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子どもは親の従属物ではない~アドラー的思考について考える

こんばんは、OgAzです。

連日ポケモンをプレイし続け、連日画面酔いでのたうち回っている今日この頃ですが皆さまいかがお過ごしでしょうか。前作アルセウスで仲良しだったフワンテ(進化してフワライド)こと「ふうせん」ちゃん。大きいし可愛いし大好きだったのです。が。

前作アルセウスでのふうせんちゃん。

最新作スカーレットバイオレットでバイオレット版を選んだ私、フワンテをフィールドで捕まえられるのはスカーレット版のみと知ってむせび泣くの図。捕まえるためにはテラレイドバトルで巡り合うしかないらしい。涙目。テラレイドバトルを求めてフィールドを駆け回る→酔う→やめる→翌日へ繰り越し。このセットをかれこれ二週間ほど繰り返しております。ふうせんちゃんと巡り合える日は来るのでしょうか(いい加減、次男のお友達あたりにお願いして交換してもらうべきか悩んでいるジャストナウ)。

そんなゲームライフを満喫している私を見て、「お母さんって本当に中二病だよね」とか冷静に言ってくるのは長男(中1)。まあ中二病は私のライフワークなんだけれどもね。それはさておき、長男。彼との最近のやり取りのなかで、自分について、あるいは子どもとの向き合い方についていろいろと考えさせられた出来事がありました。

ということで今回は、育児における自分的子どもとの向き合い方について掘り下げてみたいと思いました。よろしくどうぞ。

朝の小言を止めてみた

今年中1の長男は、私に似て超絶寝起きが悪く(たぶん低血圧)、目覚ましをかけてもなかなか起きてこない→やっと起きてきてもリビングで毛布にくるまって寝る→出かける20分前になってようやく起きて準備をしだす(しかもずっと喋っていて手が完全に止まっている)→家を出る時間がギリギリ→学校までダッシュする、というのを繰り返していました。

今のところまだ遅刻はしていないそうなんですが、いや早く起きろやと思うわけですよ。私も低血圧なので気持ちはよくわかるものの、家族で一番最後に起きてくるくせに、なぜリビングでまだ寝るのか。「だって眠いんだもん」じゃないのよ。

まだ1年生ながら、公立学校の中学生にはいずれ高校受験という大嵐がやってきます。その時に重要なのは内申。遅刻とか授業態度が悪いとかはマイナス評価につながりかねません。実際に高校受験の内申が関わってくるのは二年生かららしいので、まだ関係ないとしても、今から生活を正しておかねば!と思いまして。とにかく長男が朝なんとか時間通りに家を出られるようにと、あれやれこれやれと文句と小言を言い続けてきました。が、梨の礫ってこういうことを言うんですかね。全くもって聞きやしない。

4月からずっとそんな状態で、年明け学校が始まっても相変わらず。なんで起きねえんだよと毎日イライラしていたのですが、そこでふと思いました。

「これだけ毎日言ってきかないのに、この先言い続けたからって絶対治らないよね。てかそもそも、仮に遅刻のせいで内申が悪くなったとしても、困るのは本人で私じゃないしな。それで彼が行きたい高校に入れなくても、私じゃないしな。よし、もう言うの止めよう」

私は昔からこういう思考があります。相手が友達でも親でも子どもに対してでも、「言っても聞かないならもういいや、だって私じゃないし」って。別に突き放しているわけではないのですよ。周りが何を言ったところで、本人が決めたことを覆せるわけではないってこと。

今回も例外でなく、諦めることにしました。一応本人には、「この先もう言わないから、自分で勝手にやってね。遅刻しても自分の責任だから」とだけ伝え、時間を過ぎて寝ていても放置することに決めたのです。おかげで、私の日々のストレスはなくなりました。あースッキリ。

意外なことに長男は、その日から比較的ちゃんと時間を見て準備をするようになりました。起きてきてリビングでゴロゴロするのは相変わらずですが、ちゃんと決まった時間になったら自分で起きています。なんてことだ、できるんじゃねえかこのやろう

結局、「お母さんが起こしてくれる」という甘えが自立を妨害していたということなんだなあと思いました。良かれと思ってやっていたことが、本人のためにならないことってある。子育てにはそういうのがつきものではあります。ああ私、いろいろ言いすぎていたんだなあと反省した出来事でありました。

私の思考はアドラー的らしい

「だって私じゃないし」は私の昔からの口癖です。よそはよそ、うちはうち。家族であっても、私じゃない人はみんな他人。他人と私は違う。大学の頃、母と親子げんかをしたときにこのことを言ったら「あんたはなんて冷たい娘なんだ」と号泣されたことがあります。母にとって、私は他人じゃないらしい。私にとっては、母も父も夫も子どもたちもぜんぶ他人だけどね。

