『INCUBATE』という「音の殴り合い」
「『INCUBATE』というアルバム、というか『PARADE』を作ったのが森岡最大の功績」
こう発言した時点で、藤井麻輝が「『INCUBATE』は森岡賢のアルバム」と言っているも同然である。事実、昔からのファンの間では「初心者はインキュベでも聞いてろ」というのが通例だったりする。それぐらいに森岡色を強く感じる。
というのも、それまでのソフトバレエの歩みを見ると「苦難を乗り越えて『愛と平和』でやっと成功、ビクターに移籍して期待されまくって新レーベルまで立ち上げてもらってリリースしたのが『MILLION MIRRORS』」という、スカしすぎた過去がある。藤井の言う「解散のピストル」が製造された時期だ。
となると焦るのはソフバ本体よりも、所属レコード会社。つまりはビクター。「やばいじゃん、売れてるって聞いたのに全然売れないよ!」「もうアテにならないから切っちゃおうか?」という流れになっても不思議ではない。移籍第1弾であのアルバム出すなんて、まるで「フラれる前提で書いているラヴ・レター」みたいだ。つまりはカッコ悪い。売る側としては。
さしものソフバも契約を切られてはどうにもならない。なので「もっと売れるアルバムを出してくれ」と言われたかどうかはさだかではないが、前作『MILLION MIRRORS』で藤井のトリートメントが突き詰めた暗黒世界から一転、森岡のポップ・サイドを強く打ち出した『INCUBATE』が制作されるわけだ。あらかじめ言っておくと、推測ですよ全部。
これって実は、初期に似ている。サウンド・メイクなどは藤井のほうが俄然上手なのだけど、イメージをスケッチするのは森岡に比類なき天分がある。そして「売る」には「耳に残るメロディ」が必須。それこそ得意なのが、森岡。だからこそ初期は森岡の楽曲が中心だったし、ソフバのイメージは森岡のメロディと視覚的にわかりやすいキャラクターに集中した。
原点に立ち返ると、そこにはまず、森岡のメロディがあった。
つまりは、そういうアルバムである。きちんと藤井の暗さも内包しつつ。ジャケは歴代ビデオ・クリップ並に意味不明な「放射線を放つ遠藤と犬のように端にいる森岡、裏を返せば支配者のように暗黒で印を結ぶハゲ(藤井)」なのがとっつきにくく、ジャケさえよければ本当に売れたのかもしれないんだけれども。後追いの僕もソフバを揃えるつもりで買ったけど、最も内容を期待しなかったジャケだった。
あっ、すっかりバンドやメンバーの説明などはすっ飛ばしてるけど、いいよね。毎度「今でもソフバのファンでい続けてくれている人向け」の文章なんで、すんません。
では今回、ここで早めに諸楽曲を見ていこう。また別ヴァージョンなども含めて。
【オリジナル・アルバム】
01. PARADE (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
たとえばこの曲を何も知らない人にチロッと聞かせてみて、あとで「曲名は『PARADE』なんですよ」と言ったら、80%ぐらいの人は「ああ、パレードっぽいよね」と感じるのではないか? というぐらい楽曲の隅から隅までゆきわたっている、祝祭感。実際に歌詞で「パレード」って口にしてるのはごくごく一部なんだけどね。壁を目がけて続いちゃってるからね。
森岡はそうした「イメージのスケッチ」を作るのが得意だった。それが活きたのがこのアルバム『INCUBATE』であり、それを最も象徴するのが「PARADE」なのだと思う。それが冒頭の藤井の発言なわけだ。
だって鐘の音とかマーチング・ドラムとかさ。何も知らない人にも「わかりやすい象徴」を伝えるのを恥ずかしがらないんだよ。カッコつけない。そこなんだ、森岡のすごさは。藤井は間違いなく「こんなん、それっぽすぎて恥ずい」とやめてしまう。マインドが子供のままだから羞恥心ないんだよ、森岡は! (←語弊ありすぎ)
その楽曲を盛り立てるのが「やっと朗々と歌えるようになった遠藤遼一」なわけだ。前作では藤井にインタヴューで「歌が入ると楽曲イメージが崩れる。むしろ歌いらない」とまで言われてしまい、雄々しく歌い上げたタイトル曲はボツにされ、抑制した歌声ばかり採用され、海岸でひとりメイクを直していた遠藤。しかしその歌声が発揮されるや、まるで封印を解いたかのように見違えるほどレヴェル・アップ! 数々のライヴや作曲班に爪弾きにされて仕方なく通っていたヴォイス・トレーニングで鍛えた (←半分想像) 声が、まさに「美声」と呼ぶにふさわしいものに仕上がっている。前にも書いたが、さすが「負けた分だけ強くなる戦闘民族サイヤ人」だ。がんばって「精神と時の部屋」で訓練を続けていたのだな。
