キャンパス・ライブ ≪20≫最終話
第20話
卒業式当日。春の陽射しに照らされたキャンパスは、人で溢れていた。袴姿の学生。スーツ姿の学生。家族連れ。あちこちで記念撮影が行われている。
健人は町田と共にサークル室にいた。後輩の橋本や相原。修士課程を修了する中山さん。それぞれが卒業を祝い合う。
「じゃあ俺ら、研究室行ってくるわ」
健人と町田がそう言い残し、サークル室を後にする。
研究室に着くと、桜木町教授と鴨居さんが健人たちを迎えてくれた。
その少し後に、また研究室の扉が開いた。
「あっ」
扉から顔を出したのは、振袖姿の美咲だった。その隣には。結衣も立っている。健人と会うのは数ヶ月ぶりだった。
健人は一瞬だけ息を呑む。だが何も言わない。結衣は健人に一瞬だけ目を合わせると、軽く会釈をした。
「おお、古淵さん。久しぶりだね」
桜木町教授と鴨居さんが歓迎する。
「ご無沙汰してます。その節は、本当にお世話になりました」
結衣は深く頭を下げると、華やかな髪飾りが揺れた。教授も鴨居さんもどこか嬉しそうな表情を浮かべる。
「無事卒業だな。おめでとう」
「ありがとうございます」
その隣で、美咲もぺこりと頭を下げた。
「先生の研究室の生徒でも無いのに、いつもお邪魔しました」
「いやいや。こちらこそ楽しかったよ」
研究室には久しぶりに穏やかな空気が流れていた。
健人と結衣は互いに視線を合わせなかったが、以前のような張り詰めた緊張感もない。ただ、何を話せばいいのか分からない距離だけが残っている。
そんな空気を破ったのは鴨居さんだった。
「せっかくだし、写真撮る?」
「あ、絶対撮りたい!」
真っ先に反応したのは美咲だった。
「じゃあ桜の前に行こうか」
教授がジャケットを羽織る。研究室の窓から見えていた中庭の桜は、ちょうど見頃を迎えていた。
六人は連れ立って研究室を後にした。外へ出ると、春の日差しは柔らかく、冬の名残をすっかり押し流していた。
桜並木のある広場へ近づくにつれ、人の数も増えていく。袴姿の学生。スーツ姿の保護者。友人同士で写真を撮り合う卒業生たち。あちこちで笑い声とシャッター音が響いていた。
「すごい人だな」
町田が周囲を見回す。
「みんな考えること同じなんだね」
美咲が笑う。
満開の桜の下には、写真撮影の順番を待つ学生たちの小さな列までできていた。その光景を眺めながら、健人はふと足を止める。
四年前、不安と期待を抱えながら入学したこのキャンパス。その時間も、今日で一区切りなのだと思うと、不思議な感覚だった。
鴨居さんがカメラを構える。
「じゃあ撮るぞー。教授、もうちょい右」
「私が真ん中で良いんですか?」
「主役は卒業生だからな」
桜木町教授が笑う。教授を中心に、美咲、結衣、健人、町田が並ぶ。
シャッター音が響いた。
「鴨居さんも入りましょうよ」
結衣が言った。
「いや俺はいいよ」
「ダメです!先輩も研究室の一員なんですから」
結衣は近くを歩いていた学生へ声をかけた。
「すみません、写真お願いできますか?」
「あ、はい」
学生はスマホを受け取る。そして結衣の顔を見た瞬間、わずかに動きを止めた。
「あっ…」
ほんの一瞬だった。気付かない人もいるくらいの小さな反応。だが健人には分かった。おそらく知っている。あの騒動を。
健人の胸がわずかにざわつく。しかし結衣は何も言わなかった。ただ柔らかく微笑む。
「お願いします」
「あ、はい」
学生は慌ててカメラを構えた。桜の花びらが風に舞う。
「撮りますよー」
シャッター音が響く。撮影が終わると、教授が腕時計を見た。
「さて、私は次があるから失礼するよ」
「ありがとうございました」
学生たちが頭を下げる。
「君たちの未来を楽しみにしている。と言っても、3人はまた春から院生として顔を合わせるだろうけどな」
そう言い残して教授は去っていった。
「じゃあ俺も」
鴨居がポケットから煙草を取り出す。
「また吸うんですか」
美咲が呆れる。
「博士課程はストレス溜まるんだよ」
鴨居は笑いながら手を振り、人混みの向こうへ消えていった。
残されたのは、いつもの四人だった。しばらく誰も喋らない。風が吹き、桜が揺れた。
「私だけ社会人かぁ」
最初に口を開いたのは結衣だった。
「なんか変な感じ」
「確かにな」
町田が頷く。
「お前だけレベル上限解放だもんな」
「何それ」
