岐阜県1︰ 土橋の夕ぐれ/恵那市明智町(創作昔話)
──むかしむかしのことでした。
ここは、美濃の国の山あい、恵那の明智のあたり。
山と田んぼがつづき、朝は霧に包まれ、夜は虫の声が響く、静かな里じゃった。
そんな里の土橋(つちはし)というところに五つ辻があった。
五つの道が一つに集まり、またそれぞれ山へ、谷へ、里へと分かれていく。
昼間は人や馬が行き交いそれなりに、にぎやかなところだったが──
ひとたび日が暮れると、まるで別の世のように静まり返る。
そんな土橋には、昔から妙な噂があった。
「夕まぐれにあの辻を通ると、道がわからんようになる」
「どっちへ行っても、ぐるぐる元のところへ戻ってくる」
「それは“背黒又黒郎”という狸の仕業じゃ」…と。
ある秋の日のこと。
村の若者の新兵衛(しんべえ)が、隣村の祭りに出かけた帰りじゃった。
手ぬぐいを首に巻き、提灯をぶらさげて、鼻歌まじりに件の辻へとさしかかった。
日はとっぷりと暮れ、遠くでふくろうが鳴いておる。
提灯の灯が風にゆらめく。
道の真ん中には、どこからともなく白い霧が流れ出してきた。
「おや? こりゃあ、どうしたことじゃ……」
霧の中で道がふたつ、いや、みっつにも見える。
どれが村へ続く道か、さっぱりわからん。
「確かこっちのはずじゃが……」
そう言って進むと、すぐに同じ辻へ戻ってきた。
また別の道を選んでも、やっぱり同じところに。
何度歩いても、何度曲がっても、五辻の真ん中に戻ってしまう。
「おかしい……。まさか、うわさの“背黒又黒郎”か?」
そのとき、風の向こうから、かすかな笛の音が聞こえた。
ピィ……ヒョロロ……。
霧の中に、黒い影がひとつ。
「おや、誰ぞ通るんか?」
新兵衛が声をかけると、影はにゅうっと伸び上がり、
人のようで人でない、尻尾のある影。
「わしはこの辻の守り神、背黒又黒郎という」
「神ぃ? いや、狸じゃろ!」
「ふむ、狸と思うなら狸でよい。だがのう……」
影はにたりと笑ったようにみえた。
「人間も狸も、そう変わらぬものじゃ。欲や嘘で、よう化かす」
新兵衛は思わず口をつぐんだ。
昼間、祭りで酒を飲みすぎ、隣村の娘をからかって泣かせたことを思い出していた。
背黒又黒郎は、そんな心を見透かすように言った。
「心がまっすぐなら、道もまっすぐ見える。
心が曇れば、道も曇る。
さて、おぬしの道は、どっちじゃ?」
霧の中で、影がゆっくりと消えていった。
新兵衛は、提灯の灯を見つめながら深く息をついた。
やがて一筋の光が見えてきて──それは、村へ帰る正しい道だった。
次の日新兵衛は、隣村の娘に謝りに行き、正直な気持ちを伝えたそうな。
それ以降、彼は人をだますようなことをせんようになったという。
酒もほどほどにし、真面目に働き、いつしか“正直新兵衛”と呼ばれるようになった。
新兵衛と隣村の娘がどうなったかは……それはまた別のお話じゃ。
……そらはれた。
それでも、土橋の五辻では、今もたまに道に迷う人がいるそうな。
霧の夜に、ふっと方向がわからなくなるのだと。
そんなときは、道ばたの石に手を合わせてこう言うとよい。
──「背黒又黒郎さま、今宵は道をお借りいたします」──
すると、不思議と霧が晴れ、足元が明るくなるのだという。
人を化かす狸も、悪さばかりではない。
迷う人に、心の曇りを気づかせてくれる──
そんな教えを残したのかもしれんねぇ。
そんな不思議なお話でした。
…そらはれた。