流麗なストリングスも含み、ライヴでも即時常連となった、後期ソフバの「ファン・ベストならまず選ばれるだろう代表曲」。もうホント、シングル曲なみの完成度と耳なじみやすさ。たしかにこれには、かつて「ESCAPE」でポップを気取って失敗した藤井も白旗を挙げるわけだと納得できる。
02. JEWEL SNAKE (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
そこから続く「展開曲」も森岡曲。これは比較的珍しいことで、それまで「アルバムの展開曲」の多くは主に藤井が担っていた。だって森岡ってメロディは得意だけど渋めの曲とか全体の起伏を作るのは苦手だから。なのに本人は「どうしていつも僕がシングル曲を書くの?」とか言っていたらしいけど。だが前作で「1~3曲めが森岡」というやり方をしていたので、それはそれで成功していたということか。
けれどもこんな「ヴァース・コーラス・ヴァース (ニルヴァーナ)」の真逆で「コーラス・ヴァース・コーラス」な構成、森岡がやれると思わなかった。典型的な「Aメロ、Bメロ、サビがあってCメロ」こそ森岡という刷り込みがあって。実はわたし、長らくこの曲は藤井によるものだと思っていました。渋いので。でも地味だけどそれこそ「宝石のような」森岡の転がるシンセが印象的で、遠藤のヴォーカル成長がよくわかる。
実は「AMERICA」のごとく元ネタありきな楽曲なわけだけど、参照もとがデペッシュ・モードだったかミニストリーだったか、何だったのか忘れました。
03. WHITE SHAMAN (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
森岡節、爆発! な後期シングル代表曲。
一聴して耳に残るハイパーなシンセ・フレーズが主旋律となって何度もくりかえされ、それがあまりにポップすぎて、嫌でも(藤井でも)「ああ、これはアルバムのメイン楽曲だなぁ」と自覚させられる。そのぐらい森岡の才能が遺憾なく発揮された、まさに「作られたシングル曲」。
実は早口気味のAメロが、後の時代を俯瞰すると「ラップ遠藤」のスタート地点みたいな曲かもしれない。しかし発売映像はおろか、ネット上に残る音源でも、ライヴでほぼ100%歌が何かしらの失敗をしていて「1番と2番が逆になる」「歌詞が落ちる」「飛ぶ」「意味不明のくりかえしになる」などなど、むしろ楽しみになるぐらい失敗している。っていうか完全歌唱したテイクって残ってるの?
たとえば最後期のライヴを収録した映像『HEAD』の歌唱も「裸のまま耳打ちする乾く胸の 胸元へ」って……どんだけ胸が好きなんじゃーい!
04. TRANSCODE (作詞:藤井麻輝 / 作曲:藤井麻輝)
はい、作詞者に注目。わかりましたか? せんせー、遠藤くんじゃなくて藤井くんが作詞でーす! はいはい、よくわかりましたね。だってこの曲は遠藤くんは歌っていなくて、女性による謎のフランス語の語りに遠藤くんが単語をつぶやいて乗せるだけですからね。ほぼインスト扱いですからね。
……というように。
前々から書いている「歌いらない」をとうとう体現した、藤井によるイメージ楽曲。ぼんやりとした音に重ねて、ひたすら機械音と打撃音が響くだけ。たしかにここまで振り切ったのは「潔い」し、ヴォーカルを立てて完全なインストにしないところが「美しい」。
要はツナギの雰囲気曲でしかないんだけど、こういう曲は森岡には書けない。どうしてもメロディを乗せてしまったりリズムを重ねてしまったり、森岡の「我」が出てしまう。しかしこの曲には「裏方・藤井」の我なんてまったく出ていない。もし出ているとすれば「どうやって遠藤に歌わせずに済むか」だ。
藤井の言う「ヴォーカルいらない」は、極端に例えれば空気感だけで構成されてメロディが存在しないアンビエント曲や、機械音で構成されたインダストリアルなインスト曲、そういったものに人間の「声」が乗ることで「温度が出てしまって全体が壊れる」ことを嫌ったのだろう。何もない空間や荒涼とした世界を描いていたのに、急に「そこにあるはずのない体温」を感じてしまう。
