キャンパス・ライブ ≪17≫
第17話
夕暮れの翠ケ原駅前。仕事帰りの人々が改札に吸い込まれるように流れていく。
健人は駅前の歩道に立ち、ビルを見つめていた。あの、複数の暴露系動画チャンネルを運営をしてる人間が、このビルの中で働いているかもしれない。
相手に会える保証なんて無かった。今日、出社しているかも、何時に帰宅するかも分からない。
ビルのエントランスに入ると、カウンターの受け付けと目が合う。慌てて目をそらして、隅のソファーに腰を掛けた。
初めて入るオフィスビルに、背筋が伸びる。学生の自分が場違いな存在であるのは、誰の目から見ても明らかだった。
17時を過ぎると、一人、また一人と、スーツ姿のサラリーマンがセキュリティゲートから出てくる。彼らは、異物を見るかのように健人に視線を向けた後、何事もなかったかのように前を向き直し、急ぎ足で歩き去っていった。
しばらくすると、疲れた顔の大人たちが続々とと出てきていた。健人は、奴を見逃さないように次々に視線を移す。
その時、一人の若い男性が目に留まる。黒いビジネスリュックを背負い、白いワイシャツ。首から社員証のストラップが覗いている。それは、奴のSNSで何度も見た顔だった。
健人は急いで立ち上がり、その男に駆け寄る。
「突然すみません」
男が足を止める。
「…はい?」
怪訝そうな表情だった。
「少し聞きたいことがあって」
「誰ですか」
「あなた、『真相暴露チャンネル』などを運営してますよね?」
男の顔が固まった。一瞬だけ。だが確かに固まった。
「…何のことです?」
「喫煙美少女の件です」
男は黙った。数秒の沈黙。やがて思い出したように口を開く。
「ああ」
健人は眉をひそめる。
「ああ?」
「なんかありましたね、そんなの」
その返答に、健人は言葉を失った。
男は首を傾げる。
「えっと…大学生でしたっけ?」
「大学生の女の子ですよ」
健人は低い声で言った。
「数日前、たくさん動画を上げていたでしょう?その動画を見た人たちが、今も誹謗中傷を続けてる…」
男は困ったように笑った。
「いや…でも、ネットの情報をまとめただけですし」
「事実確認は?」
「そこまでは…」
「してないんですか?」
「いや、だって速報性が大事なんで」
悪びれる様子もない。ただ当然のことを言っているようだった。
「根拠もない話を動画にしたんですか」
「根拠がないとは言ってませんよ」
男は少しムッとした顔をする。
「たくさんソースが見つかりましたよ」
「ソース?」
「SNSとか掲示板とか」
「だから載せた?」
「そうですね」
健人は言葉を失った。男は腕時計を見る。
「それで、今日は何の用です?」
「動画を削除してください」
男は首を傾げた。
「本人から依頼されたんですか?」
「違います」
「じゃあ、ご家族かなにかで?」
「違う」
「弁護士…では無いですよね?」
「はい…」
男はため息をついた。
「じゃあ、あなた誰なんですか」
健人は答えなかった。
「本人が困ってるんです」
「それは分かりました」
男は淡々と言った。
「でも、本人から連絡が来てるわけじゃないですよね」
健人は何も言い返せなかった。
「すみませんけど、第三者の人に言われても対応できないです」
健人の拳が強く握られる。
「第三者?」
「違うんですか?」
男は不思議そうな顔をした。
「あなた、あの子の何なんです?」
その言葉に、健人は一瞬返答に詰まった。
「…と、友達です。」
「それを第三者と言うんです。お気持ちは分かりますが、真偽を確かめる方法が私にはありません。」
「じゃ…、じゃあ、本人を連れてきます!それなら…」
男は小さくため息をつく。
「もう分かりました…。今回に限って、彼女についての投稿は非公開にしますよ。もう旬も過ぎたしね。ただし、これ以降私に会いに来たら、業務妨害と見なしますよ。」
男は健人を鋭く睨みつけた。お礼を言うのもおかしいと思い、健人は黙り込んだ。
「てか、私だけ非公開にして、何の意味があるんですか?」
健人は黙り続ける。
