ヤヌスの鏡Part2.5(インボイス制度:世界編)
プロローグ
インボイス導入は平成27年12月に安倍内閣が決定。当時、麻生太郎氏は副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣を担当。つまり、「麻生太郎」副総裁の院政が今も続いている。また、財務省が強気なのは、麻生太郎氏の影響が強く、マイナンバーやインボイスは「国民監視」につながると苫米地英人博士が指摘。 pic.twitter.com/oq9nS4I66w
— あいひん (@BABYLONBU5TER) December 10, 2023
10月に導入されたインボイス制度。今後の日本社会に大きな影響を与えると思い、急遽noteにアップしました。
今回は『ヤヌスの鏡Part3』に進む前に苫米地英人博士が指摘する『巨大なシステム開発利権』と『マイナンバー利権』、そして『国民監視』につながる大きな背景(勢力)を深掘りしていきます。
第1章からいきなり最深部にいくので、ご注意ください。そしてPart2.5なのにクライマックス感強いです(笑)

私たちは誰しも、生い立ちや環境から何らかの思い込みや刷り込みによって「常識」を持っています。それは今まで生きていくために必要なものなのかもしれません。
しかし、その思い込みが行動を制限し、最初の一歩を踏み出させないともいえます。知ることなしに、私たちは選択をすることはできません。
つまり、知ることで、私たちは自分が望むもの、自分にとって良いと思うものを選ぶことができるのです。
「今を変えたい」「良くしたい」という強い意思を、そのまま知識を得る原動力に変えましょう。
第1章:タクシス家
The Princely House of Thurn und Taxis - Imperial Nobility of the Holy Roman Empire - Members of the Holy Roman Empire Association - The Princely House can be traced back to the early 12th century. The Counts de la Torre or Torriani settled in Cornello near Bergamo after the… pic.twitter.com/6QRPIboTUj
— Holy Roman Empire Association - HREA (@HREAssociation) December 16, 2024
トゥルン・ウント・タクシス家-神聖ローマ帝国の帝国貴族-神聖ローマ帝国協会会員-トゥルン・ウント・タクシス家は12 世紀初頭まで遡ることができます。
ラ・トーレ伯爵またはトッリアーニ伯爵は、ミラノ市の支配権をめぐる争いの後、ベルガモ近郊のコルネッロに定住しました。少なくとも一族の伝説によれば、彼らはタクシス家の先駆者と考えられています。
神聖ローマ皇帝フェルディナンド 3 世は、タクシス家をラ・トーレ伯爵の子孫として認め、以前の紋章に加えて、その紋章と名前を使用する許可を与えました。
トッリアーニ家の塔 (Torre) には、タクシス家のアナグマ (Tasso) が添えられています。この家は 1650 年以来、トゥルン・ウント・タクシス家として知られています。
トゥルン・ウント・タクシス家は、ヨーロッパの郵便制度を創設したイタリアを代表するロンバルディア出身の貴族です。タクシス家を中心に1490年から民間郵便会社が誕生して以来、 1600年代に入ると帝国郵便会社が発展しました。

1615年以降、タクシス家の当主は帝国の郵便局長に就任していました。1701 年に事業所をイタリア・ロンバルディア州からブリュッセルを経由し、フランクフルト・アム・マインに移転します。

1806年に神聖ローマ帝国が滅亡するまで、ほとんどの神聖ローマ帝国の統治者は、フランクフルト・アム・マインで選出されています。

そして、15世紀からフランクフルトには「フランクフルト・ユーデンガッセ」というゲットー(ユダヤ人隔離居住区)が存在し、ここに「ロスチャイルド家、シフ家 、オッペンハイマー家、ゴールドスミス家、シュテルン家」など、のちに世界を揺るがす国際金融資本家が自宅を構えていました。このフランクフルトを治めていたのが「ヘッセン家」です。
ヘッセン家