その点で言えば、この曲はちょうどいい塩梅の「折衷案」。女性によるフランス語の語りなんて、もはや遠藤を納得させるための手段なのかもしれない。
05. DEEP-SETS (作詞:遠藤遼一 / 作曲:藤井麻輝)
藤井麻輝、一世一代のポップ・ソング。
といっても、かつての「ESCAPE」や「BLOOD」のような「ポップに擬態した藤井麻輝」ではなく、あくまで「藤井麻輝らしいポップ・ソング」。闇に沈みそうで沈まない曲調に遠藤随一の不可思議な「宇宙歌詞」、森岡がたまに光をもたらす「色付け」。3人の魅力も凝縮された、ソフバの終焉を飾るのにふさわしい楽曲。
……って、「終焉」て。
いや個人的に、ソフバはこの時点でもう極北に達してしまったのではないかと思うのだ。だって『愛と平和』『MILLION MIRRORS』『INCUBATE』と続いて、3人で合宿までして作ったのが『FORM』でしょう? ファンはみんな首をかしげたと思うよ。「あの濃密な流れの行き着く先は、こんなもんなの?」って。そりゃあ解散するよね、と納得までしてしまう。
実際、この曲は発表されてから常にクライマックスで演奏され、「解散盤」のベスト『SOFT BALLET』でも実質的なラストの位置にいた。ここでやりきって、あとはアンコールが待っているだけ。
だから「その後」を知ると本作では中間に配置されているのが疑問になってしまうけど、のちの森岡の発言で納得したのでそれは後述します。
退廃的ながら暗黒まで陥らず、光を感じさせ、あくまで優美に。
ソフバなりの「様式美」が完成した楽曲と言えるでしょう。いやホントに。むしろ「完成してしまった」のか。藤井が選ぶ「棺桶に入れる10曲」に入ってるかはわかんないけど、ソフバの中ではかなり納得のいった仕事のはず。むしろ藤井にとってソフバはこの曲と森岡の「AFTER IMAGES」だけでいいのかも。
この曲があったからこそ、藤井もShe Shellの「sin」のような曲が書けるようになったのだと思う。いや実際。
06. INFANTILE VICE (作詞:遠藤遼一 / 作曲:藤井麻輝)
前述の全時代ベスト『SOFT BALLET』ではアンコールにあたる部分。オリジナル作となる本作でも、この2曲をごっそりと最後のほうに配置するだけできっとアルバムの印象も変わると思うのだけどなぁ。
いわゆる藤井の「ツナギ曲」なんだけど、作り込みが過剰で、優美なストリングスと奥に鳴るギターがひたすら美しい。なのにどこかノイジーで、自分の持ち物ではない遠くのラジオで見知らぬ人の歌声が鳴っているのがきこえるような距離感。楽曲も歌詞も世界観も。
このアルバムは陰と陽のコントラストがはっきりしている曲が多いけど、この曲は「暗いのにぼんやりと明るい」。前作のような「闇より深い闇」ではない、救いがある世界観。いやむしろ、「救いあれと」願っている姿を美しく感じるのか。やがて滅びると知らず祈り希う、綺麗な子供の姿を。
聴き方によっては途方もなく哀しい曲なんだけど、メロディの美しさで陶酔してしまい痛みを忘れるような、そんな麻酔的な曲。
07. PHASE (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
「手クセ王・森岡」の作る「なんとなくいい曲」の代表格。
ソフバには珍しいギター・アルペジオ(風のシンセ音)から始まり、ブライトな音が次々と重なっていく。もうホント「恥ずかしいぐらいの少年・森岡賢」そのままの曲なんだけど、ゆえに「いい曲だけど、普通だよね」という感慨に陥ってしまう。それはトラックの配置もあると思うんだよなー。せっかく前曲の薄闇に浸っているところに、いきなり朝が来ても眩しくて何もできない。遠藤の歌詞が深遠で意味不明なため、この楽曲を引き立てている。もし森岡がソロでやっていたら凡庸になったに違いないが。
なお、歌詞では「だけど僕らはいつの日か あの山を登りだすだろう」なんて歌っているけど、デビュー・アルバムに収録された人気曲は「PASSING MOUTAIN」。あんたら山を越えるどころか昇ってもいなかったんかーい!
