【市川三郷町花火資料館】夏のみ開館「神明の花火」の資料館
はじめに
平成の合併により市川三郷町となっている旧市川大門町は江戸時代からの花火の町です。毎年8月7日には県下最大の花火大会「神明の花火」が行われます。
神明の花火の打ち上げ場所にほど近い公園の隣に市川三郷町花火資料館はあります。ただし開館は夏季限定(2024.6.1~8.20)のうえ、時間も11時~15時とたいへん短いため、訪問難易度は高く、あまり知られていない資料館です。


神明の花火
神明の花火は、毎年8月7日(花火の語呂あわせ)に開催する県下最大の花火大会です。打ち上げ数はおよそ2万発で、直径およそ60センチの2尺玉が見ものです。人口1万4千人の町に20万人の見物客がやってきます。全国どこでもそうでしょうが、こちらもたいへんな混雑のため見物には相当の覚悟がいります。近年は有料観覧席が設けられておりますが、地元の方たちは見えるスポットをよく知っておられます。

出典 : 市川三郷町 神明の花火公式サイト
資料館の壁には、ずらりと第1回からのポスターが並んでいます。
意外にも歴史は新しい花火大会です。1989年(平成元年)に第1回、2020年(令和2年)は中止、2021年(令和3年)は規模縮小で開催。本年は第36回になります。ふと、どのポスターも「神明の花火」の書体は変わらず、町内には大門碑林公園もあるので所縁の書家によるものでしょうか(調査中)。
ちなみに、資料館では見学時に神明の花火のポスターを進呈されます(さて、どこへ貼るか・・・)。


市川の和紙と花火
旧市川大門町は紙の町、花火の町として歴史があります。紙については現在は近代的な製紙産業となり手漉き和紙の工房は数えるほどと聞いています。
この地に紙漉きが伝わったのは1000年前になります。甲府盆地が見渡せる平塩の岡に、甲斐源氏の祖、源義光(新羅三郎義光)の三男(次男とも)源義清(1075年~1149年、承保2年~久安5年)が館を構えました。その義光が京から連れてきた紙漉き名人の甚左衛門が紙漉きをこの地に伝えたといいます。
手漉き和紙の施設ではありませんが、平塩の岡の近くにその名を冠した施設があります。詳しくは下記をご覧ください。
後の時代になり、功績を称え甚左衛門を紙明神社(神明神社)にまつり、命日にあたる7月20日を祭りの日と定め盛大に花火を打ち上げました。これが神明の花火の始まりです。
神明の花火は江戸時代の元禄の頃には一層盛んになり、日本三大花火の一つとされたいへん賑わいました。
また、花火の製造には和紙が欠かせませんので、和紙が作られていたことも花火が盛んとなる要因でした。

出典 : 神明の花火倶楽部HP
その後明治時代に「神明の花火」は途絶えましたが、平成時代に入り現在の形で「神明の花火」の名を冠して大規模な花火大会が始まりました。
花火資料館に隣接する花火公園から土手に上がると見える300メートルほど下流の中州が打ち上げ場所です。
この中州は、釜無川と笛吹川が合流し富士川になるところです。


神明の花火倶楽部
幹線道路に面して建つ商工会のような建物に「神明の花火倶楽部」の事務局が入っていて、その並びの平屋が花火資料館です。
いつしか花火資料館は閉館状態にあったようで、町内の花火業者4社が協力し神明の花火倶楽部を立ち上げて、資料館を有効活用、管理、運営する組織として管理委託されています。

町内の花火業者とは、2社が打ち上げ花火店、2社が家庭用(おもちゃ花火といわれる)を販売する小売店です。
打ち上げの2社は、(株)齊木煙火本店、(株)マルゴーで、ともに全国花火競技大会で数々の入賞を果たすなど有名店です。この地域の花火職人の系譜がありますがこれを見ると2社とも同じ斎藤家の系譜です。
花火職人の法被には、マルゴーの前身「斉木郷作煙火」の名前があります。

