地元に眠る"宝"を発見!越ヶ谷宿の歴史が今、動き出す
日光街道越ヶ谷宿の存在
自分が地元のまちづくりに関わりたいと思ったきっかけになったのが、越谷市の中心を南北に貫く、日光街道越ヶ谷宿の存在でした。
ご存知の通り、日光街道は江戸時代初めに徳川家康によって整備された五街道の一つで、江戸から日光を繋ぐ主要道路として整備されたものです。
日本橋から数えて千住宿、草加宿に続く3番目の宿場として栄えたのが越ヶ谷宿です。
この辺りには黒い壁の重厚な建物が並んでいるなと、子どもの時から何となく認識はしていましたが、大学生の頃までは何気ない地元の風景として認識をしていました。
大学で地方のまちづくりを学び、社会人で伝統的な木造建築のイロハを学んだ自分にとって、地元に戻ってこのエリアを改めて歩いた時の衝撃は今でも忘れられません。
「越谷にまだこんな立派な建物が残っているんだ!」
何もないと思っていた地元の建築資源でしたが、実は比較的身近なエリアに残っていたのです。
当時、各地域で歴史的建造物等の保存活動や運動が起こっていたことをよく知っていた自分にとっては、地元でも保存や再生の活動が存在しているのかもしれない!という期待と、これらの建物を活かすことが出来れば、越谷も伝統的建造物保存地区等に指定される可能性もあるのでがないか!という希望が広がりました。
しかし、越谷で歴史的建造物の保存活動や運動をしている団体は見つかりませんでした。
当時埼玉県内では川越市の蔵の会や行田市の足袋蔵ネットワークなど、活発に活動している団体を知っていただけに、
「なぜ越谷にはないのか?」
と疑問に感じながらも、地元での活動をスタートさせたい想いで、周辺への聞き込みを開始しました。
動きが出始めたのは、越ヶ谷宿で現役の金物店を営業されていた木下半助商店さんとの出会いでした。
木下さんは今後の建物の維持管理について色々と検討をされており、税制面でも優遇を受けることが出来る登録有形文化財への登録を検討されているということでした。
「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」の発足
直感的に越ヶ谷宿の未来を考えていくきっかけとなるプロジェクトだと思った私は、この検討会の会議に参加させていただくお願いをしました。
この検討会議こそ、後の「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」の発足に繋がる動きだったのです。
その後会議が進められる中、他にも越ヶ谷宿に残る歴史的建造物の価値を再評価し、建物を維持しながら次世代に残していこう!という機運が高まり、「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」が設立されました。まさに自分が必要だと思っていた歴史的建造物を活用したまちづくりの組織が出来上がったのです。

この時私は地元の建築士として、専門的な観点から建物の価値を判断していく役割を担うことになりました。ただ、最初から建物に手を付けるわけにもいかず、まずはこの会の活動の手掛かりとなる動きをメンバーと共に考え、活動がスタートしました。
この団体は今年で14年目を迎え、現在自分は二代目の会長を拝命しております。
このような市民団体が地元の未来を見据え、継続的に活動する重要性を実感しています。
さらに、行政側が寄り添い、ビジョンを共有していくことが不可欠であり、今後はその実現に向けた働き掛けを進めていく考えです。