08. ENGAGING UNIVERSE (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
出た。「シングル向け森岡」の本領発揮。
流麗なシンセ・ストリングスに、ソフバ史上最高に伸びやかな遠藤の歌声。文句も出ない。この曲と「PARADE」には藤井のトリートメントをほとんど感じない。それぐらい「森岡だけで、よくやった」曲と言えるだろう。
そもそも「宇宙と結婚」なんてタイトルからして、この頃の「宇宙野郎・遠藤遼一」大爆発。惑星や流星に愛撫しちゃうスケールのデカさ。だけど美メロすぎて愛せちゃう。ここなんだよな、後のエンズとの決定的な差は。楽曲と歌唱が「ともに成立」し、同調あるいは拮抗しているからなんだよ。この頃のソフバの神がかりなスケール感は。たとえばこれを遠藤がソロの自作曲でやったら「そんな大風呂敷広げていいの?」と言われてしまう。無論、森岡をや。
ソフバにおける森岡という「触媒」が、実に前向きに化学反応した。そりゃシングルにもなるわ。
セールス関係なく「曲のよさ」だけで言えば、後期ソフバ随一のシングル曲。カットされた「ワイシャー(=WHITE SHAMAN)」と違い、さすがアルバムのリード・トラックの威厳。PVでは遠藤がなぜかスケスケの服を着てクネクネしてるけど。
09. PILED HIGHER DEEPER (作詞:遠藤遼一 / 作曲:藤井麻輝)
と、いきなり灰色の世界に転じる。
ミニストリーっぽい雰囲気の曲は、もちろん藤井によるもの。このバンドはビートルズ以上に「どっちが書いたか」当てやすいと思う。
デジタルとフィジカルを同期させるような演奏は、当時はそんなになかったが後にTHE MAD CAPSULE MARKET'Sが大々的に使用してブレイクした。そのマッドのCRA¥とISHIGAKIがこの曲に参加している。さすがマッドの弦楽隊、ダンサブルな曲調を理解しつつタイトでノイジーな演奏に徹している。もしかしたらマッドにとってもソフバにとっても、この曲の演奏は「テクノロジーの使い方」での契機だったかもしれない。
ライヴでは否応なしに盛り上がるので、最後期まで常連だったようだ。PVではなぜか藤井が縄跳びしてるけど。
10. GENE SETS (作詞:藤井麻輝 / 作曲:藤井麻輝)
また出た。「語りのみ」のインスト曲。それでも語りぐらいは残しているのが藤井の優しさというか遠藤との折衷点というか。
藤井が作詞も手がけているが、同じく語りのみの「TRANSCODE」と違うのは、まずドイツ語であること。さらには遠藤だけがヴォイス担当であること。そして「限りなくインダストリアルである」こと。
ここに後期ソフバで多用した藤井の「人間インダストリアル性質」は結実した。これはきっと「棺桶に入れる10曲」のひとつだろう。陰鬱なイントロからノイズが入り、パーカッシヴという表現を越えた規則的なドラム乱打で闇への陶酔に陥る。その収束後に機械音が飛びまくり、ドイツ語の語りが入る……改めて書き出すと、何ですかこの曲。要素ありまくりというか、「要素しかない」んですけど。
藤井はそれでも物足りなかったようで、イメージ・ビデオ作品『LIFE』では自分でギターを弾いた別ヴァージョンを制作している。この完璧主義者め。そんなに「男の声が嫌い」なのか。芍薬にはそんなことしなかったのに。
11. MARBLE (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
そうして、アルバムは闇の中にいるまま終わりを告げる。
森岡作曲のダルでダウナー、それこそドラッギーにさえ感じてしまう分裂曲。狂騒的なトランペットが遠藤の歌詞世界を盛り立てる。ていうか生ブラスを導入したのってこれが初めてじゃない? 今まで「同じような音が鳴ればOK」とばかりにシンセ演奏だったのに、そこに質感(=体温)を求めるなんて。体温のない機械バンドが遠藤の体温があるヴォーカルで組み立てる、という構図が面白い曲を多く生んだわけだが、それでは足りなかったのか。
囚人や道化師が謎の市場で嘘と真実を買い求め虹色に染まる。
歌詞を26字でまとめたものの、まったく意味不明。宇宙にしか意識がない男・遠藤ならではの深遠かつ物悲しい歌詞世界。それは「ダーク森岡」との協調でできあがっている。歌詞を聴きながら聴くとたしかに、音も怪しげなマーケットを想起させる。
これをもし藤井とタッグを組めば、メジャーなら「DEEP-SETS」に、マイナーなら「INFANTILE VICE」に二分されるわけだ。藤井とは決して協調することはなく、分離して。ただいい曲を作りたいだけの藤井には、遠藤の歌詞は関係ない。むしろ遠藤が藤井の曲に合わせて歌う。
そういう意味では本作はソフバのカタログ中、最も「作曲者のパーソナリティ」が出ている作品と言えるのかもしれない。個々の個性が、明暗ともに沸点で表現されている。音でケンカしてんだよ。
