見出し画像

徳島の旅(後編)

個人ブログ2024.9.20の記事よりnoteへ転載

両腕の皮が剥け始めた。首の後ろも。やはり日焼けだったようだ。道中は雨が多く、天候に救われた。榊さんが心配をかけてくれて仰っていたが、これがカンカン照りだったら両腕は火傷し、熱中症で倒れていただろう。準備や対策もなく、我ながら無謀過ぎることをしてしまった。しかし、道中は雨といい、虹が出たり、川の近くでは白鷺が「こっちだ」と案内するかのように飛んでいたり、何かに見守られているような、僕のことを歓迎してくれているような感覚があった。さらに、前回の僕の日記を読んでくれた方が、神様の慈愛と祝福の雨ですね、と仰ってくださった。

榊さんがこんなことを仰ってくれた。そんな高尚なことをしたつもりはなかったけど。有難い。その見守られていたような不思議な感覚も、宇宙全体からのサポートなんだろうな。

徳島市の方まで着いて、だんだんと建物が増えてきて都会の雰囲気。さすがにお腹がペコペコになってきて体力も限界。どこかで座って休みたい。ご飯が食べれそうなお店がないかと探すが、なかなかない。

やっとのことでこのお店に着いて、唐揚げ丼をいただく。大盛りだった。
雨と汗でぐちゃぐちゃになったシャツを着替えて、ちょっと休憩。

榊さんの個展場所に向かう。海が近づいてきた。この辺りは前職で通っていた横浜のみなとみらいと似ている。そして、橋を渡り、だんだんと会場に近づいてきた。高速道路の下をくぐると工場地帯のような雰囲気に。子供の頃、家から自転車で海の近くの工場地帯にある公園に遊びに行っていたことを思い出し、何となく懐かしい気分に。やっとのことで会場に着いた。

あ、榊さんのバイクがとまっている。会場の1階はカフェになっていて、2階が展示もできるギャラリーになっている。あ、チラシもちゃんと貼ってある。ここなんだ。榊さんには展示に行くことを言っていない。ドキドキしてきた。

会場では音楽が静かにかかっていた。あ、このピアノの響き、聴いたことあるな、ヨハン・ヨハンソンかな、何とかリヒターかな(名前が思い出せない)。

コンクリート打ちっぱなしのクールな雰囲気の会場に、あたたかな音楽と絵が掛かっている。その絵から出てくる優しいエネルギーにグッときて涙が出そうになる。あぁ、実際に見れた。生で眼で聴けた。油彩の筆触などは生で見ないと体験できないものだ。感慨深い。
榊さんの絵を実際に見て最初に感じたことは、包み込むような優しさだった。これは森の抱擁と開放と、時には厳しさも肌身に感じていないと描けない絵だと思った。

榊さんご本人とも実際に会うことができた。
過去にアクセサリー作家のfugueの繭さんと話していた時に、榊さんて仰ってることも達観してるし、仙人みたいな人じゃないかという話題になったが、気さくなお兄ちゃん的な感じで良かった(笑)
僕も文章だけ読むと暗い人と思われてたらしい。思ってたより明るいね、キラキラしてる(これは神社のおかげ)。やはり人っていうものは実際に会わないとわからないものだ。

絵のことなど色々なお話ができた。
過去に大阪や東京や新潟に住んでいたことなど。人それぞれ人生、巡り巡って今ここにいる。生きていてありがとう、と思わず言いたくなるような奇跡のようなものだ。その心に刻み込まれた傷など、長い長い人生の巻物のようなものがその人を包み込んでいる。そして、そこから溢れる光が絵を包み込んでいる。それは絵を見ているこちら側にも贈られる、絵からの優しいまなざしだ。

最初は樹だけの構図だったが、その後に白いイマージュのようなものが流れ込んできて、それをカタチにしたら動物になった。という制作の過程も話してくれた。なぜか動物が2匹になったりするんだよね、など。そのイマージュは彼方からやってくる精霊の姿なのだろう。
「作為的になるとうまくいかないんだ、ひたすら待つしかない。自然の力をかりると良いよ。屋久島はお薦め」と仰っていた。

榊さんが好きだという坂本龍一(榊さんと誕生日が同じ)も、晩年は草を踏む音や雨の音をフィールドレコーディングして、そのまま自身のピアノと重ねたり、ピアノから出るノイズをそのままリアルに残したり、そんなことを思い出す。
「映色にしてもプリント作品でプリンターに印刷をかける時も、思いがけないエラーやバグなどの偶然を取り入れることだ好きなんだ」と仰っていた。
そう、作為がない、とにかく自然なのだ。見ていて心地好い。まるで絵を見ている自分も森の中にいるようだ。中には、森でゴリラやチンパンジーが唐突に出てくる絵もあるが違和感がない。むしろ精霊の豊かな喜怒哀楽のうちの一面だと感じさせる。

だめだ、あんまり言葉にすることは止めておこう。しばらく言葉にしないで、あそこで感じたあの感覚を大事に味わっていたい。

途中でふと榊さんがピンときて、リラックスしててと言ってカメラで写真を撮ると、丸い光のようなものが映っている。展示初日にも同じことがあったそうだ。

最後に榊さんは、「僕の絵を見てくれている人には幸せになってもらいたい」と仰った。

僕も帰り道に同じ空を見ていた。光に包まれた雲が美しかった。龍がたくさんいる。祝祭の空のようだ。

榊さんがよく引用している

画家はその身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える

メルロ=ポンティ「眼と精神」P257

空のキャンバスに、その「世界」が広がっていた。

僕の詩「光の樹」にある

無意識の空に龍の跡
一瞬は永遠
永遠は一瞬
大地に眠る月へと還っていく

そのものの世界。
「世界」が詩になった。
そして、榊さんの絵は、僕の詩にあるように

絵は見えない森へと通じる窓だ
眼差しを投げろ
黄金に縁取られた眼差しを

見えない森(その人にとっての真実)に通じる窓だった。

よって、こう言い換えても良いかもしれない。

「詩人はその身体を世界に貸すことによって、世界を詩に変える」
僕の詩への呼びかけに対する「世界」からの応え。

今は詩を書いてないが、当時は生きるために必要だった。
そして、詩のイマージュは

光の声とも思われた言葉なき叫び

メルロ=ポンティ「眼と精神」同書P289

でもある。
天に垂直にのびていく精霊のうた(光の声)を眼で聴いた時に、その声に応えたいという想いが込み上がったのだった。

そう、「見て」しまったからだ。応答だった。
今度は逆に「世界」から応えてくれたのだと思う。

ありがとうございました。僕はこれからも生きていきます。


榊さんの展示会場にて。
霊体(たま)が映っている。
龍の卵か・・・?


個展の帰り道
海上に拡がる光と空

いいなと思ったら応援しよう!