心理学などにも関心のある夫からは、「ママは考え方がアドラー的なんだよね」と言われたことがあります。「他人は他人、自分は自分ってところが」って。

当時の私はアドラー心理学を全く知らなかったので、意味が分かりませんでした。そういえばスピリチュアル的なことに造詣の深い知人たちがそんな話をしていたことを思い出し、え、私そんなかんじなの!?と面食らったものでしたが。今回、長男の小言を止めた出来事があったとき、なぜかふと夫のセリフが浮かびました。私の考え方って、そんなにアドラーさんに似ているのかな。気になったのでリサーチしてみました。

アドラー心理学の大きな特徴は4つ(5つとしているところもあったけど、これが一番私的には分かりやすかった)。

①目的論
目的論とは、人間の行動にはすべて目的があり、自分が現在置かれている状況は自分の目的を達成するために自らが選択した道である、という考え方です。
②ヨコの関係
ヨコの関係とは、横並びに位置した人たちがお互いに、信頼関係を築く・尊敬し合うという関係が構築されていることで、タテの関係は、「上から下への支配」「下から上への依存の関係が構築されている」ことです。
③課題の分離
課題の分離とは、同質ではないが対等な関係にある他者が持っている課題と、自分の持っている課題を分離させること。
④勇気付け
勇気づけとは、困難を克服するための内なる活力のこと。アドラー心理学が別名「勇気の心理学」と呼ばれている点からも分かる通り、勇気付けによって、自分の目的や行動が変わることで新しい自分を構築できるのです。

引用元:カオナビ人事用語集より一部引用抜粋

なるほど、私が似ているのはおそらく「③課題の分離」の部分なのだろう。そうなのですよ、突き放しているわけではなくて、相手を対等だと思うからこそ生じている考え方なのです。アドラーさん分かってる

アドラー的思考の原因を掘り下げる

大学生のときに1人暮らしを始め、そのまま親元を離れて暮らしています。実家を離れてさまざまな環境の人と関わっているうちに、「あれ?うちの親って・・・」と思うことが多々ありました。私のアドラー的思考は、そういう親に対する疑問から生まれたのではないかと思っています。
※私の両親は今もとっても健在で名古屋に住んでいます

私の親は過保護

私には3つ年上の兄がおり、「大学で一人暮らしをするとしたら兄だ」とずっと親から言われてきました。しかしその兄が大学受験に失敗して浪人したため、落胆した両親は私に「行きたい大学があって、そこに入れる実力があるなら、好きなところに行きなさい」と言ってくれたのです。なんという棚ぼたでしょう。ありがとう兄!

晴れて一人暮らしを始めた私は、大学のある西宮で、大学のすぐ近く(坂の下のほう)に住んでいました。学校にも慣れ、友達もでき、一人暮らし仲間で集まることが増えました。友達の家で鍋パーティ!ああ楽しい大学生活、と思いきや。私にはなぜか門限がありました。夜9時です。あらゆる人に「一人暮らしで門限て」と笑われました。そうなんだよ、実家暮らしなら分かるんだけどさ。離れてまで管理したがるうちの親何なん。

家に固定電話を敷き、9時過ぎに家電がかかってくるのです。出れなかったら帰っていないということでものすごく叱られ、「学費と生活費を止める」と脅迫まがいのことを言われました。9時なんて大学生には夜はこれから的な時間なのにさ。当時の私は、何とかばれないようにと電話の転送を試みましたが、転送時に「電話を転送します」と丁寧にアナウンスしてくれるもんだから速攻でバレました。そしてさらに叱られました。NTTめー!!

「他の友達には門限がないのに、どうして私だけ早く帰らなきゃいけないの?」と父に聞いたところ、「そういうものだ」と謎の回答。OH全然理由になってねえ。「子どもは親の言うことを聞いて当たり前」「言うことを聞けないやつは勘当する(本当にこれ言われた)」だそうです。いまどき勘当てと思いましたが。「門限がおかしいとか言ってくる友達とは付き合わなくていい」とまで言われ、愕然としました。うちの親って。

私はね。理由が知りたかったのです。門限を9時にしなければいけない納得のいく理由があるなら、別に構わなかったのです。強権的に言うことを聞かせても、かえって逆効果なんですよね、私の性格的に。あの時もし「友達は笑うかもしれないけど、あなたのことが心配だから」と言われていたら、納得して9時におとなしく帰っていたかもしれません。

が、納得できなかった私はその後、門限などなかったことにして親の言うことを一切無視しました。学費だ生活費だのことでさんざん脅されましたが、両親がお金を止めないことは分かっていたので。

私があまりに言うことを聞かないのでいつしか両親は諦めたようで、2年生の頃には9時の門限制度はなくなっていました。まあ「その日のうちに帰れ」とは言われてましたけれども。大勝利である。