CDのリピート機能をオンにしていたら、この退廃の先にまた「PARADE」の祝祭が訪れるわけだな。同じ森岡なのにまるで違う世界観。前作で藤井に従うままだった森岡の名誉回復である。しかし『全曲箱』でひそかに藤井がそれをブチ壊しているのはイジメに等しい。
さて、ここからは「関連盤」。
【シングル『ENGAGING UNIVERSE』】
本作に関してソフバは2枚のシングルを残しているが、こちらは先行曲。それがアルバム全体のうち「ブライトな雰囲気」を象徴している曲なので、きっと当時の期待感は半端ない。いや僕は後追いなので中古で買ったんですよ。初回限定のビニールで覆われた「カラス・ジャケット」を。
01. ENGAGING UNIVERSE (Single Version) (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
さすがソフバ、アルバムとは別ヴァージョンです。
アルバムのイントロが「全体の進行を重視して、綺麗にまとまっている」アレンジなのに対し、こちらはふわふわした音と遠藤のアカペラから始まる、いかにも「単独で聴けます」なアレンジ。はっきり言って単独で聴くならこっちのほうが格好いい。
02. THRESHOLD (HEAD-MIX) (作詞:遠藤遼一 / 作曲:藤井麻輝)
こちらに関しては『MILLION MIRRORS』の項を参照。前作と本作をつなげるブリッジであり、ノイズが正式に武器となった契機とも言えるアレンジ。
【シングル『WHITE SHAMAN』】
セールスを伸ばそうという目標からか、この曲もシングル・カットされた。売れたわけではないが、後期ソフバを象徴している楽曲と言えるので、たしかに必然ではあった。
01. WHITE SHAMAN (アルバムと同一) (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
残念ながら、アルバムと同ヴァージョン。後にベスト盤で「イントロがエクステンドされたミックス」が収録されたので、それを入れればよかったのに。そうすれば別ヴァージョンを買う人もいただろうに。
……って、あたしゃシングル盤に希少性とセールスを求めるディレクターかよ。あーあーやだね、これだからファンは!(←自分だよ)
02. CONSCIOUSNESS (アルバム未収録曲) (作詞:遠藤遼一 / 作曲:森岡賢)
でも、そのカップリングにはアルバム未収録曲が入っている。やったじゃないか!
それがたとえば「手クセ王・森岡」による手クセ曲だろうと、嬉しいものよ。アンビエントっぽいバックの音に遠藤の伸びやかな歌唱が乗る。そういえばこの時期、森岡は初のソロ作『Questions?』をリリースしており、その世界観が「ちょっとアンビエント風」なものだった。この曲はソフバとソロ、どっちに入っていても違和感がない。だからそういう、どっちつかずな姿勢を藤井は嫌ったんだと思うぞ。だからシングルB面なのかも。
だけどかつての「EXIST」みたいな、メロディ一発で決める美メロ森岡に感服してしまう、そんな曲。そりゃ世に出すのは許せちゃうよね、藤井だって。
【映像集『LIFE』】
本作に合わせてVHS発売された、それこそ「ソフバのイメージ・ビデオ」。
3人のソロ名義のトラックはあるけどイメージ作品だし、他の曲は中途半端だし、はっきり言って「ちゃんと完成した作品」を見たい人には不満でいっぱいだろう。でも「ソフバ名物な謎のPVで気分が盛り上がれるマゾっ気のある人」は、くりかえし見ちゃうかもしれない。深夜に毛布をかぶってギンギンの眼して。
その中でも、別ヴァージョンと言えそうなものだけ挙げていきます。
・TRANSCODE -A・M・B-
いちおう別ヴァージョン表記ではあるが、ほぼ同じ。ていうか違いがわからない。元曲からして。「ア(A)ン(M)ビ(B)エント」の意じゃないかと思うのだけど。
・A LIFE OF MAKI FUJII ~ GENE SETS -METAL MIX-
前半の「藤井が廃墟を練り歩いて金属の棒でカンカン打撃音を鳴らすだけ」のイメージ映像から、急に暗転してギターを抱えた藤井にスポットが当たる。そこから始まるのは「激しいギター・アレンジされた『GENE SETS』」で、未音源化なのが実に惜しい。各種動画サイトにもこの部分がアップされていないのだよ。なぜだ。
それこそ本チャン曲の該当部分の演奏をこれに置き換えれば、きっと藤井の理想に近づくんじゃないかと思うんだ。ヴォーカルもなくなるし(←結局それか)。それでも理想が遠くに離れていく人だとは思うんだけど、藤井ってば。