花火資料館
花火資料館ですが、年間のほとんどはシャッターに閉ざされているため、開館している姿を見たらその鮮やさに驚きました。知らないと駄菓子屋さんの店舗と間違えそうです。
展示については、意外にも充実の内容でした。いや、そう思えたのは花火の専門家である管理人さんの熱い説明のせいかもしれません。
建物の外には打ち上げの筒があります。この筒は江戸時代から明治時代に使われたもので、欅の木をくり貫いて作ったものです。

2尺玉
中に入ると、小売店に入ったかのようです。受付カウンタには2尺の花火玉があります。



それにしても、館内は少し暑いです。市川三郷町は「財政非常事態宣言」を出しているためエアコンも2台のうち1台が故障したままなのです。町営の施設はみな縮小か廃止になっていますが、こちらの資料館は運営が委託されているのですが、それでも来年以降は開館できるかまだ分からないそうです。


神明の花火の映像
映像コーナーでは「神明の花火大会」「花火玉の製造」を見せていただけます。筆者は時間の都合上「花火玉の製造」だけ見せていただきました。


花火玉の作り方
映像で見せていただいた作り方の手順が展示も交えてパネルで解説してあります。
①配合・・・酸化剤、色火剤、助燃材を混ぜ合わせて花火の色や音の元になる火薬を作ります。
②星掛け・・・火薬を水で練って転がして玉状の「星」を作ります。
③星乾燥・・・「星」を乾燥させます。種類によっては何度も繰り返します。
④玉込め・・・半球状の「玉皮」のかなに星を敷き詰めます。
⑤玉張り・・・「玉皮」を張り合わせ球状にして「花火玉」にします。張り合わせには糊と和紙を使います。
⑥花火玉乾燥・・・「花火玉」を干して乾かします。
⑦完成・・・「竜頭」という持ち手のような部分と表面に名前を書いて完成です。

火薬を転がしては乾かして、詰めては乾かして、和紙を糊で張っては乾かしてととにかく乾かしてばかりです。山梨が日照時間で日本一と言われていますし、そうしたことも花火造りには有利な条件だったといえます。
花火玉作りの道具が並んでいます。
ブリキのたらいや篩は粉末の火薬を粒上にするためのものです。

薬研で硝酸カリウム、炭、硫黄を粉末にして火薬を作ります。

また、下の球状の木枠は「星」を並べる花火玉の表面「玉皮」を作るためのものです。

花火玉の内部構造
玉込めの段階の模型です。花火の内容によって詰められた星の大きさや配列も異なります。中心に向けて導火線が伸びています。


この説明で分かったのが、中心側に籠めてある玉は外側に現れるのです。開いた時と逆の構造で内部には籠められているのです。

四角い枠は「星」の大きさをはかる道具
花火の色に対する解説があります。焔色剤で色を造り、光輝剤で鮮やかな色を造り出します。酸化剤と可燃材・助燃材を加えて本来燃えにくい金属化合物を燃えやすくしています。
これら花火の原料や色を造る焔色剤(色火剤)はビンに入り置いてあります。


そして完成した花火玉です。表面を和紙で何重にも貼られ、導火線が出ています。一番小さいサイズが2.5号で外径6.9センチメートル、一番大きいものが20号(2尺玉)で外径55センチメートルです。

20号玉(2尺玉)です。内部は小さいさ尺玉がいくつも入ったような構造です。他にも神明の花火で打ち上げる花火が展示してあります。


打ち上げ
いよいよ打ち上げです。打ち上げの仕組みがパネルで解説してあります。花火筒と呼ばれる筒の中に花火玉を入れます。底に打ち上げ用の火薬が入れらており、この火薬に着火させることで花火玉が上昇します。火薬の着火により花火玉の導火線にも火がついて上昇中に導火線の火が花火玉の中心部に達して花火玉がさく裂して色鮮やかな花火になるという仕組みです。
花火筒の直径を何尺といっており、花火玉の外径は一回り小ぶりのサイズとなります。2尺玉を打ち上げる場合、花火筒の直径が60センチ(2尺)のものを使い、花火玉の外径は55センチメートルです。底に入れる火薬の量は2キログラムにもなるといいます。