今考えると、9時にいったん家に帰って、それからまた出かければ良かったのかも。でも往復が面倒くさいから、あんまり現実的じゃないのかな・・・でももっと他にやりようがあった気がしますね。たらればの話ですが。

私の親は過干渉

一人暮らしを始めて以来、母は私に彼氏ができると相手の素性を知りたがり、「あなたのためにならないから別れろ」と迫ってきました。いわく「男は狼だから気を付けなさい」と。あ、それ本当に言う人いるんや・・・という感想でした。

いちいち文句を言われるのが面倒くさかったので、彼氏ができても絶対に言わないようにしていたのですが。言わなかったら言わなかったで不満らしく、「どうして教えてくれないの?」「娘とそういう話をするのが母親の楽しみなのに」とか言われ、え、どうしろと?と困惑したものです。自分の胸に手を当てて考えてほしいマジで。

卒業後に付き合った大阪の彼氏とは3年ほど続き、「結婚はこの人とするのかなあ」などと漠然と考えていたときのこと。当時私は大学を卒業して自立し、三宮(神戸)で一人暮らしをしていました。数か月に一度母が遊びに来ていて、そのときは夕食後にテレビを見ていました。その時たまたま、桶川ストーカー殺人事件のドラマ化されたやつが放送されていたのです。

母はこのドラマを見ながら、おもむろに「あんたの彼だって、別れたらこういうふうになるかもしれないわよ」と言い出しました。え、今なんつった?我が耳を疑いました。ストーカー殺人事件起こしたやつですよ。暴力を振るわれたことさえないのに、なんでそれを私の彼氏と比較するのか。

あまりにひどいと思ったのでキレながら反論したら、今度は泣きながら「親として、娘の間違いを止めるのは当たり前のことでしょ!」とキレて来たのでした。間違いですか。私が彼と付き合っているのは、果たして間違いなのでしょうか。本当にありえないと思いました。申し訳ないけど、これだけは一生許さないたぶん。

その彼氏とは、いろいろあってその後別れたのですが、そのときの母のドヤ顔ったらなかったですね。「だから言ったでしょう?」とか言われましたが、別に母に言われたから別れたわけではないのです。腹立ちますね。

このことがあったので、その後で夫と付き合い始めたときは、絶対に何も話さないでおこうと心に誓っていました。結婚することを決めてからようやく彼氏がいたことを話したくらいだし、結婚式は式場もドレスもぜんぶ夫と二人で決めました。母はそれをずいぶんと根に持っていて、認知症になる直前まで「ウェディングドレスを娘と一緒に選ぶのは母親の楽しみなのに」と言っていました。でも私に言わせれば、どうして話してもらえると思うの?って感じでした。

子どもは親の従属物ではないよ

私の両親は、教育熱心で有り難かった半面、過保護で過干渉な面がありました。私は大学から一人暮らしをしたので多少外れることができましたが、同居していたらおそらく結婚はできなかったと思います。

子どもは親の言うことを聞くものだと教えられてきたけれど、理由も分からずに言うことを聞けるのは小学生くらいまでだと思います。禁止するならどうしてダメなのか、納得できなければ聞けません。親子だって別の人間であり人格であり、異なる考え方をするのです。当たり前のこと。

特に母は、「親子なんだから私と同じ考え方のはず」という決めつけがひどい人でした。私が意に沿わないことを言うと「私の娘なのにどうして・・・!」と言われ、そのたびに私は「だって私とお母さんは似ていたって別の人なのに」と思っていました。イコールじゃないんだよ。違う考え方だってするんだよ。どうしてそれが分かってくれないんだろう。

大学時代、学費や生活費を出さないと言いながら門限を定めたあれは、札束で顔を叩いているのと変わらない。理由を言わずに「親の言うことを聞け」は、ただの横暴でしかないのです。言ったほうはもう忘れているかもしれないけど、言われたほうは一生覚えているもんなんですよね。

今は同じく子を持つ親になった私だからこそ、あの時感じたことを子どもたちに感じさせないようにしたいと、切に切に思っています。

結び

自由な発想の子どもたちを見ていると、私とは全然違う人格だよなあとしみじみ思います。似たところもあるけれど、感動するところ、興味を持つところ、苦手なところ、全部違う。みんなちがってみんないいし、そういう違いをいちいち楽しめる人生ってサイコーじゃんと思えるんです。

そして今私がこういう発想になったのは、他でもない両親のおかげであることも事実。多少性格がひん曲がったけど(多少!?)、感謝もしています。我が子であっても別の人格として尊重できるという今の考え方、いわゆるアドラー的思考ができることは、今では自分のアイデンティティ。子どもたちと対等な関係で居るために、必要な発想だと思います。これからも、自分と他人(家族・友達も含む)の線引きをはっきりして、相手を尊重することを忘れずに生きていきたいです。

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