・「DEEP-SETS (SOLID STATE)」という曲名もあるが、実際にはライヴ・ヴァージョンにそうしたタイトルを冠しただけ。しかしこのフェイド・アウトしない完全演奏アレンジが再録ベスト盤『SOFT BALLET』収録リミックス音源のベースになる。
・他にも「PILED HIGHER DEEPER」のライヴ映像、おそらく「TRANSCODE」と同じ女性ヴォイスを使用した「A LIFE OF RYOICHI ENDO」というイメージ映像、ライヴ映像「ENGAGING UNIVERSE」のブツ切りからつながる「A LIFE OF KEN MORIOKA」にはアルバムには入らなかったスケッチの数々が散りばめられる……など、さながら『裏・INCUBATE』のような趣を持つ映像集。
総じて、一貫した作品ではなくドキュメントや、たとえばプライヴェイト収録として見ればファンなら納得。それっていわゆる信者だけど。
【全時代ベスト『SOFT BALLET』Disc BLUE】
「藤井はソフバを封印するためにやる気を出して、森岡は移籍の都合でしなくちゃいけない再録音以外はどうでもよくなってそのまま放った」ベスト盤でも、別ヴァージョンが存在する。それもやっぱり、藤井曲だけ。森岡は「後期は完成してるから、もういじらなくていい」という考え方なのだなと感じたよ。
05. PILED HIGHER DEEPER (1995 REMIX)
エンディングがフェイド・アウトでなく完全演奏になったミックス。それだけでまったく印象が違う。はっきり言ってこっちのほうがイイ。
09. DEEP-SETS (1995 REMIX)
こちらも同様で、イントロとエンディングの大きな差異。特にフェイド・アウトしないエンディングはこの曲をもってソフバの終焉とする「有終の美」感が大いに向上。だからこのベストでは「実質的な最後の曲」になっているように感じる。だってライヴでも「アンコール前の最後」常連だったんだもの。
10. INFANTILE VICE (1995 REMIX)
そして「ボートラ扱い」のリミックス。暴虐にノイズを強化し、歌や演奏をずっと遠くに追いやった、さながら「ソフトバレエというサントラ」のエンド・クレジット。いやまじ映画のそれ。優美だった曲がひたすら虚無に、事後の虚しさに感じる。これはバンド終息後の「常に俯瞰していた」藤井だからこそできたミックス。
【ビクター時代ベスト『SOFT BALLET 1992-1995 the BEST + 8 OTHER MIXES』】
ソフバが完全停止して数年後、突然アルファ時代とビクター時代のベスト盤がリリースされた。それもレア・トラックをボーナス収録して。
そのうち「後期=ビクター時代」には本作のレア音源も含まれている。
[DISC 1]
03. WHITE SHAMAN (ヴァージョン無表記)
ディスク1はベスト選曲を羅列しただけの編集盤なのだが……気を抜くな! 実はここに収録されたこの曲は、ここにしか収録されていない「ダンサブルなシンセ・イントロがエクステンドされたここだけのヴァージョン」なのだ。
当時のライヴ用アレンジに近いものだけど、そのアレンジでのしっかりした映像は残っていない様子。どうせ残っていてもこの曲は必ず遠藤の歌が失敗するし。だもんでアッパー・ヴァージョンとして必須だったりする。
ていうかアルバムかシングルのどっちかをこのヴァージョンにすればよかったのに。それこそ森岡のやる気がなかった全時代ベスト盤のテイクをこれにするとかさ!
[DISC 2]
05. PARADE (BALLAD MIX)
このベストに多く収録されている「リズム音を排除したミックス」。
アコースティック・ヴァージョンみたいに聴けるんだけど、しかしそれではこの曲の魅力が半減することに気付かされる。マーチング・ドラムがないとこの曲の「パレード感」は激減しちゃうんだよなー。
06. ENGAGING UNIVERSE (MELLOW MIX)
こちらも同様。ただしシングル・ヴァージョンに準拠しているのでイントロは独唱だし、これはこれで「歌ありきに戻った」当時のドキュメントとしてもアリなのでは。
07. PILED HIGHER DEEPER (DANCE MIX)
ブラッシュアップされていったライヴ・ヴァージョンに準拠して、歌の後ろで鳴るメインのシンセ・リフが冒頭に配置され、エンディングが『SOFT BALLET』同様にフェイド・アウトでなく完全演奏になったミックス。これがスタジオの最強ヴァージョンだ。
【ほぼ全曲音源集『INDEX - SOFT BALLET 89/95』】
ソフバの「ほぼ全曲」を藤井がミックスし直したボックスなわけだけど。中には「勝手にリミックスしたよね?」という曲があるのは前作で記した通り。
・JEWEL SNAKE
イントロとエンディングが削られている。
こんな「見事な展開曲」を森岡に作られて消したくなったの?
