろ、普通に考えれば、
会社員のほうが安定している。
私自身も、ずっとそう思っていた。
会社員であることは安定している。
毎月給料が入る。
社会的にも説明しやすい。
だから、会社員を辞めることには当然、不安があった。
でも。
不思議なことに、会社を辞めた今のほうが、
気持ちはずっと楽だ。
成果はまだない。でも、なぜか楽
今だって不安はある。
収入がどうなるかわからない。
これから自分で仕事を作っていかなければならない。
成果だって、まだおぼつかない。
「これで本当に大丈夫なのか」と思うこともある。
それなのに、会社員時代より楽なのだ。
この感覚が、自分でも不思議だった。
そして、少しだけ理由がわかってきた。
会社員時代の不安は、
「他人からどう評価されるか」という、
自分ではコントロールできないものに対する不安
だった。
今の不安は、
「自分はこれからどう行動するか」という、
自分で引き受けられる不安
なのだ。
同じ「不安」なのに、質が全然違う。
今は、自分で選んでいる。
自分で動く。
結果も自分で引き受ける。
うまくいかなかったら、自分の選択を見直せばいい。
誰かが決めた正解に自分を合わせる必要がない。
それだけで、こんなにも楽なのかと思った。
じゃあ、自分軸って何なんだろう
ここまで考えて、ようやく最初の疑問に戻る。
「自分軸って何なんだろう?」
正直、まだわからない。
「自分の価値観を明確にして、それに沿って生きること」
と言われても、私にはまだ少し遠い。
自分の価値観なんて、そんなに簡単にわからない。
「夢中になれることをやるのが自分軸」
という考え方も、かなりしっくりきた。
実際、仕事の中でも、
資料の見せ方を考えたり、
数字を整理して戦略を考えたりしているときは、
時間を忘れて没頭することがあった。
でも、そんなときに、
「俺はいま自分軸で生きている!」
なんて考えたことは一度もない。
むしろ、夢中になっているときは、
自分軸なんて考えていない。
そう考えると、
自分軸って「意識してなるもの」
ではないのかもしれない。
自分軸は、あとからわかるものなのかもしれない
夢中になっているときは、
自分軸かどうかなんて考えない。
ただ、やっている。
気づいたら時間が過ぎている。
そして後から振り返って、
「あのときは、自分らしくやれていたな」
と思う。
もしかすると、
自分軸ってそういうものなのかもしれない。
リアルタイムでは、
「これは自分の人生だ」
なんて思わない。
ただ、自分がやりたいことをやっている。
自分が気になることを追いかけている。
自分が納得するまで考えている。
そして、ずっと後になってから、
「あれは自分軸だったのかもしれない」
と気づく。
だから、「自分軸にならなきゃ」と考えすぎること自体が、
もしかしたら自分軸から遠ざかる原因なのかもしれない。
自分軸を探すより、「自分が楽な場所」を探す
だから今の私は、「自分軸で生きよう」
とはあまり思っていない。
それよりも、
自分が自然にいられる場所はどこなのか。
どんなときに、他人の評価を忘れていられるのか。
何をしているとき、自分の中から勝手に
「もう少しこうしたい」が出てくるのか。
そういうものを少しずつ探していけば
いいんじゃないかと思っている。
自分軸は、
最初から見つけるものではないのかもしれない。
小さな「好き」や「違和感」や「こだわり」を
拾っていった先に、あとから輪郭が見えてくるもの
なのかもしれない。
会社を辞めたことが、自分軸だったのかはまだわからない
ここまで書いておいて、
ひとつだけまだ答えが出ていない。
会社を辞めたことは、自分軸だったのだろうか。
正直、まだわからない。
これから仕事がどうなるのかもわからない。
収入が安定するかもわからない。
数年後に振り返ったとき、
「あのとき辞めて良かった」
と思うのか、
「もう少し別の選択肢もあったな」
と思うのかもわからない。
だから、今の時点で「会社を辞めたことは、
自分軸で生きるための正しい選択だった」
なんて言うつもりはない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
会社員のほうが絶対に安定していると
思っていた頃より、
成果も収入もまだ安定していない今のほうが、
なぜか気持ちは楽なのだ。
これは、自分でもかなり不思議だ。
答え合わせは、まだこれから
もしかすると、自分軸というのは
「正しい選択をすること」ではないのかもしれない。
世間的に見て正しいか。
年収が高いか。
安定しているか。
成功しているか。
そういうこととは、少し違うのかもしれない。
自分で選んだ場所に立って、
自分で考えて、自分で動いて、
その結果を引き受ける。
その過程で、ふと夢中になれる瞬間がある。
誰かにどう見られるかではなく、
「自分はどうしたいんだろう」と
自然に考えられる瞬間がある。
そういう時間が少しずつ増えていった先に、
「ああ、これが自分軸だったのかもしれない」
と、いつか気づくものなのかもしれない。
今の私には、まだ答えはない。
会社を辞めた選択が正しかったのかも、
まだわからない。
ただ、少なくとも今は、
他人が作ったプラットフォームの中で、
起きてもいないダメ出しを想像して、
休日までぐるぐる考えていた頃には戻りたくない。
それだけは、今の自分にははっきりわかる。
だから、もう少しこのまま、
自分の足で歩いてみようと思う。
答え合わせは、たぶんそのあとでいい。
