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随想好日『もう一つの北野病院』

 手術がおわり、はじめて目を覚ましたのは日が変わって深夜のことだった。目が覚めたという感覚からはほど遠い中、どちらかと言えばフワフワと漂っているような浮遊感を感じながら、一瞬だけ目があいた。
 生きているのか死んでいるのか一切判然とせぬままのうちに再び眠りに堕ちた。
 生きてたか。そう感じることができたのは、夜が明けて陽も高々と昇ってからのことである。

『今何時? 』
霞がたちこめ、朧をまとった我が視界の片隅には、ICU詰めの看護師の姿が点滴の交換やらで立ち働いている姿が滲んでみえた。
 聞いたか聞かぬか分からぬうちにわたしはまた眠りに堕ちていた。
【手術は終わってしまったのだなぁ……。 多分、良くなるのだろう。】
けして安心ばかりとは言えぬ思いが脳裏に去来していた。
けしてホッと胸を撫で下ろすとばかりは言えぬ思いが、術後というインターミッションを彩る。
 心楽しみに更新を待つネトフリドラマであれば良いのだが、心躍る続き物を読ませて見せることなど適わぬ生きすがら。The Endの幕が曳かれていても後悔はなかった。そう。きっとそれが一番楽なのだ~ そう覚悟を決めて術室に入った。
【まだ生きれと言うのか。何のために。まだ探せというのか。価値を。】
 覚醒からはほど遠い混濁した意識の中、半ば恨み言の断片を紡ぎつつ再び眠りに堕ちた。

 シッカリと覚醒したのは翌日の朝だったろう。いつの間にか部屋も移動させられていた。11階 消化器外科病棟の看護婦詰め所脇の個室だった。
幸いなことに「せん妄」は無かったようだ。最も気にしていた事柄だっただけに、看護師に確認の言葉をかけたのだが問題は無かったと聞けた。

 この日からだ。早速のリハビリ歩行がはじまった。ホッチキス留めされた腹を伸ばすと、腹の皮が引き攣り痛みが強くなる。幾分前屈みとなり、ゆっくりと病棟を歩く。
 画の多い病棟であり病院だった。

 3月の術前入院の際に感じていたことだが、美しい画がいたる所の院内壁面を飾っていた。どの画も楽しい画ではない。美しい画たちであった。
シッカリとした画力筆力に裏打ちされた、愛するに値する美しい作品群。
 わたしのリハビリは、この日から院内凡ての画を愛でる旅となった。
 が、なんらかのイデオロギーを感じさせる「主張」からは距離を置いた作品群であることがわたしの心を穏やかにしてくれた。
 どの画も「沁み込む」ように語りかけてくる画たちだった。

 誰もしらない。看護師も術医も誰も知らないわたしのリハビリの道は病院中の画をめぐる巡礼の旅となった。

 いつしか、あまりに出歩くわたしを見咎めたのだろう。わたしがリハビリから自室に戻ると看護師がやってくるのだが、その看護師の距離が近いことに気が付いた。
「そうか…… そう思うか ? しかたあるまいなぁ」そう思うようになっていた。たぶん、看護師は、わたしが喫煙に行っていると考え、匂いを嗅ぎに来ていたのだろう(笑)
 まぁ、不良患者ではあるが、流石に術前術後ぐらいは人目を盗みタバコを吸うなどはしない。
 余程、画を鑑に行っているのだよと言いたかったが、言ったところでこの辺の感じ方は個々人の「持ちモノ」によってであるからして、理解を得られることも無かろうと言葉にすることを控えた。


退院後もリハビリは続けている。
今日も7000歩ほど歩いた。
退院翌日などは、片道4キロ強の道のりを歩いてパチンコ屋に出向き、2時間ほどパチンコに興じてみたが、どうにも面白くない。
煌びやかに移り変わるパチンコ画面を眺めていても、入ってこない。
むしろ、ド派手に色合いを変える画面の向こうには、北野病院で眺めた数十枚の絵画たちがその存在を確かならしめていた。

 穏やかで嫋やかな筆の伸び。攻めどころ心得た印象と写実の共棲。
命の抓みの勘所を抑えた色使い。
パチンコからは感じ取ることの出ない生の匂いと命の匂い。

命をもらったと同時に何か違うものも貰って来たようだが、今のところまだそれは分らぬ。ただとても薄っすらとした消え入りそうな何かなのだが。



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