・MARBLE
とかく藤井の「自分以外を消したい」衝動は、いろんな場面に感じるわけで。特に遠藤の歌と森岡の音に。それじゃ全部か。
この曲なんか、森岡のピアノがすべてオミットされている。原曲は隙間に鳴るピアノが無常さを鳴らしていたように感じるので、はっきり言ってこれは「やりすぎ」。歌詞にリンクするマーケット感もなくなってしまった。
・他にも「DEEP-SETS」や「INFANTILE VICE」のギターは鮮明になっている。特に後者はオリジナル版ではまるで聞こえなかった音まで補正されている。これらは純粋に優秀なリミックスだと感じる。
……と。
全体的に、前作『MILLION MIRRORS』では封印されていた遠藤の伸びやかなヴォーカルが、その前の『愛と平和』と比較にならないほど上達している。まるで「精神と時の部屋」にこもっていたかのようだ。やっべえなぁ、オラ、ワクワクしてきたぞ! とばかりに歌い上げている。
はっきり言って、ソフバの頂点。それがこの『INCUBATE』。成長した3人によるそれぞれの要素が、見事に表現されて絡み合っている。ただし難点を言えば「融合はしていない」。
すべてが「分離している」ように感じるのは事実。たとえば藤井の曲はわかりやすく遠藤軽視だし、森岡も遠藤の歌を基軸としつつも音の主張が強い。そして遠藤は自分の歌唱力で世界観を染めようとする。そんな危ういバランスが見事に釣り合った一瞬、それこそが本作。全員の力を感じつつもスリリングな展開は「いい子ちゃんにまとまった」次作『FORM』に較べるべくもない。
だからこそ、よく「初心者はインキュベでも聞いてろ」と言われてしまう。BUCK-TICKなら『狂った太陽』。LUNA SEAなら『MOTHER』。ラルクなら『TRUE』。いわゆる「代表作」と言えるわけだ。それらと違うのはソフバは売れてないんだけども。これだけ売れ線を狙っても。やっぱ藤井の毒がにじみ出てるからなー。
しかし考え込んで作り込むことは得意でも、イメージを印象的に具現化することにおいて藤井は森岡には敵わない。
BUCK-TICKの「FRAGILE ARTICLE」のアレンジや、「SEVENTH HEAVEN」のコーダ部分を依頼されて「このコード進行で、ディズニーランドっぽくお願い」という雑な発注を翌日に「すげぇ!」と言われる精度で仕上げる。それが森岡。「イメージを形にする」ことが得意だったわけだ。おかげでB-Tの『SEVENTH HEAVEN』はその2曲が前後にあるのでコンセプト・アルバムっぽく仕上がってしまった。森岡のおかげで。
そんな森岡の色を「3人とも強くなってから」強めに出したからこそ、このアルバムは曲の雰囲気はバラバラなのに統一感がある仕上がりになっている。って、たぶんそれは藤井のトリートメントによるものなんだけれども。
しかし本作発表時の雑誌インタヴューで、森岡は「今やCD時代なんだから、楽曲の順番なんてあまり関係ない。自分の好きな曲をリピート機能で聴いたり、シャッフル再生するのが当然。だから曲順はこだわっていない」と発言していた。それは機械音を駆使するソフバらしい発想だなぁ、と思ったし、実際後年の『INDEX』は辞書さながらに「アルファベット順」の収録だったのが具体的だったりもする。それが「有機的な森岡」による発言だったのが意外だったけれども。もしかしたら記憶違いで藤井かもしれない。それなら全部合点がいくから。
でもね、このアルバムの楽曲を「白」と「黒」の濃淡で表すと、見事に起伏に富んでいる。
「白 → 灰色 → 白 → 灰色 → 黒 → 黒 → 白 → 真っ白 → 灰色 → 黒 → 真っ黒」
森岡主導でも、意外と「白」は多くない。ちゃんと「ENGAGING UNIVERSE」の真っ白が目立ち、濃淡が移り変わっている。だからこそ「INFANTALE VICE」から「PHASE」に変わると中間がなく、いきなりブライトでびっくりする。意外と沈んだ意識をハッとさせる展開になっているかもしれない。そのうえで最後が森岡曲なのに真っ黒なことにハッとする。
