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兵站戦記 第十五話 中央アジア連邦

1926年、モンゴル国の独立・近代化に道筋がつくと、日本は中東地域への近代化協力を目的に中央アジア、イラン、中東イギリス委任統治領への進出を図った。

目的は第一次世界大戦後、グレートゲームのソ連、イギリスが共に経済的に疲弊して空白地域となっていること。ソ連の南下を食い止めること。極東から中東までの鉄道路線によって、海運と合わせて内陸国経済圏を構築すること。地中海への窓口を確保し、欧州への貿易を活発させること。

1926年の中央アジア、中東の状況

モンゴル国で実証した砂漠・ステップ気候を利用した近代化は中央アジア、中東でも活用できることから、技術的ハードルはなかった。

一方でこれらの地域はイスラム教の宗教圏であり、近代化にあたって大きな抵抗勢力になるうることは、ラマ僧侶を多く擁するモンゴル国で学んでいた。イスラム教の戒律や文化を学び、尊重し、その上で近代化を図ることを第一に考えた。

中央アジアの胎動

1918年のロシア事変後から中央アジア地域において、ムスリム住人のロシア人に対する不和があり、その支配に対する抵抗としてバスマチ運動が各地で高まっていた。

カスピ海の対岸に敵対するソ連領土がある為、日本軍はこの地に駐屯していたが、領有するロシア人支配層のムスリム住民に対する扱いには目に余るものがあった。トラブルを抱えたムスリム住人が日本軍の駐屯所に訪れ、解決を図る事が頻繁にあり、比較対象として日本人の信用は増す一方だった。

不安定な状況が改善されない限り、ソ連の侵攻を許す可能性が高いと日本は考え、日本はロシア帝国に対して以下の提案を行う。
・ロシア帝国領のムスリム居住地域を民族居住地域ごとに国家分割し、日本の保護国とすること。
・日本による近代化、経済協力、軍備強化を図り、ソ連侵攻の防衛拠点とすること。
・中央アジア鉄道をロシア帝国方面へ接続すること。

ロシア帝国は領土の半分を失うことになるが、現状ではシベリア鉄道沿線の都市復興が最重要であり、日本の資金、技術でムスリム地域の安定と近代化が図られるのであれば、拒む理由はなかった。また、中央アジアにロシア帝国が敷設していたカスピ海横断鉄道、トランス・アラル鉄道の権利を日本に売却することで、復興資金を得て、ノヴォシビルスクを中心に鉄鋼業とチュメニ周辺の油田開発に充て、重工業の素早い立て直しが図られた。

提案の合意により、5つの共和制国家に分割。
カザフスタン共和国
ウズベキスタン共和国
トルクメニスタン共和国
キルギス共和国
タジキスタン共和国

さらに5つの共和国を1つの連邦国家にまとめ、中央アジア連邦が成立。
これは各国の天然資源、河川、鉄道、エネルギーを共通財産として管理する為であった。連邦の首都にはタシュケントが選ばれた。

この地域にはイスラム教徒が大多数であったが、スンニ派が圧倒的多数を占め、戒律(シャリーア)は中東地域に比べ、緩やかであった。

近代国家運営の為には政教分離を原則とし、国家運営の為の憲法と民事問題解決の為の民法に分けられ、シャリーアは民法に留められた。

シャリーアは各国の民族文化に基づき、民法に反映され、各国の特色となった。

河川開発

日本は中央アジア連邦全体の開発を行う為、モンゴル国と同様に総合技術団を派遣。各地の自然環境をくまなく調査しながら、国土開発に取り組んだ。

アラル海北部の小アラル海から北のエンバ川まで運河を建設し、そこからカスピ海までエンバ川の整備を行った。

小アラル海北部 → エンバ川上流への運河建設

・カザフスタン西部草原を横断(全長:約500〜600km)
・エンバ川改修・運河化(カスピ海北東岸へ接続)
・アラル海北部に調整ダム建設(水位維持・塩分制御・取水調整)
・アムダリア・シルダリアは全面農業転用不可(取水は制御的・季節的)

