コメントは "魂" とのふれあい
チョット時間が空いたので~♬
あまり何処そこへと足跡を残すことも羽計りながらであるからして、コメント自体書くことは特別多い方ではない。
時候の見舞い、挨拶を書くにおいては定型文が主体となるであろうから然程の気遣いも無く丁寧に感謝を紡ぐだけで思いは伝えることができるだろう。
しかし作品を読ませて頂いてコメントを入れるという行為は簡単ではない。
わたしが最も気をつけていることは、作者の魂に感応することであり、感応したことを感動をもって伝えさせていただくことである。
まぁ、有体に言わせてもらうなら、読めなくば書けないコメントであるからして、自分のお里を晒すことと紙一重ではある。
素人であるからして、分を弁えて~が基本。ましてタダで読ませて頂いているわけだからして、作品の批評に繋がるようなことは書かないことが前提。
コメントを貰った方も、コメントを読んだ人たちも気分が悪くならないことを前提としている。先打ちされた、的を射た的確なるコメントなど目にすると嬉しくなり、静かに席立つことの方が少なくない。
その方が品もよろしい。
ここで原稿を書いておられる以上、大なり小なり作品には"魂"が込められている。時には「筆の迷い」として、揺らぎとして、勢いとして。たった一つの言葉として単語として。魂は何処そこに顔を覗かせる。ある時は創作姿勢として_______ わたしがコメントを書かせてもらうときには、基本的にこれられに感応したことを伝えるようにしている。
時には行間にすら魂が滲む。
せっかくだから_______ どうせのことなら触れたいじゃないの。
書き手の魂に。それぐらいしか、ここで頂いた御恩は返せないのだから。
わたしの「読む」とはそういうことだ。
ただし…… 吾イデオロギーの琴線に触れた際には躊躇はない。
本当に申し訳ないが、基本的には「モチベ系」は読まぬようにはしているのだが、自分の言葉で、自分の体験を通じて昇華させた作品には敬意をもって読ませて頂いている。
同時に書き手の人間形成上の主要ファクトとなり得ていると感じられる作品も読ませてもらっている。が、この場合がややこしい。時として制御不能な我がイデオロギーがムクムクとしてくる(笑)のであります。
が、すぐ忘れる。図々しい。迷惑な奴である。そりゃぁもう瞬間湯沸かし器並みに吹きこぼれる。が、どうでもよくなるのも早い。迷惑千万(笑)
しかし、これもひとつの感動の結果であるからして、うまうまと書き手の手練手管に嵌ったと云えなくもない(笑)
「うまくいった🎶」ぐらいに考えておいてほしい。
三歩、歩いたら忘れている。一晩経ったら思い出すのも難しいwww
上記Linkにわたしの大好きな作家さんのことを書いたものがあるのですが。
こういう原稿を書くのも簡単ではない。
基本、人間は自分が見たいようにしか見ない生き物という前提があり、それらが離合集散を繰り返しマジョリティーを形成し、同調圧力を強めること欲する生き物だ。
今のわたしに至って思うことだが。歳を重ねて良かったと思う。価値観の断捨離が機能させられているのだから。
それもこれも、ここのフォロ友さんの寛容さあってという前提ではあるのですがね。
了
