【90s Hankyu】今津北線の準急
2026年現在、今津北線経由の宝塚発大阪梅田行きの上り準急が存在する。しかし、過去には大阪梅田を発着とし今津北線を経由して宝塚に行く下りの準急も存在した。
それがまた中々に沼なわけですが……
◆登場
上り列車の歴史は長く、1957年から仁川発の準急が設定されているが、下り列車に至っては競馬臨時の急行などの臨時便を除き設定されていなかった。
ところが、1995年6月12日改正にて平日夕方に3本設定下りの準急が設定されることとなった。
◆運行形態
停車駅:十三・塚口・門戸厄神からの各駅
停車駅については上りと同じなのだが、今津北線の下りホームの有効長は6両編成分しかないため、この下り準急は6両で運転されることとなった。また、送り込みとして西宮北口からこの6両編成が急行として梅田まで運転されていた。
1995年当時は須磨浦公園乗り入れがまだ健在だったので、同じように6000系や7000系の6両編成を使う………なんてことはなかった!!!
確かに須磨浦公園乗り入れに使われるような6両編成も使われていたのだが、さすが我らの阪急電鉄といった具合に珍編成が多く存在した。

1995年当時、朝ラッシュ時は6両編成の梅田方に4両編成を増結して運転されていた。そのため、この当時には2両編成と4両編成の増結車があったわけだ。
というわけで(?)この2両編成と4両編成を連結して今津北線経由の下り準急に充当されることとなったわけだが……ここで当時の2両編成と4両編成の増結車を見ていただきたい。

先に書いておくと、6000系や8200系は須磨浦公園行きの特急に連結されることがメインであったため準急に充当されることがあったのかはわからないがあまりないはず………(知識不足ですみません)
というわけで7000系や8000系が使用されるわけだが、7000系の4両編成のなかに7035+7036という編成がある。お察しの良い方ならわかると思いますが、この編成が準急に充当された場合……
2+2+2のブツ6が誕生することとなる!!
(最近ブツ6が誕生したのであまり珍しさは感じないかもしれませんが)
とはいえブツ6が準急や急行の種別を表示するのは中々に面白いかと思います。これが日常的に見られたわけですから、当時の人は羨ましい限りです。
◆1998年2月15日ダイヤ改正
1998年2月15日のダイヤ改正により、須磨浦公園乗り入れが廃止となり、基本的に8両編成に統一されることとなりました。
そのため、6両編成で運転されている準急は廃止……とはならず引き続き運転されることとなりました。
とはいえ基本的には8両編成に統一されることとなったので、6両編成は2両編成を連結するなどして8両編成化されました。(こんな簡単に終わらせられる話でありませんが、それだけでいくつ記事を書けることになるのか…)

最終的に2+6の編成はこのように落ち着いたのですが、これらは本線上でも使用するためすべての編成を6両編成に分割して使うわけにもいきません。
当時6両編成が本線で廃止されても今津北線では普通に6両編成で運用されていたわけです。しかし、これらの編成はあくまで今津北線の車両なので3000系や5100系など……
しかし、このタイミングで急に制限が解除されこれらの編成も使われることとなりました。
とはいえさすがに看板車や最高速度に制限がある3100系は使用されず、3054や5118などの編成が使われることとなりました。

3000系が6両編成で本線上を走るのは1979年ぶりとのことで大変珍しい形となりました。(10数年後に復活することとなるのですが…)
とはいえ、珍編成と呼べるような編成はなくなったのでひとまずこれで……ともいかないのが阪急電鉄
2000年8月に神戸線にこれまた面白い編成が誕生してしまう。

阪急ではそれなりにある変な編成ですが、この編成も梅田方2両の7005×2と7024×4+7026×2に分割して、7024×4+7026×2が準急に充当されたことがありました。
◆廃止
なかなかに迷要素があったこの今津北線経由の下り準急ですが、2001年3月のダイヤ改正で廃止されることとなりました。
明確な理由は不明ですが、夕ラッシュ時は朝ラッシュ時と比較して、乗車が分散されるためそこまで乗車率がよくなかったのではないかと思われます。
わざわざこのために6両編成を運用に入れなければならず、また西宮北口駅の下り線から上り線を止めて今津北線へ入らなければならないので、非効率的だと判断されたのではないでしょうか。
◆最後に
かなり駆け足で書いたので、読みづらい箇所もあったかと思いますが、大目に見てくださると幸いです。
これからもどんどん書いていくつもりなので、見てくださるととても嬉しいです!!!