実質的にアラル海は調整湖、カスピ海は最終排水先に設計。

エンバ運河周辺の草原地帯に灌漑設備を整備し、小麦(春小麦・硬質)、大麦、飼料用トウモロコシ、甜菜(製糖)、亜麻、牧草を生産。綿花については限定的とした。

1930年にエンバ運河が開通すると鉄道よりも安価な交通輸送手段として連邦各国の物流として機能した。

砂と風の回廊

1920年代初頭。
モンゴル高原で日本の技術者たちが成し遂げた成果は、誰の目にも明らかだった。

・砂漠に建つ太陽熱蒸気塔
・風を受けて回る低速高トルク風車
・夜でも暖を失わない砂電池
・遊牧民のゲルに灯る電灯
・石炭煙の消えた空

そして何より――
「エネルギーは運ばなくてよい」という思想が証明された。
中央アジア連邦に派遣された技術団は即座に草原分散型動力供給網(ステップパワーポイント)をこの地で展開する。

ステップパワーポイント標準セット
・風力発電塔(主電源、昼夜対応)
・砂電池(蓄熱・冬季、夜間暖房供給)
・電動ポンプ(地下水汲み上げ)
・浄水装置(飲料水・医療用)
・蓄電池(ニッケル鉄電池、照明・通信)

トルクメニスタンのカラクム砂漠の砂を利用して砂電池を建設。
ロシア帝国のノリリスクで採れるニッケルでエジソン蓄電池を製造。

標準セットにより、発電、蓄電、暖房、浄水が各地の都市を近代化させていった。石炭ストーブから砂電池由来の暖房が煤塵を無くし、乳幼児の死亡率を大幅に下げていった。

安全の国

バスマチ運動の主な武装グループについては残滅せず、別の意義ある仕事を与えることで、彼らの尊厳を保ったまま、重要な力に変えていく。
馬賊は国境警備隊として主にソ連付近に配備され、北鎮軍の訓練の下、強化していった。傭兵や部族の戦闘を受け持つ人員については、鉄道警備や警察機構に組み込まれ、日本式の交番システムの導入によって地域住民の犯罪を取り締まり、街や道路に街灯が点灯していくと、犯罪も下がり、徐々に治安が回復していった。

教育制度

初等教育(6年生)と中等教育(6年生)の7歳~18歳が義務教育とされ、無償で提供された。また給食制度によって貧しい家庭の子供たちがこぞって勉学に励む環境が整えられ、識字率が飛躍的に向上していく。

日本式の師範学校が大学と共に設立され、主に女性たちが就学前の幼年教育と合わせて、教職へ就いた。工学、農学、医学への高等教育(大学)への進学率は経済状況により、当初は少ないものの、学生をサポートする各家庭の経済状況が上向くにつれて、好転していった。

また、連邦大学として政治・経済を学ぶ政経大学、軍事を学ぶ防衛大学が日本の資本で設立運営され、完全無償・入寮制のエリート養成を行い、日本語の他、英語、フランス語の履修が必須とされた。

武士階級のあった日本の明治維新と異なり、イスラム法曹にエリート層しか持たない地域において、政治家、経営者、官僚、将校の育成は急務であり、優秀な人材を連邦全土から吸い上げる装置として発揮した。

日本による教育改革は現地のジャディード改革派知識人の協力により、現地の味付けが施され、日本式の教育一辺倒にならず、現地文化を活かしつつ、近代国家運営に必要な人材育成となっていった。

鉄道開発

ロシア帝国から購入したカスピ海横断鉄道トランス・アラル鉄道の複線化、電化を実施した。さらにはカザフ縦断鉄道を敷設し、ロシア帝国のオムスク~アスタナ~カラガンダ~バルカシュ~アルマトイを結んだ。
そしてアジア中央鉄道の一部としてタシケント~ビシュケク~アルマトイ~新疆方面まで敷設。沿線周辺にステップパワーポイントがあることで、電化は容易に進み、石炭に依存しない低コストのインフラを構築した。

