見出し画像

150年以上続く『日本の英語教育のバグ』を18歳の青年が解体していく物語(執筆中の本の一部を公開)

一、英語教育の黎明期——明治維新という転換点
日本における組織的な英語教育の歴史は、明治維新直後にさかのぼる。1872年(明治5年)、政府は「学制」を公布し、上等小学校(現在の小学校高学年に相当)において英語教育を認めた。先駆けとして慶應義塾幼稚舎はすでに1870年代初頭から英語を取り入れており、その後1886年に高等小学校制度が整備されると、都市部を中心に英語教育は急速に広まっていった。
当時の英語教育は、今日とは根本的に目的が異なっていた。明治政府の急務は「富国強兵」であり、西洋の技術・制度・学問を一刻も早く吸収することであった。英語はそのための「情報取得ツール」に過ぎなかった。したがって英文を日本語に置き換え、個々の単語に訳を当て、英和辞典を整備していくという翻訳主体の学習法は、当時の国家的要請に対して合理的な解答であった。コミュニケーション能力は必要とされておらず、英語を「読み解く」力さえあれば十分だったのである。

二、150年後の現実——世界92位という衝撃
時代は変わった。しかし、教育は変わらなかった。
スイスの教育機関EFエデュケーション・ファーストが毎年発表する「EF英語能力指数(EF EPI)」の2024年版によると、日本は世界116カ国・地域中92位という結果に終わった。これは過去最低の順位であり、2011年に同指数の測定が始まって以来、11年連続でランキングが下落し続けている。評価区分では5段階中下から2番目の「低習熟度(Low Proficiency)」に分類され、平均スコアは454点と、世界平均の477点を23点も下回る。
アジア内に目を向けても、日本の立ち位置は芳しくない。シンガポールが世界3位(最高習熟度)、フィリピンが22位、マレーシアが26位であるのに対し、韓国は50位、中国でさえ91位と日本に迫る。東・東南アジアで日本より低い評価を受けたのは、ミャンマー(93位)、タイ(106位)、カンボジア(111位)のみである。
さらに見逃せないのは、スコア内訳の偏りだ。日本人英語学習者は「読む・聞く(インプット)」能力と「話す・書く(アウトプット)」能力の間に著しい乖離がある。理解はできるが表現できない——この非対称性こそ、日本の英語教育が長年積み上げてきた「歪み」の正体である。


三、なぜ変わらないのか——構造的慣性の正体
問題の根源は、教育方法が時代の要請と完全に乖離しているにもかかわらず、制度がその慣性を維持し続けていることにある。
その象徴が大学入試制度だ。国立大学の二次試験においては、いまだに「英文和訳」や「和文英訳」が出題される。大学入試共通テストでこそリーディングとリスニングが課されるようになったものの、スピーキングやライティング(産出能力)を直接評価する仕組みは依然として整っていない。入試が変わらない限り、高校教育は変わらない。高校教育が変わらない限り、中学・小学校の英語も変わらない。これが日本の英語教育が陥っている「制度的硬直」の構図である。
加えて、教員の英語運用能力という問題もある。文部科学省は英語教員に求める英語力の目安としてCEFR B2レベル(英検準1級相当)以上を示しているが、実態との乖離は小さくない。教員自身が「使える英語」を習得していなければ、授業でそれを教えることはできない。
小中高と12年間英語を学び、大学でも必修として履修する。それでもなお英語が話せない。この「学習の無効性」が常態化している背景には、英語が「コミュニケーションの道具」ではなく、「解読すべき記号の体系」として教えられてきた歴史がある。

四、国際社会における英語の現在地
現代における英語の位置づけは、明治時代のそれとは根本的に異なる。
今日、英語は単に外国の文献を読むための道具ではない。国際会議や多国籍企業の会議では英語が共通語(リンガ・フランカ)として機能し、海外の大学への進学にはTOEFLやIELTSで一定基準を超えることが求められる。国連・WTO・IMFなどの国際機関では英語が主要な公用語であり、科学論文の大半は英語で書かれている。インターネット上の情報においても、英語コンテンツはその他の言語を圧倒している。
日本はGDPで世界上位に位置する経済大国でありながら、英語力という点において発展途上国と肩を並べる水準にある。グローバルな人材獲得競争が激化し、AIと英語を駆使したビジネスが世界標準となりつつある今日において、日本人の英語力不足は個人の問題にとどまらず、国家の競争力に直結する構造的課題と捉えなければならない。


五、問いの転換——「なぜできないか」から「何を変えるか」へ
150年前の要請に応えるために設計された教育方法が、150年後の現実に適合していないのは当然である。問うべきは「なぜ日本人は英語ができないのか」ではなく、「何を変えれば日本人は英語を使えるようになるのか」である。
本書ではこの問いに真正面から向き合い、英語を「科目」から「道具」へと転換するための実践的な考察を重ねていく。入試改革、カリキュラムの再設計、教員育成の在り方、そして個人レベルでできることまで——問題の根を正確に診断したうえで、処方箋を提示することが本書の使命である。

いいなと思ったら応援しよう!