これを自分の好みの配置にすると、もっと陰影がくっきり出て好みのアルバムができると思う。前述の森岡の意見を尊重して。それができるぐらい、このアルバムは「要素」に満ちている。つまりは森岡も「曲を提供するから、好きな配置にして自分好みに仕上げて」というぐらいだったのかもしれない。きっと藤井はこの曲順で違和感がなくなるように仕上げてくれたんだろうけど。
ソフバは楽曲を「要素」として見ていた。これはたとえばライヴの曲順では当然だろうけど、ソフバの場合は個々のキャラや表現方法が違いすぎて、楽曲までもが「要素化」していた。
すべての曲が「ソフトバレエというバンドの要素」なのだ。個々人の主張が強いため、それは「バンドならではの力が結実した楽曲」にならなくて。
「バンドになれなかった、というのが解散の最大の理由かもしれない」
これは『FORM BOOK』にも掲載された遠藤遼一のインタヴュー発言。ちょっとわかりやすく加筆した。
通常、バンドというものは楽器演奏なりアレンジなり何なりを「委ねる」ことで成り立っている。だからこそ「予想外の演奏や噛み合いで、いい展開が生まれた」というのがバンドの醍醐味のひとつ。
それを「作曲者のイメージ通り、こう弾いてくれ。こう歌ってくれ」と指定するのは「ソロ活動でのバック・ミュージシャン」への指示。だが作曲者のセンスが二分しているソフバではそれが日常茶飯事と推測でき、思い通りにしてくれないとスネたり意地悪したりバランスが崩れた。
そうなってしまったのは、シンセ・バンドだからなのかなぁ。だってシンセって、基本的に「ひとりで全部できる楽器」じゃないですか。ねぇ。そりゃ「ひとりじゃできないもん!」な森岡もソロ出すよ。藤井がソロらしいソロを出さなかったのは「裏方」だからこそ。しかし「ヴォーカル邪魔」と言えてしまうのはシンセのおかげなわけで、本作でも全体のトリートメントがゆきすぎて各所に「藤井節」さえ感じる。
だからこそ本作は「デキはいいのに、バンドじゃないから浮いてしまった」作品とも言える。できたてはおいしい料理が、冷めたら油分と水分と食材がタッパの中で分離するように。そのうえで味わえる作品でもあるけど、一見バランスよく融和しているように見えて「全部が主張」なのだよ。「それこそがソフバ」であり、「それこそがバンドになれなかった原因」なのだよ。
だからこそ次作で、本当に協調しようとして「そのためには解散しかない」という結論に達してしまうのだな……。
その前に、このアルバムで「いったん出し切った」感がある。各人、やりたいことをやった。森岡と藤井はさながら「音の殴り合い」のように、自分を主張した。それを遠藤のヴォーカルがまとめたものの、それも前作でマトモに歌わせてもらえなかった反動、つまり主張だった。
そんな3人の主張が奇跡的に均衡したアルバム、だからこそ聴きやすくも聴きにくく、「初心者はインキュベでも聞いてろ」と言われるのではないだろうか。ビクターの求めた「売れるアルバム」にはなれなかったけれども、売れても間違いないポップネスと売れるわけがないダークネスがバランスよく同居している。
それにしても藤井に、冒頭の言葉を吐かせるほど「PARADE」は完璧な曲だ。脇が甘い森岡なのに申し分ない。
そしてその曲が冒頭に配置されていることで、このアルバムは全体が統一されているように感じる。おかげでその後にどんな曲が飛び出しても違和感ないし、冒頭にループすればリセットされる。言わばこのアルバムのプリセット曲として冒頭に存在している。
なのに誰だ? 「曲順なんて関係ない」って言ったヤツは。って作曲者か!
全体を見る藤井に対し、森岡がこの曲の魅力をどこまで感じていたのかは疑問である。きっと持ち札のひとつぐらいにしか思っていなかったんだろうなー。
そんな「PARADE」が聴けるアルバム。のちの『森岡はやっつけ仕事の全時代ベスト』に収録された配置では感じられない魅力。こんな曲をやっつけんなよ。
今からでも、遅くはない。
「PARADE」を聴こう。「GENE SETS」を音量上げて聴こう。各曲をブラッシュアップされたヴァージョンに差し替えて、自分好みの配置で聴こう。
ただし「PARADE」だけは1曲めにしてね。必ず。そうじゃないと、このアルバムの魅力自体が50%ぐらいになるから。
