あの旅を、これからの音に
今朝、ニューヨーク在住の日本人ギタリストのYouTubeライブを眺めていました。
セントラルパークを歩きながらの配信でした。
画面越しの木立や冬の光を見ていると、胸の奥のどこかがふっとほどけました。
親が介護状態になる前、私たちは長期休暇を取り、妻とよく海外へ出かけていました。
アメリカやイギリスを、ゆっくりと巡っていました。
なかでもニューヨークは特別な場所です。
美術館を歩き、セントラルパークを抜け、パークアベニューを通り、グランドセントラルステーションの天井を見上げる。
その一つ一つに、妻との時間が折り重なっています。
あの頃の私たちは、円も強く、為替をあまり気にせずに旅ができました。
どこへ行っても、人間らしさやのどかさ、そして一期一会の出会いに触れることができました。
今の生活状況や為替のことを考えると、
「また二人で海外を旅することがあるのだろうか」と、ふと考えてしまいます。
欲を言えば、イギリスの湖水地方やコッツウォルズを、ロンドンからレンタカーを借りてゆっくり巡ってみたいのです。
けれど、世界情勢や物価のことを思うと、当時のような空気がそのまま残っているとは思えません。
もしかすると、あの時代に味わった“人の温もり”や“心の余白”は、
もう簡単には出会えないものなのかもしれません。
そう考えると、私たちは一番良い時期に、かけがえのない経験を積ませていただいたのだと思います。
あれはお金で買えない財産です。
記憶というより、感性の織物のように、心の奥に静かに織り込まれています。
そして今、私は思います。
あの時に触れた空気や光、人のまなざしを、
自分たちの音楽に乗せることができたら、どんなに幸せだろうかと。
旅そのものは、もう簡単にはできないかもしれません。
けれど、あの体験は消えていません。
むしろ、時間を経て熟し、
いまの私たちの音の中に静かに滲み出るのではないかと思うのです。
私と妻は、これまで六年、音楽を続けてきました。
野外で演奏し、動画を撮り、少しずつ自分たちらしい音を探してきました。
派手ではありませんが、確かな時間でした。
あの旅で触れた光や風、街のざわめきや静けさ。
それらは、知らず知らずのうちに私たちの中に溶け込み、
いま奏でている一音一音の奥に、きっと息づいているはずです。
だからこそ思うのです。
経験という財産を、音として翻訳できる力を持ちたいと。
感性だけでは届かない。
やはりある程度の技術を磨く必要があります。
あの旅を懐かしむためではなく、
あの旅を、これからの音にするために。
いつの日か、また二人でどこかを旅することがあるかもしれません。
それが海外であっても、日本のどこかの町であってもかまいません。
大切なのは、どこへ行くかではなく、
どんな音を携えて生きていくかだと思うのです。
過去に与えていただいた豊かな時間に感謝しながら、
それを未来へとつなぐ準備を、今日も静かに続けていきたいと思います。
そんなことを考える、日曜日でした。