結衣が笑った。
「でも寂しいな」
その言葉に、美咲が即座に返す。
「社会人になっても親友だからね!」
「うん」
結衣は少しだけ目を細めた。
「ありがと」
「たまには大学来いよ。研究室にも顔出せ」
町田が言う。
「うーん」
結衣は困ったように笑う。
「考えとく」
その返事に。町田は何かを察したように、それ以上は言わなかった。
「じゃあ俺、空手部寄ってくるわ」
町田が背を向ける。
「夜の飲み会でな」
「おう」
健人が頷く。
「じゃあ私も行くね。振袖返さなきゃ」
美咲がスマホを見る。
「また後でね。マス研の飲み会で」
「うん」
町田の背中が人混みの向こうへ消える。美咲も手を振りながら去っていった。
気付けば、桜並木の下には健人と結衣だけが残されていた。妙な沈黙だった。さっきまで賑やかだった桜の下が、急に静かになる。
つい数か月前まで、研究室で毎日のように顔を合わせていた。それなのに今は、何から話せばいいのか分からない。
数ヶ月前。最後に交わした言葉は、『もう私に関わらないで』だった。
遠くから聞こえる歓声。記念撮影のシャッター音。春の風が桜の花びらを運んでいく。
「就職、おめでとう」
先に口を開いたのは健人だった。
「あ、ありがとう」
結衣が少しだけ笑う。
「院進学、おめでとう」
「ありがとう」
また沈黙が落ちる。けれど今度は、あの日の研究室のような重苦しさではなかった。
何かを探るような。少しずつ距離を測るような沈黙だった。結衣は空を見上げた。
「ネットの情報、まだ結構残ってるんだよね」
健人は黙って頷く。
「検索すると出てくるし」
結衣は苦笑した。
「まあ、消えないんだろうなって思う」
少し前の彼女なら、その事実だけで泣いていたかもしれない。だが今の声には不思議と落ち着きがあった。
「でもね、最近思うんだ」
結衣は前を向く。
「消すことばっかり考えてても仕方ないなって」
桜の花びらが肩に落ちる。
「だったら、もっと大きなことをやろうかなって」
健人は黙って耳を傾ける。
「古淵結衣で検索した時にさ、喫煙美少女じゃなくて、別のものが出てくるくらい」
結衣が少し笑った。
「広告業界で有名になるとか?」
「そうそう」
「ハードル高いな」
「言ったな?」
二人とも少しだけ笑う。こんな風に話すのは久しぶりだった。
「でも、本気だよ」
結衣は真っ直ぐ言った。
「起きたことは消せないから、これから先で上書きする」
その言葉に健人は静かに頷いた。
「結衣らしいな」
「そっちは?院で何やるの?」
結衣が尋ねる。健人は少し考えてから答えた。
「まだ正式には決まってないけど、フロンティアAI寄りかな」
「へえ。なんだか難しそう。」
「生成AIの安全性とか、ガードレールとか、検知技術とか、AIの暴走を防げる仕組みが作れないかなって」
結衣が目を見開く。
「まだ諦めてないんだ」
「いや、まあ…」
健人は笑った。
「でも前とは少し違う」
「違う?」
「今回ので分かったから」
桜の木を見上げる。
「問題の根っこは、人間の方だ。フェイクニュースも。炎上も。私刑も。」
健人は続ける。
「それに、善意も混ざり合ってる。だから、誰が悪いとか簡単に言えないし、憎しみの連鎖を生んでしまう事もある。」
健人は、少しだけ笑った。
「俺も、その中に取り込まれそうになってた…」
結衣は黙って聞いていた。
「だから技術だけで全部解決できるとは思ってない。でも、少しでもマシにできるならやってみたい」
結衣はしばらく何も言わなかった。そして、ふっと笑う。
「変わったね」
「そうかな?」
「うん。ちゃんと人が見えてる」
その一言だけだった。けれど健人には、それが妙に嬉しかった。
風が吹いて、桜が舞った。
「ねえ」
結衣が言った。
「今度、ご飯行かない?」
「いいね!」
健人は即答した。
「じゃあ、町田にも…」
「違う…」
結衣が珍しく即座に遮った。
「え…?」
結衣は少しだけ困ったように目を逸らす。
「だから…、二人で…」
健人が固まる。数秒。思考が止まる。
「今回の件でさ、ちゃんとお礼できてなかったし。私の就職祝いもしてもらわなきゃだし…」
そう言いながらも、少しだけ耳が赤い。
「分かった」
「じゃあ、今度ね…。また連絡する」
結衣が笑った。健人も笑う。
桜の花びらが風に舞い、青空へ吸い込まれるように流れていった。
完