中央アジア連邦の鉄道

北の食料庫

北カザフスタンは、厚さ1mを超える肥沃な黒土、年間降水量は少ないが集中型、地形はほぼ平坦で冬は厳しいが病害虫が少ないという、
条件さえ整えば世界最高水準の穀倉地帯だった。

ただ一つ欠けていたのが、動力・水、そして人手だった。

汎用無限軌道車の「農業化」

モンゴル戦役で実績を持つ七八式汎用無限軌道車は、ここで新たな役割を与えられる。主砲を撤去し、牽引フック・耕起装置を追加し、駆動系強化(低速高トルク化)こうして生まれたのが、履帯式草原トラクターであった。

戦闘で中破した車両の再利用として、トラクターは
・泥濘でも沈まない
・雪解け直後でも稼働
・燃料は石油・アルコール混焼可
軍事技術が、最も平和な形で転用される。

新たに生まれた重機によって、少ない人手で急速に穀倉地帯が整備され拡がっていった。
現地民にも次第にトラクターの運転を任せることで、有事の際には戦車操縦員として活用できるメリットがあった。

草原農地の基本構造

・ステップパワーポイントを建て、風力で発電
・砂電池、ニッケル鉄で電力を蓄熱、蓄電、平準化
・電動ポンプで地下水・運河水を揚水
・ガラス温室で苗を育てる
・履帯トラクターで一気に耕起

これにより、小麦/大豆/大麦/菜種が安定して量産されるようになる。
特に大豆は、乾燥耐性があり、窒素を固定し、高たんぱく質という特性から、中央アジア連邦の「新しい作物」となった。

大豆を使った日本食、調味料が持ち込まれ、ハラールに対応した味噌、醤油を開発。豆腐や大豆ミートが中央アジア地域の食卓に一般化されるまで、時間はかからなかった。中央アジアではレンズ豆・ひよこ豆・ムング豆といった炭水化物に分類される豆が伝統的に使われてきたが、大豆の植物性たんぱくが加わることで、食文化が豊かになっていく。

石油・ガス田の発見

1928年初夏。エンバ川河口付近で進められていたエンバ川運河工事は、中央アジア連邦にとって最大級の国家事業であった。
カスピ海とアラル海を結び、穀物・鉱物・人を動かすための“大動脈”を築く――その最中の出来事だった。

掘削作業中、川底から異様な匂いが立ち上る。
作業員の長靴が、ぬめるような黒い液体に沈んだ。

「……油だ」

その報告は、即座に日本技術団本部へ打電された。

到着した日本人地質技師たちは、即座に結論を出す。

「これは点ではない。帯だ。カスピ海北東沿岸全体が油田構造だ」

日本はすぐに、カスピ海沿岸一帯を対象とした大規模地質調査計画を発動する。

・地表露頭観察
・重力・磁気測定
・試掘井の段階的配置
・旧ロシア帝国時代の資料再解析

調査団は、エンバ川河口から北へ、南へ、内陸へと広がっていった。

アティラウ油田群の発見

1929年、決定的な報告が届く。
アティラウ(旧グリエフ)地下に複数層にわたる巨大油田群が存在する。

・浅層:軽質油(燃料向き)
・中層:中質油(潤滑油・化学原料)
・深層:重質油(アスファルト・重油)
これは単一油田ではなかった。
「カスピ北東油帯」

という、国家規模のエネルギー資源だった。

石油掘削の開始 ― 国家事業として

日本はここでも民間任せにしなかった。

1930年中央アジア連邦石油公社(CAF-OIL)設立
・掘削:日本式ロータリー掘削
・労働:現地労働者+日本技師
・防衛:連邦軍守備隊常駐

砂漠と湿地の境界に、鉄骨櫓が林立していく。
夜になると、ガスフレアがカスピ海の空を照らした。

燃料工場と精製施設の建設

アティラウ沿岸には、段階的に石油関連施設が整えられた。

第一段階:燃料精製
・ガソリン、灯油、軽油、重油
・鉄道、船舶(エンバ川運河経由)
・火力発電所
・軍需工場
すべてを内製化

第二段階:潤滑油・特殊燃料
・寒冷地対応潤滑油
・航空燃料
・無限軌道車用燃料
中央アジア連邦軍の機械化能力が飛躍

アティラウの街は軍民、他民族入り交じり、大きなうねりの中心となり、産業地帯として大きく発展していく。

1930年、カスピ海北東部での探索を終了した調査団は次の沿岸南東部のトルクメニスタンでガス田を発見。連邦全土にステップパワーポイントが普及していたため、補助電源として火力発電に用いられたが、国内使用量は少ない為、パイプラインを建設してアフガニスタンを経由してインドや、北の日本領イルクーツクへ送られた。