パネルのある写真は、神明の花火大会での打ち上げ準備の様子を写した写真パネルがあります。

ドラム缶を積んだような金属製の筒が2尺玉を打ち上げるためのものです。この筒は見えている部分と同じ長さが地中に埋めてあるのだといいます。玉を込めるのにはクレーンを使います。

打ち上げ筒を実際に見ることができます。



横たわっている筒は山車についている筒で山車から外して展示しているといいます。


置いてある打ち上げ装置は昭和の終わり頃から平成にかけてのもので古いタイプのものといいます。現在はPCで制御しているそうです。
打ち上げ筒も鉄、アルミ、グラスファイバーなど材質が進化しているといいます。

市川花火の歴史年表や古文書
ガラスケースの中に市川大門の花火に関する古文書があります。

こちらは明治時代初期の「製造許可願い」で当時は、誰でも届を出せは花火の製造が認められていたといいます。

そしてこちらは、打ち上げるための届です。

ところで、凧のように見えるダルマさんは「ポカモノ」といい明治時代頃まであったもので折りたたんで花火珠の中に仕込んで落下傘のように落ちてくるのを楽しんだ物といいます。

こちらは江戸時代に使われた花火の玉入れの箪笥です。1859年(安政6年)の製造で桐で作られ表面には金箔が施されています。

花火公園
資料館の敷地に隣接して花火公園があります。ちょっとした遊具があるだけですが、土手に上がれるようになっていて東屋があります。土手からは笛吹川と釜無川が流れ見えて、前述のとおり300メートルほど先で合流します。
実は公園と資料館のある敷地はかつてのごみ焼却場の跡地といいます。跡地に花火公園と花火資料館を整備したらしいのです(裏付け調査中)。

土手へ上がれるようになっています。

神明の花火は江戸時代には日本三大花火の一つとされたといいましたが、「七月おいで盆過ぎて 市川の花火の場所であい(会い=愛)やしょ」とうたわれ、恋人たちの出会いの場としても親しまれてきたそうです。
そうした言われにちなみ「神明の花火倶楽部」によって2014年(平成26年)に設置されたのが東屋の中にある「神明の鐘」です。2尺玉をハートが包んでいます。


出展 : 神明の花火倶楽部HP
2尺玉を上げなくなった事情 (2024.8.12追記)
noteクリエイターのayoさんからの情報で今年の神明の花火は2尺玉を打ち上げないと知りました。
立ち寄る機会がありましたので再度訪問し、熱い説明をしてくださる管理人さんに伺うと、有料観覧席のエリアを広げた影響で消防法の許可が下りなかったのだといいます。安全のため一定の距離は必要とのことです。
財政難の市川三郷町なので収益確保を優先したことは想像に難くないです。
ちなみに尺玉は330メートルの高度に対して2尺玉は500メートルまで上げるそうです。
花火の玉の大きさごとの打ち上げ高さを示した資料がありました。お台場の観覧車が基準になっているのが面白いです。

また、かの隅田川花火大会で許可されているのは5号玉までです。ビルなど都会で構造物が密集しているためです。打ち上げ高度は190メートルです。スカイツリー展望台より下というわけです。

ふと、金額的な費用を伺うと1尺玉は1発6万円、2尺玉は1発60万円だといいます。この金額は15年ほどまえの資料からです。直径が倍で10倍の金額は驚きですが、花火にはスポンサーがつくので金額的なものはあまり問題ではなさそうです。
あらためて花火の打ち上げ高度の話を聞いて2尺玉や隅田川花火大会など打ち上げ場所の事情が大きいことが分かりました。
おわりに
開館日数はたいへん少ないのですが、時間に余裕を持っていくとよい資料館です。管理人さんが熱心に説明してくださり、さらには世間話にまで、まさに話の花が咲きます。
向かいには「神明の花火倶楽部」の小売店(株)タチカワがあります。NHK「ドキュメント72時間」にて「山梨・花火専門店 静かな夏物語」(2021.9.21放送)として放送された有名店です。このお店の駐車場は資料館と兼用のため、みなさん資料館の前に車を停めて道路を横断して入っていきます。花火購入の前に資料館を見てみてはいかがでしょうか。

参考URL
神明の花火倶楽部(2024.7.11閲覧)
https://shinmeinohanabi.com/
