僕が僕であるためにfeat.〜おばあちゃんの無条件の優しさ〜
大学生の頃尾崎豊に憧れ、Youtubeに上がっている尾崎豊の「僕が僕であるために」
という曲のライブ映像を何十回と観た。
その映像での尾崎豊のデニム、そして白Tと青色のギター(Ovation)スタイルに
憧れ同じ色の入門アコースティックギターを二万円で購入した。
デニムも、その映像に近しい色味のものをリーバイスの専門店で購入した。
大学一回生のなけなしアルバイト代ではかなりの背伸びをした金額だった。
お洒落な店員さんにビビりながら汗だくで試着させてもらったのを覚えている。
店員さんは親切に、「丈は何センチ切りますか?」と聞いてくれるが、
高いのに切るのは勿体無いという理由のもと、丁重にお断りした。
白Tは超王道のHanesのパックTを購入し、これで晴れて尾崎豊スタイルは完成である。

嬉々として家の近くをあてもなく、尾崎豊スタイル(背中にはギターバッグを背負って)で周回した。
誰かに見てもらいたくて、でも見せる相手もいなくておばあちゃんの家に
ギターを買ったことをわざわざ報告しに行った。
おばあちゃんという存在は孫の話を何でも肯定しながら聞いてくれるので僕は自分の自意識の
恥ずかしさには何一つ気づいていなかった。
無条件の優しさとは時に暴力ですらある。

見た目第一優先主義ではあったが、何とか憧れていた「僕が僕であるために」と
「シェリー」という尾崎豊の有名な2曲はコード進行を見ずとも弾けるようになるくらいまでは練習した。
その後、尾崎豊の曲を人前(と言っても30人くらい)で弾き語りする機会は何度かあった。留学先の中国の現地大学生の前で歌った時はかなりポカンとされた。
留学しているのなら、普通は留学先の言語の歌を覚えて歌うべきであろう。
当時の浅はかさときたら自分に恐怖を覚える。
そしてアコースティックギターがインテリアと化した10年後の現在、
この「僕が僕であるために」という曲を最近またよく聴くのだが、
多感で、簡単に傷ついてしまう18-20歳の青年の心理を詩的に表現した曲だなとしみじみ思う。いつの間にか26歳という若さで亡くなってしまった尾崎豊の年齢を超え
もう時期30歳になろうとしている僕であるが、僕は「勝つ」ことが出来ているであろうか?「正しいもの」の答えに近づけているだろうか?
シェリー いつになれば俺は這い上がれるだろうか?

2回目の投稿にして既に、相当痛々しい文章をあげてしまいましたが、
この自意識は尾崎豊スタイルをとめてくれなかったおばあちゃんの
無条件の優しさのせいということにしておきます。
おばあちゃん、これからも健康で長生きしてね。
