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ニューヨーク・シカゴの旅 - その 3-4 (Village Vanguard)

長い一日

 この日は本当に長かった。それにも関わらずこの旅の中では最も歩いた一日だった。腕につけた Fitbit はこの日に歩いた歩数が41,000歩を少し超えていることを記録していた。こんなの、ちょっとしたハイキングよりもずっと多く歩いていたことになる。
 しかも前日は興奮して一睡も出来ていなかった。それは Blue Note NYC に行って、興奮したことにもその一因ではあった。だが、決して自由の女神像を楽しみにしていたたからではない(貶しているわけではない)。それはこの日の夜に向かう場所が主な理由だった。
 そういう理由で、この日は念のため夕方頃にホテルで1時間ちょっと仮眠を取った。コンサート中に疲れて眠り込みたくなかったからだ。
 こうして夜の部の Jazz パートを楽しむためにグリニッジ・ヴィレッジへと足を向けた。


僕が Jazz を聴きはじめた頃のこと

 僕が20歳になるかならないくらいの頃、バーで流れる Jazz に興味を持った。「これぞ大人の教養だ」くらいな適当なことを考えていたんだと思う。
 そして TSUTAYA に行って、Jazz のコンピレーション・アルバムを何枚か借りて聴きはじめた。その頃に知ったアート・ブレイキーやソニー・ロリンズ、ハービー・ハンコックは今でこそ大好きだが、その時から好きだったかというとそうでもない。ただただ「お、おぅ」などと呟いて、如何にも知ったような気分になって聴いていたというのが実情だ。きっとはじめてイカの塩辛やロックフォール・チーズを食べたときの感覚に似ていたんじゃないだろうか?
 しかし、そんな全く Jazz の良さが分からない僕でも「これはキレイな曲だ」と思った一曲がある。それがビル・エヴァンスの “Waltz For Debby(曲)” だった。それはエヴァンスが若かりし頃、“Village Vanguard” で行った演奏をレコーディングした曲だ。

 ちなみに、“Waltz For Debby (アルバム)” はユニバーサル・ミュージックが2014年10月から期間限定で発売した “Jazz の100枚” という名盤100選の中で、最も売れたアルバムだそうだ(BARKS,  “一番売れたジャズアルバムはビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビイ』”)。
 Jazz の良さを全く理解していなかった若かりし頃の僕にでも理解できたんだ。それは至極当然のことだろう。

 その後も僕は Jazz を聴き続け、今日に至る。その間、Village Vanguard の名前は何度も耳に、いやアルバムをライナー・ノートを見ていたので目にしていた。 そしていつの頃からか、「いつか Village Vanguard で生の演奏を聴いてみる」ということが僕の一つの夢となっていた。


自分にとっては夢でも、他人にとってはどうでも良いということ

 この旅で僕は Village Vanguard で演奏を聴くという長年の夢を実現することにした。これは僕にとっては、旧約聖書に書かれているモーゼがイスラエルの民をカナンに導くのに40年も掛けた話に似たものを感じた。
 しかし、「時間とお金をかけたらすぐに行けるだろ?」と言う人もいるだろう。更には、旅の前に会社の同僚と話している時にこんなことも言われてしまった。

「Azukiさん、夏休みどこかに行くんですか?」
「ニューヨークにJazzを聴きに行こうと思ってるんだ」
「えぇJazzですか? 格好良いなぁ。でも良く分かんないですよねぇ」
「うん、まぁ、流行っている音楽じゃないし、曲を聴く機会があっても名前までは調べないよね」
「そうですね、なんか敷居が高いっていうか」
「そんなこと無いって。カフェやショッピング・モールに行ったら普通に掛かってるし」
「そうですね、BGMってところですね」
 彼にとって Jazz は単に雰囲気作りの音楽でしかないようだ。その同僚はさらに続ける。
「でもどこで聴くんですか?」
「あぁ、いくつか行きたい Jazz クラブには目星を付けているよ、例えば Village Vanguard とか」
「え、本屋ですか?」
「はっはっは……」
 最初、彼が言った言葉は冗談だと思って、作り笑いをした。しかし、その後の会話で、彼はをそれを本気で言っていることが分かった。僕はちょっと引いた。
 わざわざニューヨークまで行って Jazz を聴く。それは僕にとっての夢なのだが、他人から見ればどうでも良いことなのだろう。それでも僕は可能な限り(そしてあまり他人に迷惑をかけないで)自分のやりたいことをやって、自分の行きたい所へ行きたいと考えている。


ついにやってきた Village Vanguard、そしてこの日のプレイヤー

 ホテルからの道のり、僕の緊張と興奮でそわそわしながら歩いていた。そして、夢の Village Vanguard の前までやってきた。しかし、その入り口があまりにも小さかったため「え? ここ?」と疑い、裏口にも回って確認した。名だたる名 Jazz プレイヤー達がここで演奏をおこなっている。そんな伝説的なクラブの間口は拍子抜けするくらい小さかった。

Village Vanguard のエントランス - 写真右下はドアを開けたところ

 広いか狭いかはどうでも良いことだ。重要なのはここでどんな演奏が聴けるかということ。そしてこの日のプレイヤーは  “Andrew Cyrille Quartet” だった。
「ふぅ、フリー Jazz のプレイヤーだ」
 フリー Jazz、これはなかなか難解だ。もともと Jazz はかなり楽器の編成、メロディー・ライン、そして小節のリフレインの回数まで自由な音楽だ。しかし、そんな自由な Jazz の中でもフリー Jazz は群を抜いて自由なジャンルだ。演奏がはじまる前の僕は、夢だった Village Vanguard に来れたことには興奮していたが、演奏を楽しめるかどうかは本当に不安だった。
 しかし、先に挙げたニバーサル・ミュージックの “Jazz の100枚” で2番目に多く売れたアルバムは Keith Jarrett の “Köln Concert” というフリー Jazz の演奏だ。このアルバムは僕も大好きな一枚だ。その中でもPart II c (フリーで演奏しているので曲名が無い)は地上で最も美しいピアノ・演奏の一曲だと僕は考えている。

 僕の、素人なりの、フリー Jazz の楽しみ方はプレイヤーの演奏が噛み合うまでの間、模索している時間 (僕はこの時間をチューニングだと考えている) を耐え抜く。そこからプレイヤーに降りてきた素晴らしい演奏を全力で味合うというものだ。ひょっとしたら、玄人であればそこに至るまでの過程も楽しめるのかもしれないが……。
 僕は期待と不安の入り混じる気持ちの中、Village Vanguard の階段をゆっくりと降りていった。

続く。


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