佐古不二子「ステゴサウルス ステゴサウルス」
※個人ブログ2023.4.6の記事よりnoteへ転載
小平市にあるカフェ・ギャラリー「たまゆら」を営む佐古不二子さんの「ステゴサウルス ステゴサウルス」(Ros‘yRoseBooks)を読んだ。

溌剌としたユーモアが溢れ、リズム感の良いエッセイで、一気に引き込まれた。
何故、ステゴザウルスなのか?
それは第一章で書かれた母親との関係を読むと明らかになる。
それにしても何というユーモアだろう。寂しさや悲しみを豪快に跳ね除ける明るい力がある。
不二子さんは0歳の時の記憶があるという。確か三島由紀夫や坂口恭平さんも幼少期の記憶があると聞いたことがある。不二子さんの場合は、生まれた時にいた家の間取りや家具の配置、玄関や台所の材質やその色まで鮮明に覚えているという。後に育まれる繊細なアート感覚の種は、この時にもう備わっていたのだろう。
祖母トセさんとのエピソードはあたたかく、心打たれる。
ストレスで腎臓病になってしまった不二子さんに、トセから電話がかかってくるシーンでは涙が出る。
「具合が悪いんだってね・・・可哀想に、おばあちゃんが代わってやりたいよ。お前のその病気、私があの世に持っていくから」と涙声になった。心配かけてごめんなさいと心で謝りながら、「私、大丈夫!」と明るく言ってみた。
ドレス製造販売、アンティーク雑貨販売、飲食店経営など様々な顔を持つ「たまゆら」のエピソードも色々と知ることができた。
「あなたは『駅』のような人。人や品物や情報が行き交うターミナル・・・。そういう場所を作る人」とドレスショップ時代、リーディングをなさる『ミホさん』が私に仰った。
駅!まさにそうだ。この本にも登場する作曲家の林晶彦さんという「特急電車」に乗って、僕もたまゆらという駅に連れてってもらったのだ。
初めてたまゆらを訪れた時のことはここに書いた。
玉川上水の緑道には、たくさんの樹木が電信柱のように立っている。風に揺れる木の葉がそよぐ歌が、見えない電力のように僕達に供給され、緑道は線路のように続き、電車となった僕達の足は軽やかに進んでいく。
<シャンティ>というインドのことばは「平和」と訳されるけれども、それは政治的な水準において戦争のない状態ではない。存在するあらゆるものとの、すなわち人間たち、動物たち、植物たち、天体たちとの、静かでよろこびに満ちたということである。
そして、たまゆらという駅舎は、駅長の不二子さんをはじめ、魅力ある人達が集まり、アカシア・ブルーブッシュ、藤など、たくさんの植物が彩り(第三章「庭はないけど・・・。」に詳しい)、生活を共にする家族・仲間のような動物達(コンパニオン・アニマル)が駆け回り、「シャンティ」に溢れている。
アッシのことですか・・・不二子さんの纏う「平和」の雰囲気から、アッシジの聖フランチェスコの詩「平和を求める祈り」に繋がり、作曲家の林晶彦さんとのシンクロニシティ。
僕も、とあるプロジェクトを進行中で、度々たまゆらに停車し、お世話になっている。新しい自分(目的地)に向かって出発できたらと思っている。
他にも、カフェ・ギャラリーたまゆらのエピソード、陶芸作家の中谷隆夫先生、古書店「みどり文庫」の月安謙治さん、歌手のカルメン・マキさんとのお仕事のことなど、様々な人達との交流が描かれている。
誰かの本で読んだことがある『人生は、プラス・マイナス=ゼロ』・・・光が強ければ影が濃い・・・身に起こる良いこと・悪いことは帳尻が合うと。
「光が強ければ影が濃い」・・・僕も同じことを書いていた。
今は困難が多く、影の部分が濃くても、未来に射す光は強いと信じたい。
そして、運命の釘によって、肉体と魂がひび割れて苦痛が生じているけれど、その裂け目から光が溢れてくると信じたい。
こうした偶然のシンクロも嬉しい。
考えてみる・・・『劣化』の『劣』は『劣る』だよね・・・何と比べて?・・・二十歳の自分?・・・昨日の自分?
だから何?等身大・・・現状のまま。自分が自分を認めてやれたらそれでいい。
『身体』は、かつての『新車』が、かなりの距離を走破し今や『愛すべきポンコツ旧車』になった。
『心・ソウル』の方は、未だ住みこなしていない『新築の家』じゃなくて、温かい味わいの『居心地いい古民家』になったんだと。
時折出てくる不二子さんの人生観に感銘を受ける。真っ白な髪は銀色の鬣のようで、芯の通った力強さとロックを感じる。不二子さんと接していると、まるで囲炉裏を囲んでいるかのようなリラックスしたあたたかい気持ちになる。
本にはその作家さんの人生や物語がつまっている。読むのがとても楽しくて感動した本です。
ありがとうございました。
