キャンパス・ライブ ≪4≫
第4話
「センサー、置いてきたよ」
その日も、センサーの設置報告を兼ねて、結衣がふらりと研究室にやってきた。
「ありがとう! 適当にその辺座ってて」
キーボードを叩く指を止めずに健人が応じる。その横で、町田が画面を睨んだまま皮肉げに口を開いた。
「しかし、よくあの堅物で有名な教授に取り入ったな。部外者のくせに、今じゃ完全に入室をパスしてやがる」
「『取り入った』なんて人聞きの悪いこと言わないでよ。一般教養でたまたま先生の授業を取ってて、顔を覚えてもらってただけ」
結衣はくすくすと笑いながら、健人の隣に腰を下ろした。健人は一瞬だけ彼女に視線を送り、気恥ずかしそうに椅子を深く座り直した。
「あ、古淵さん。今日も来たんだ」
鴨居さんが眠そうな顔をしながら、研究室に帰還した。
「鴨居さんこそ、ここに住んでるんじゃないですか?」
結衣が手で口を押さえながら笑う。
「教授、社会人上がりなんだけど、現場主義でさ。付き合ってると、気づけば深夜なんだよ。0時過ぎると、もう下宿先に帰るのが面倒になっちゃって…」
頭を掻きながら、疲れた声でボヤく。
「帰らなくても良いですけど、風呂は入って下さいよ!」
町田が茶化すように笑う。
「失礼なやつだな。体育館のシャワーを浴びてるし、着替えだって常備してるぞ。ほれ」
サーバーのファンで乾かされるタオルを指さした。
結衣は、生活感の溢れる研究室を一通り見渡した後、視線が健人のノートPCで止まった。
「ねえ、ずっと気になってたんだけど、このキャラクター、何?」
彼女が指差したのは、天板に貼られたペンギンのステッカーだった。
「ああ、これ? これは『Linux(リナックス)』っていう、世界中のサーバで動いているOSのマスコットなんだ。ほら、こっちにも」
健人は少し得意げに、自分のリュックに揺れるペンギンのキーホルダーを指し示した。
「あ、本当だ。成瀬くん、このキャラが好きなの?」
「キャラも好きだけど、それ以上に、これを作った開発者に憧れてるんだ」
健人の声に、熱がこもる。結衣は何も言わず、ただ静かに彼の横顔を見つめていた。
「彼は学生の頃、世界一になるようなOSの核を、『趣味』で作ったんだ。独占して大富豪になれたかもしれないのに、彼はあえて無料で世界中に配ったんだよ。」
健人は目を輝かせる。
「まあその後、周りが勝手に彼を神輿に担いで、結果的には大富豪になったけどなぁ。人生わかんねぇよ」
鴨居さんが眼鏡を拭きながら口を挟む。
「けどその結果、見ず知らずのプログラマーたちが善意でそのバトンを繋ぎ、磨き上げて、今のインターネットができた。俺は、その『顔の見えない善意』の連鎖を信じてるんだ」
健人が結衣の方を向き、真っ直ぐに彼女の瞳を見た。
「この『キャンパス・ライブ』も同じだよ。誰かの役に立ちたいだけで動く場所が、ネットに一個くらいあってもいいだろ?」
結衣は、その迷いのない言葉を、真っ向から受け止めていた。
「ふん、OSSなんて脆弱性公開RTAだろ」
町田が冷笑する。
「でも、徹夜で修正パッチ作ってくれる奴、たまにいるんだよなぁ」
鴨居さんが斜め上に首をかしげながら、過去に思いを馳せる。
「なんかよく分からないけど、鴨居さんって、年齢以上の風格があるね」
結衣が少し引き気味に笑う。
しばらく作業を続けていた健人は、一段落ついたところで椅子を回し、辺りを見渡した。研究室の隅では、結衣が真剣な表情でレポート用紙に向かい、カリカリとペンを走らせている。
「今どき手書きのレポートなんだ」
健人の素朴な疑問に、結衣が顔を上げた。
「ね、そう思うでしょ? 指が死にそう」
「やっぱり、文学部だからそういうアナログなこだわりがある教授が多いの?」
「違う違う。AI対策。去年まではWordでデータ提出だったらしいよ」
その言葉に、それまで沈黙していた町田が、鼻で笑いながら割って入った。
「根本的な解決にはなってねーな。調べたり文章を考える部分は、結局AIでできるじゃねーか。書き写す手間が増えただけだろ」
「そうなのよ! ホント無駄だよね」
結衣は心底迷惑そうに、インクのついた中指を振ってみせた。
「てか、ポータルにアップする方が、よっぽどAI対策出来るけどな。類似チェック回せば、だいたいバレる。手書きはむしろ、そのチェックが出来ないからな」
町田の専門的な指摘に、結衣がギクリと肩を揺らした。
「え、そんなことできるの? ヤバ、この前のやつ、バレてるかも!」
「なんだよ、結局AI使ってんじゃねーか」
町田がこらえきれずに吹き出す。結衣は開き直ったように唇を尖らせた。
「そりゃ、今どき使うよ。効率化でしょ?」
「まあ、俺も使ってるけどな。」
町田はキーボードを叩く指を止め、結衣を盗み見て鼻で笑った。
「良いこと教えてやる。複数のAIに書かせればいい。それを最後に合体させたレポートを作らせるんだ。それなら、AIの癖が消えて、だいぶ独自性が出る」
「え、なにそれ! 今度やり方教えてよ」
「面倒くせえ、自分で調べろ」
「ケチー」
「盛り上がってるところ悪いけど、続きは二人でやっといて。ちょっと教授に授業の手伝い頼まれてるから、行ってくる」
健人が立ち上がる。
「あ、俺もタバコ。古淵さんは、タバコ吸わないの?」
鴨居さんが指を二本立てる動作をする。その瞬間、結衣の表情が一瞬だけ強張った。
「す、吸わないです…。」
目を合わせず、うつむきがちに答えた。
「鴨居さん、古淵さんが吸うはず無いじゃないですか!」
健人はそう言い残し、鴨居さんと一緒に研究室を出ていった。
扉が閉まり、静寂が戻る。結衣と町田の二人だけが残された室内で、それまでモニターを睨んでいた町田が、キーボードを叩く手を止めた。彼は画面から目を離さないまま、低く、吐き捨てるように言った。
「あいつは、お前が思ってるよりずっと馬鹿だぞ」
結衣が問い返そうとすると、町田が言葉を重ねた。
「自分のサイトに脆弱性が見つかれば、徹夜してでも直す。ユーザーから不具合の報告があれば、デート中だろうがPCを開く。あいつは、自分の技術を信じてる奴を、絶対に裏切らない」
町田はそこでようやく、結衣を真っ向から睨みつけた。その目は鋭く、氷のように冷たい。
「だから、もしお前が健人を傷つけるような真似をしたら、俺が地の果てまで追い詰めて、隠し事を暴いてやる。覚えておけ」
「成瀬くんを傷つけるなんて、そんな事…」
「だと良いけどな」
その時、防火扉が開いて、橋本と相原が研究室に入ってきた。
「あ、先輩たちいたんですか。」
「どうしたんですか?険しい顔して」
相原が不安そうに訪ねる。
「ううん、何にもないよ」
結衣がいつもの日だまりのような笑顔でその場の冷たい空気を温めた。
