天才の共通点、妙な凪とか
凡才と名乗って10年、11年目に突入する。
世の中に天才は意外とゴロゴロいる。
会社や学校、集団生活や共同生活において長期間そのレールから外れていないと滅多にいないものだと思いがちだが、世の中からはぐれてしまえば野生の天才や鬼才、理性を保ったサイコ天才など様々な場所に色んな種類のポケモンがいる。
(ポケポケやっていますか?)
私は凡才だが、天才を見抜きやすいらしいし天才EXのカードを引き易い。要は運がいい。学は無い。多種多様の天才の中、今はインターネットにもゴロゴロ転がって天才だらけの海でバチャバチャ浅瀬でやっていて〝天才の共通点〟ってなんだろうと思った。なんだろうな。仕事柄、芸術をやっている天才に出くわす事が多いけれどそれで言えば《妙な静けさ》みたいなものかなと。
《妙な静けさ》ってのは作品やその作家のオーラや纒う空気が無音だったり、つめたい又はひんやりとした、時が止まっているような、凪のような。目紛しくありながら奇妙な時空感というかアンバランスな凪、鋭く澄んだ凪を持ち合わせている、ような気がする。作品を拝見、拝読、拝聴した瞬間に必ず訪れる。
しかし世間的には天才ってのは人から注目や称賛を浴びている間にしか目にする事が出来ないから希少と言われているのかもしれない。そうでもなく、なんていうかそういう人種って認識だ。ただ先天的天才と後天的天才、天才具合の割合と天才の期限というのはあると思う。《美》と似ているな。
《美》というのもまた天才の共通点である気がする。美学やその人の宗教がある。それも揺らがない、けれども何か危うげな雰囲気の美を持ち合わせている。醜い美というのもあるし、荒々しい生臭い美もある。表現に困るがヤツらはなんか、妙で、目が特に恐ろしい透明度をしている。それを幼さ、少年・少女性と例えたら良いのかどうかは分からないが。倫理や道徳に欠ける常軌を逸した美も含まれるのかもしれない。
自ら天才と名乗る人もいる。ナルシズムを強く感じる天才には何か異様なコンプレックスがあると思ってしまう。そして口が達者で行動力のある、人たらしが多い。ビジネスに長けていて、社会に紛れる事も出来る、カメレオンタイプというか。しかし日常の方ではどこか不安気な感じがする。でも実績的には天才と言わざるを得ない、そんな天才と出会ったことが何度かあった。彼らはそこそこまで地位を上げる。
非凡の天才未満というのもチラホラいる。
というか私がそう。非凡っていうか、凡才。
でも変わりものみたいな。
まあこの辺りは省いて良いでしょう。
さて、テーマにあった
〝孤高の天才未満 〟
について考えてみよう。
そして、孤高と言うなら最後の共通点として
《孤独》もあげておく。
なぜなら《妙な静けさ》も《美》の追求も《孤独》を飼ってなければ成し得ないことだから。
彼らは皆、恐ろしい。
孤独と言えど様々である。lonelyかsoloか。
天才かどうかはさておき、
孤高とは、俗世間から離れて自分自身の志を守ること、またはそのさまを意味する言葉
⚫︎孤立しつつ、自らの志を守ること
⚫︎ひとり他にぬきんでて高いこと
⚫︎ある種の信念や美学に基づいて、集団に属さず他者と離れること
⚫︎私利私欲を求めず他者と妥協することなく「名誉」や「誇り」といったものを重視する姿勢
とのこと、これってまさにこれまでに話した天才の共通点そのもの。俗世間から孤立して自分の宗教あるいは美学を持ち、その生き様と姿勢から妙な静けさが漂う。孤高がある種の天才の基盤なのかもしれない。例外はあるかもしれないが。
しかし問題は「天才未満」だ。
天才の基盤である孤高を纏いながら、なぜ天才未満なのか。世間から認知や称賛されていないからなのか、自分自身がそう決めつけているのか、孤高と名乗っているだけなのか。自虐か、それともこれは誰かの悪口なんだろうか。
そもそも天才とは鑑賞、観客側にしか分からない事かもしれない。だから、どうだろう。
もしかして「孤高の天才未満」なんて存在しないんじゃないか?ただ孤独の凡才なんじゃないか?
未満だからギリギリ天才の称号を取りそびれたのだろうか…
孤高であることはいいとして天才でなくても良い。未満でも以上でもどちらでも良い。生きていても天才と呼ばれる人もいれば、死んでから天才だなんて呼ばれる人もいる。
私は先程非凡の天才未満と自称したが、それが正体なのではないだろうか。結局は他人が世間が決める事柄である。それでも、信じ続けて貫き通すのは孤高と言える。その誠実性と没頭が何か天才と呼ばれるような抜きん出た何かを生み出すのかもしれないし。
まだ足跡がない場所まで辿り着き、それを理解して形に出来たならそれは天才の足跡だろう。
孤独な静けさが透き通る心に、他人はいなくて美しい。そしてすこし淋しい。
#古賀コン
-51.0分