カスピ海沿岸コンビナート

対岸のソビエト連邦と南部のペルシアとの協議で領海線を設定し、沿岸から12海里の領海と、それ以外の水域については平等な漁業利用を定め、石油などの資源開発を行わないこととされた。防衛の為、軍港が整備され、カスピ艦隊を所有するロシア帝国海軍によって監視活動が行われることになった。

相次いで発見された石油とガスによって、カスピ海沿岸に化学コンビナートが乱立し、アスファルト(道路・滑走路)の他、以下の重要な化学工業品が生産され、主に日本へ輸出された。

1. 基礎化学品(Basic Chemicals)
アンモニア(NH3):天然ガスから合成ガス(CO + H2)を経由してハーバー・ボッシュ法で生産。
・硫酸(H2SO4):石油精製副産物の硫黄から製造。化学肥料や染料の原料として必須。
・ソーダ灰(Na2CO3):ガスや石油由来の副産物を用いて生産。ガラス・石鹸・染料産業向け。

2. 化学肥料(Fertilizers)
尿素(CO(NH2)2):アンモニアから派生。綿花・穀物栽培の増産を目的に大量生産。
・リン酸肥料(スーパーリン酸塩):石油精製の副産物や地元鉱物と組み合わせ。

これらは中央アジアの土壌改良に寄与。

3. 合成燃料・石油製品(Synthetic Fuels and Petroleum Derivatives)
ガソリン・ケロシン・燃料油:石油の蒸留・分解で生産。軍用航空燃料やトラクター燃料として軍需優先。
・潤滑油・グリース:重質石油から。機械工業の拡大に不可欠。
・合成燃料(Fischer-Tropsch法の初期版):ガスから液体燃料を合成。

4. 合成ゴム・高分子化合物(Synthetic Rubber and Polymers)
合成ゴム(SKゴム、ブタジエン系):石油・ガスからブタジエンを抽出・重合。1932年に世界初の商業合成ゴム工場を建設。タイヤ・軍需ゴム製品が作られた。
・初期プラスチック(フェノール樹脂、ベークライト):石油由来のフェノールから。電気絶縁材や軍用部品。

5. 軍需・工業用化学品(Military and Industrial Chemicals)
爆薬・火薬(ニトログリセリン、TNT):石油由来のニトロ化合物。
・染料・医薬品基礎(ベンゼン、トルエン):石油から抽出。
・溶剤・塗料:エチレン系から派生。工業機械の防腐用。

中央アジア連邦は日本経済圏において重要な燃料庫であり、化学工業の重要な供給地として確立することになる。


あとがきのコーナー

4回に渡ってモンゴル国の開発を詳細に綴ってきましたが、今後の中央アジア~中東までの砂漠地域は基本的にここでのノウハウが基本となります。そこから、各地自然環境と民族文化ごとにローカライズしていく作業になります。

史実では中央アジアはソビエト連邦の政策により、南部の砂漠地帯への運河建設(カラクーム運河)とアムダリヤ、シルダリヤ川の沿岸に強制移住させた朝鮮族による水稲農業と灌漑によって慢性的な水不足によりアラル海を消失させています。また、乾燥地帯での水田は蒸発を繰り返し、塩害が発生することになりました。政治的理由が原因でこれらの施策が行われた為、取り返しのつかない失敗が後の世代に引き継がれていきます。

一方で日本の技術団は農業と治水のプロ集団であり、運河とダムによる取水管理と輸送路を両立させ、連邦の大動脈として機能させています。
アラル海沿岸には漁港だけでなく、史実と違い、淡水湖として残った為、都市が作られています。







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