夜勤明けの日、性善説と性悪説について考える─。
ある年配看護師さんと夜勤を終えた翌朝、
仲良しナースがふとこんな話をしました。
「◯◯さん(夜勤を一緒にした年配看護師)と
△△さん(別の年配看護師)って、
同い年で小中の同級生なんだよ」
私:えっ……嘘でしょ? あの2人が??
驚きすぎたのには理由があります。
😵実は、その日の夜勤は最悪だった
というのも、◯◯さんは
⚫︎頭に血がのぼりやすい
⚫︎怒りの沸点が低い
ことで職場内に知れ渡っているナース。
自分が歳をとって動けないことや、
デジタルに弱いことを言い訳にして
仕事の多くをこちらに丸投げ。
それなのに、手順が少しでも自分と違うと
烈火のごとく怒りだす。
市中病院を転々としてきた“猛者”感満載で、
悪口・陰口は大好物。
自分のことは棚に上げて、
同年代の看護師を“動かない人”扱いして吊し上げる。
──そういうタイプの方。
その日の夜勤は、
その悪癖がいつにも増して炸裂し、
私は要所要所で理不尽な怒りを浴びて
ボロボロに使い潰されました。
😇一方、△△さんはまったくの逆。
柔和なマダムのような雰囲気で、
若手にも敬語で接し、威張らない。
人柄はとても穏やかで優しく、
陰口を叩く様子も一度も見たことがない。
その2人が「同級生」だなんて……。
この瞬間、私は高校時代に習った
性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)を思い出しました。
🥸性善説・性悪説って、実は“教育の話”
性善説と性悪説は、
よく誤用されることが多く、
「人間は生まれながらにして善人か悪人か」
という考え方のように使われがち。
どっちを信じるか、どっち派か
などと議論されることも多いですよね。
※こんな感じで。この方の記事、分かりやすくて面白い🤣 ゼヒ見てみてください。↓↓↓
でも改めて調べてみると、
本来この2つの思想は、
「教育や規範がなぜ必要か」ということと、
その方法論を説いたもの。
⚫︎性善説:人には善の“兆し”がある
→ 教育で善を伸ばせる
⚫︎性悪説:人は放っておくと悪へ傾きやすい
→ “礼”(規範やルール)を学ぶことで良くなれる
性善説が楽観的で、性悪説が悲観的な
アプローチという違いはあれど、
簡単に言うとどちらも、
「人は学ばないと良い人間にはなれず、
扱いづらい生き物なんですよ」
という教育論なのだそうです。
でも、高校生の私はそこを十分に理解できず、
⚫︎元々いい子でも環境で悪くなる
⚫︎元々悪い子でも努力で“いい子っぽく”なる
……そんな雑な話として捉えてしまい、
「なんかどっちの説もタチが悪いな」
と、思ったことをよく覚えています。
🧐睡眠不足の頭で考察してみる。
◯◯さんと△△さんは、
小中学校までは同じ環境だったはず。
その後の人生で、
環境が2人をまったく違う性格にしたのか。
それとも──
◯◯さんはもともと悪人で、
△△さんはもともと善人だったのか。
夜勤明けのぼんやりした脳で、
そんなことをずっと考えてしまっていました。
結局のところ、
人は“本性”と“環境”のどちらでできているのか、
答えなんて出ません。
ただひとつ確かなのは、同じスタートでも、
環境と出会いが
人格を確実に変えていくということ。
だからこそ、
職場という“環境”選びは本当に大事だと思います。
考えると、△△さんは
教育システムの整った大規模公立病院で、
子どもが育ち上がるまでの30年以上を
過ごしてきた方でした。
👊夜勤明けの結論。
やはり、最終的には
性善説と性悪説の本来の意味に戻ってきます。
「人は学ばないと扱いづらい生き物」
性善説も性悪説も、
実は同じようなことを言っていました。
2人の違いは、おそらく
“教養があるかどうか”──その一点。
そして、
◯◯さんとの夜勤にクタクタになった今、
私はこう思う。
学ばなかった人間は、本当に扱いづらい。
歴史上の思想家の主張に、
激しく同意し、
真の解釈を学び得ることができた気がする
2025年、夜勤明けの冬の午後なのでした。
_ END _