「満足しましたか?じゃあ、用が無いなら、これで」
男は再びサラリーマンの波に呑まれて行った。
次の日、研究室のドアを、健人はいつもより少し勢いよく開けた。
「みんな、あのチャンネルの動画、非公開にさせたよ」
弾んだ声だった。達成感と、誰かに認めてほしいという飢えが、その表情ににじみ出ていた。
ノートPCに向かっていた町田、結衣、美咲の三人が同時に顔を上げる。だが、研究室に返ってきたのは、健人が期待していたような歓声ではなかった。冷たい沈黙だった。
「…え? どういうこと?」
美咲が困惑したように声を漏らす。
「だから、動画の投稿者を特定して、直接会ってきたんだ」
健人は胸を張って、そう話す。
「翠ケ原駅前のIT企業に勤めてるエンジニアの男だった。昨日、ビルのロビーで待ち伏せして問い詰めたんだ。最初はすっとぼけてたけど、泳がせながら外堀を埋めていったら、最後は折れて非公開にするって約束した。ほら、もうあの動画、消えてるだろ?」
健人は満足げに笑った。自分がどれだけ有能なスクリプトを組み、どれだけ鮮やかにストーキングに近い調査をやり遂げ、大人の男を追い詰めたか。それを褒めてほしかった。
しかし、結衣の顔に浮かんだのは、安堵ではなかった。血の気が引き、青ざめた肌。怯えを含んだ目で、健人をじっと見つめている。その視線に気づかないまま、健人はさらに熱を帯びて言葉を続けた。
「あいつ、俺だけ消しても意味が無いって言ってたけど、確かにその通りなんだ。あのアカウントは潰したけど、ネットにはまだ似たような自動生成動画が溢れてる。だからさ、他の動画投稿者も同じように特定しよう」
健人は身を乗り出し、結衣の目を真っ直ぐに見た。
「上手くいくことが証明されたろ? 今度は結衣も一緒に来てよ。本人が居ないと『第三者には対応できない』って突っぱねるやつもいるからさ。本人が横にいれば、一発で消させられる」
良かれと思っての提案だった。これが一番合理的で、一番確実に結衣を救える方法だと信じて疑っていなかった。
「もうやめて…」
かすれそうな声だった。結衣は両手で顔を覆い、肩を震わせながら、声を絞り出した。
「もうやめて、健人…。お願いだから…」
健人は一瞬、耳を疑った。差し出した手が、空中で止まる。
「え、なんで…?結衣を苦しめてる動画を消せるんだよ? 悪い奴らを、ちゃんと一網打尽にできるんだよ?」
「まだ分からないのか?」
地響きのような低い声が、研究室に響いた。町田はゆっくりと椅子から立ち上がり、健人を冷徹な目で見下ろした。その目には、怒りと、それ以上の「軽蔑」が混じっていた。
「お前がやってることは、古淵を救うことじゃない。自分の正義感を満たすために、被害者を引きずり回して戦わせようとしてるだけだ。あいつらのオフィスに乗り込んで、また学内みたいに騒ぎを起こす気か? 古淵の顔を、これ以上世間に晒す気かよ」
「違う! 俺は…!」
「お前は長津田を責めてただろ」
町田が一歩、健人に詰め寄る。
「今のテメエの目は、あの長津田と全く同じだ。相手を特定して、追い詰めて、支配して満足してる。お前、それ気づいてないのが一番やばいぞ」
「…っ!」
健人の脳内に、怒りが一気に沸点へと達した。視界が真っ赤に染まる。
結衣を傷つけた動画を消してやった。誰も動かないから、自分がリスクを背負って動いた。それなのに、なぜ犯罪者と同類のように扱われなければならないのか。
「結衣のためにやったのに…! なんでみんな、そんな事言うんだよ!」
困惑と、裏切られたような激しい怒りで、健人は声を荒げた。
結衣は小さく身を縮め、美咲がそれを庇うように結衣の肩を抱きしめている。その二人の姿すら、健人には「自分を拒絶している」ようにしか見えなかった。
「もういいよ」
吐き捨てるように言うと、健人はノートPCを乱暴に閉じ、バッグに押し込んだ。椅子が床を擦るけたたましい音が、静かな研究室に鼓膜を刺すように響く。
健人は誰も振り返らないまま研究室を飛び出した。激しく閉められたドアの音が、残された空間にしばらく虚しく鳴り響いていた。