ヘッセン家は、わずかな例外を除き、宗教改革初期以来の敬虔なプロテスタント信徒の家系でもありました。

右:ヘッセン大公国とライン川の国章
興味深いことに、ドイツ語訳聖書の出版を可能にした技術である活版印刷は、ヘッセン家が治めるフランクフルトからライン川を隔てたマインツ出身のヨハネス・グーテンベルクが発明したものとされています。発明の背景に「ヘッセン家」が関与していたのは間違いないでしょう。

また、ヴィルヘルム六世(ウィレム六世)以後歴代のヘッセン=カッセル家の当主の母親は、全員がカルヴァン派信徒であり、ハプスブルク朝スペインに対する反乱である八十年戦争を開戦期に指導したオラニエ公一世の子孫です。
言いかえると、反ハプスブルク家の血統ということになります。オラニエ公については、↓の記事をご参照ください。

そして中世ヨーロッパでは、ドイツ諸侯が他の諸侯に軍隊を貸与することは一般的な慣習でしたが、17世紀から18世紀のヘッセン=カッセル方伯は軍隊を傭兵として貸し出すことで悪名が轟き、ヘッセン=カッセル方伯が治める地域の人口7%以上が軍務に就いていました。
世界史の傭兵といえばスイス傭兵やランツクネヒトだけど、18世紀ドイツのヘッセン=カッセル方伯領も凄い。人口の5~7%が軍務についていて、陸軍を傭兵として他国に貸し出していた。
— 零 (@zero_hisui) June 25, 2023
アメリカ独立戦争でもイギリスとの契約で2万人近くが派遣されている(当時のイギリス陸軍「全体」が5万人弱)
ヘッセン=カッセル方伯の軍隊は、他のヨーロッパ諸国の傭兵市場の供給源となっていたのです。

第3代プロイセン王であるフリードリヒ二世は、義理の甥にあたるハノーヴァー選帝侯兼イギリス王ジョージ三世 にアメリカ独立戦争に投入するためのヘッセン=カッセル傭兵軍を貸し出したことで有名です。
このためアメリカ人は、イギリス政府に雇われたドイツ人傭兵を「ヘシアン」と呼ぶようになりました。

これによりフリードリヒ2世は、イギリス政府に傭兵を貸与して得た報酬で豪勢な暮らしを送り、次代のヴィルヘルム九世(一世)はこの巨富の運用をマイアー・アムシェル・ロートシルトに任せたことにより、ロスチャイルド家発展の礎が築かれたのです。

つまりマイアー・ロートシルト(ロスチャイルド)は、両替商としてスタートし、ドイツ諸侯最大の資産家だったヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム九世(選帝侯ヴィルヘルム一世)の宮廷御用商人となり、その資金を運用して巨万の富を得たことがわかります。
"ジェイコブ・ロスチャイルド男爵は英国王室直属の貴族であり、ウィンザー家からナイトの称号も与えられています。ジェイコブ・ロスチャイルドは、チャールズ王のコーンウォール公国の財務・監査委員会のメンバーです" https://t.co/lPjD8r2MIo
— 霜月 やよい@「数」と「幾何学」と「象徴」 (@As_above_So_me) October 16, 2023
↑のポストはリポストであるにもかかわらず、表示されません。つまり「都合が悪い情報」だからです。こういう情報を見つけるのが本当の『X(Twitter)』の楽しみ方です。
つまり、王族御用達のファンドマネージャーが「ロスチャイルド家」です。この順番を間違えると「都市伝説」になるので要注意。

現在もフランクフルトは、世界屈指の金融センターで、ユーロ圏の金融政策を担う欧州中央銀行もあります。ここで、タクシス家の起源に遡ります。
(注)情報を守るため、有料部分の内容を第三者に話したり、画像を貼り付けたりすることはご遠慮ください。違反した場合、法的措置をとる場合があります。あらかじめご了承ください。
ここから先は
¥ 500
私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷
