小説「葬送の旅」(8/10話) #創作大賞2024
【第八話】
お通夜、ご葬儀、火葬場でのお見送りと、滞りなく終えることが出来てほっとしていますと、野原家のお嬢様方は、
精進料理の席で仰って下さった。
私はこの上ない達成感と喜びでいっぱいになった。
事務所に戻りアップルティーを入れて、一息つく。
満ち足りた気持ちで飲むと、鼻に抜ける甘酸っぱい香りがいつもより華やかな気がする。
あとはご収骨からのお戻りをお迎えして、
お持ち帰りいただくものをお渡しして…と、
最後の業務を頭の中で整理していると、玄関ロビーの方から微かに話し声が聞こえてきた。
戻ってこられた野原家様をきっと山本さんがお迎えしているのだろう。
お手荷物のラックへご案内してくれるはずだ。よし、と気を引き締め直して、私は野原家の元へと向かった。
**
このまま無事に終了すると思っていた矢先、
それは突然だった。
お持ち帰りいただくものと一緒に、あの愛情いっぱいのお供えスペースにあった写真をお返しした時だった。
「どうしてこれがここにあるんですか?柩の中に納めたいって言いましたよね?」
確かに、苺などの食品や色紙と一緒に写真も納めると伺っていた。
しかしそれは、お誕生日会の写真の事ではなかったか。
下を向いている陽子さんと朝陽さんの隣で、写真を手に陽向さんが紡黄を問い質す。
「お別れの時に全て渡して下さるものだと信用していたのに、まさかこんなに写真が残っているなんて!」
「はい、ですからメインで飾られていたお写真は全てお渡し致しました。
ですが、端に重ねて置かれていた家族旅行のお写真については、思い出の品としてお持ち帰りになるものだと思っておりました。それに、最後の旅行の思い出だから大事にしたいと仰っておられましたし…」
紡黄が言い終わらないうちに、それまで黙っていた朝陽さんが口を開いた。
「こちらから、残すようにお願いしましたか?」
静かで落ち着いた言い方だったが、その冷静さが怖く感じられた。
「いえ…ただ…」
気圧されて、出かかった言葉を飲み込んでしまう。
「ただ、なんですか?」
やはり静かな口調で畳み掛けられる。
私は意を決した。
「お写真は全て納めるのか、お持ち帰りになられるのか、改めて細かく確認しなかった落ち度は認めます。申し訳ありません。ただお孫様からも、大切な思い出だと伺いました。
まだ自分は小さかったから一緒に箱根へ行ったことは覚えてないけれど、写真があって良かった、だからこの写真は自分にとっても大事なんだよと、優花ちゃんからお伺いしたんです」
そう、お供えスペースの品々を御柩におさめるのかどうかお嬢様方にお伺いする前に、
お孫さんの優花ちゃんからそう聞いていた。
だから残すものだと思い、わざわざもう一度確認をしなかったのだ。
「それにもし、こちらのお写真まで火葬してしまったら、この先大切な思い出を思い返すことが出来なくなってしまいます。どんなお天気で、どんな場所に行って、どんな表情だったのか…。写真があればいつまでも鮮明に思い出すことが出来ます。優花ちゃんが大人になっても、ずっと」
私は野原家の皆様に、これから先も温かい日々を胸にあゆんでいただきたい。
その一心であったことを一気に伝えた。
それまで黙っていた陽子さんがぽつりと呟く。
「その箱根旅行から帰ってきたあとに母は歩けなくなってしまったんです」
私の思考が一瞬止まる。
陽子さんはそのまま続けた。
「亡くなる三日前まで三食しっかり食べられる位、元気な母でしたが、その旅行の帰りに転倒してしまって以来、ずっと一人では歩けなくなってたんです。だからこの箱根旅行が最後の家族旅行になってしまった。
もう一度自分の足でみんなと旅行がしたいと、母はずっと言っていました。きっと最後まで諦めていなかった筈です。
思うように動かない足を毎日マッサージしてましたから。他は丈夫で元気だっただけに悔しかったと思います。確かに、旅行中はとても楽しくて、私達にとっても本当にいい思い出です。忘れたくなどありません。でも同時に、母の悔しさ、無念さも思い出すんです」
最後の言葉が震えている。
静かな口調だった朝陽さんの目には、じんわりと涙がにじんでいる。
「山中さんは、悲しい記憶でこれからの私達を縛りつけるおつもりですか?」
なんて事だろう。
私はただ、お母様との思い出をいつまでも色褪せることなく持ち続けていただきたい、心の底からただそう願っただけなのだ。
涙を零しながら、陽子さんは続けた。
「私たちの生活には、母との思い出が沢山刻まれています。母が教えてくれた煮物の味付け、挨拶は必ずするという野原家のルール、近所のケーキ屋さんには母が大好きだったショートケーキ。それから、それから…」
涙で言葉に詰まる陽子さんの跡を継ぐように、陽向さんが話を続ける。
「姉の庭にはハナミズキが毎年咲くんです。母が優花と一緒にお世話をしていたそうです。
ハナミズキが咲く度、きっと優花は母の、おばあちゃんのことをこれからも思い出すでしょう。それでいいんですよ」
愕然とした。
あれほど、残された人達の心に寄り添うと決めたのに、またも私は、勝手な解釈を押し付けて、想いを踏みにじってしまった。
みんなで明るく送り出したいという御家族の思いの底にあったのは、
決して晩年の辛かった記憶ではなく、生活の中に彩られた沢山の何気ない楽しかった日々に目を向け、
逝く人の人生を精一杯に讃えたいというものだった。
全てはキミコ様への愛。
形あるものを残さずとも、共に暮らし共に積み重ねてきた生活のそこここに、キミコ様の生きた証が確かに存在している。
たとえこの先、思い出が薄らいだとしても、その証は消えることはないのだ。
**
野原家が帰られた後、私は全てを沢木社長に報告した。
社長は最後まで黙って聞いてくれた。
そしてゆっくりと話し始めた。
「山中さん。僕はね、偲ぶって言葉が好きでね。言葉の意味を調べると、過ぎ去っていった物事や遠く離れている人、場所などを懐かしい気持ちで思い出す、とあるんだ。山中さんは、そういう思い出はあるかい?」
私を見つめる黒く澄んだ瞳の中に、はっきりと自分の姿が映っているような気がして、一瞬たじろぐ。
そして社長の後ろにあるメダカの水槽に、つい視線をずらしてしまった。
ゆらゆらと揺れる水草。
水槽の中のエアーポンプから吹き出る幾つもの酸素を眺めていると、幼き日のおじいちゃんとの思い出が脳裏に蘇ってきた。
紡黄は賢くて優しいから、きっと多くの人の助けになるだろうね、いつもそう言って頭を撫でてくれたっけ。
あれは自分が何歳の頃だったろうか。
視線を戻し、沢木社長の目を、真っ直ぐに見て答える。
「祖父のことをよく思い出します」
「そうかい、お爺様のことを…」
今度は社長が少し遠くを見つめながら続ける。
「そのお爺様との思い出が…そうだなぁ、例えばサブスクで観られる映画だとして。しかも永遠にいつでも簡単に観られるとしたら。山中さんはその映画をこの先の人生でどれだけ見返すだろうか」
おじいちゃんとの思い出、記憶が映画に。
想像してみる。いつだって私を褒めてくれたおじいちゃんの顔。
普段からにこにこと笑っているような小さくて温かい瞳。
その目が笑うと見えなくなっちゃって、子供たちに人気のアニメに出てくるキャラクターにそっくりだなんて、お父さんに言われてたなぁ。
あったかくて優しいあの笑顔が大好きだった。おじいちゃんは自分のデータをどうしてだか登録しなかったから、おじいちゃんとの記憶はもう私の記憶の中にしかない。
でも思い出すとこんなにも温かい気持ちになる。
そこで私はハッと気がついた。
「社長!…私、分かったような気がします」
私の言葉に、社長がにっこりと微笑んでテーブルの上のアップルティーの入ったカップを手に取る。
探してたもの、見つかったようだね、とカップに口をつける。
アップルティーを飲みながら嬉しそうににこにこと微笑む社長の表情が、記憶の中のおじいちゃんの笑顔と重なった。
***
第9話へとつづく
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