ラム酒とか、酒場とか、その辺
降り止まない凍えるような霧雨が田畑耕作以外を呼ばない夜に、僕はもう諦めていた。
バルバドスを好む彼と僕の下世話な会話は、浮遊する埃と為り、グラスの中でくゆるフォースクエア蒸留所で生まれた酒へと落ちてゆく。
原酒をストレートで重ね、やがて彼は「サトウキビ畑でつかまえて書いたの誰だっけ?昔読んだんだけどなあ。ん?ん~ん?あれ、サトウキビじゃねえや、なんだっけなんだっけ、あ、お花畑だ!」すまない、暇な店に付き合わせてしまったからだ。彼のエスプリは遠くバルバドスを目指したはずなのに、徐々にうなだれ、すぐそこ荒木町上空から墜落した。
雨降りだと雲に隠され見えないが、その向こうにいる夜の空には宇宙が在り、宇宙の彼方は本当にラム酒の香りで満ちていて、その甘美な河を時間は進み、時に戻る。
そして田畑も遥かなる空の、更に先から、若しくはお花畑からこのカウンターへ、「あ、ごめん。どのくらい寝た?」と平和にご帰還。
雨に濡れた四谷三丁目交差点は、4階から見下ろすと案外チカチカと綺麗なもんだ。
「夢を見ていた」と田畑は言った。
こんな静かすぎる夜もきっと明日は変わる。ラム酒とか、酒場とか、その辺の僕は、ここを朴訥と続けていくことにだけ気を使っていたい。
一度は起きた田畑が二度寝。夢の続きが見れるのは若者の特権で、彼の頭はもう胡麻塩だから、いつ起こしたところで、さっき見た夢は消えている。
洗い物を始める。暇だったので大したことはない。このまま後片付けをし、田畑を起してかんばんでもいいのかもと思う雨に、扉は静かに開き、そっと女性は入ってきた。
「まだいいですか…」
「はい、どうぞ」と答え、田畑から離れた席へと通す。
「たしか以前にもお越し頂いてますよね」
「はい、私マスターのインスタ見てますよ」と微笑む。
たしか以前にもと言ったが、うちのお客さんで銀座のホステスはそうはいない。僕は彼女を記憶していた。
彼女は田畑を見、また微笑む。
「よーく寝てますね」
「はい、よーく寝てますよ」
僕は注文を伺う。
「なにか、甘くて軽いの下さい」
「飲み方はどうしましょう」
「ええと、ロックにして下さい」
僕は氷を削りながら考える。この四方に散らばるラム酒たちの中から、甘くて軽くて、ロックで、それと大切なのはそれを、霧雨のこの時間このカウンターでだ。
「お待たせしました。ドミニカのラムです。ブルガルといいます」
氷が溶け出すのを待っているかのように、彼女はそれをすぐには口にしなかった。濃いめの琥珀色がグラスの中でゆっくりと流れている。この人の前回と変わらぬ、凜とした佇まいを僕は横目で確認した。
お通しを用意している間、彼女は濡れた窓ガラスの向こうを眺めていたと思う。
「マスター、訊いてもいいですか」
「はい、どうしましたか」
「マスターって若い頃、あ、ごめんなさい、20代の前半とかどうしてました」
「20代前半ですか…随分と昔のことですね…」
人は多少なりとも訳があってバーへ来るのだろう。彼女が微動だにしない田畑をまた見て、
「私もいつかこうなれるのかな」
「どうでしょう。人は酒場で眠れる人と眠れない人がいるから。それはどっちが幸せとか、そんな話しじゃなくて」
「お酒、美味しいです」
「僕もひとつ訊いていいですか」
「いいですよ、なんですか」
「夢の続きって見れますか。また寝ちゃえば」
結局彼女への答えは、彼女を中途半端に惑わす影を見せただけになってしまったのかもしれない。
僕の20代なんて、丁寧に答えようとも、茶化してしまおうとも、所詮大した差もなく、すっかり色褪せたよくいえばセピアだ。
それでも忘れてしまった感情や、思い出せない感触もきっと有ったはずなのに、なにひとつまともに伝えられなかった気がする。
「僕のここまでの人生なんて出口だらけだったと思ってます。そこの出口を上がれば違う通りに出れたんじゃないのかなって。と同時にこうも思ってしまいます。どの通りを歩もうとも、遅かれ早かれここへ辿り着いてしまったんじゃないのかって。
今思い出したことがあるんです。
田舎にいた頃のことです。高校一年の時でした。僕の行ってた高校は家から遠くて、10キロ弱の道のりを自転車で通ってました。雨でも風でも、そう、からっ風の吹く街なんです。
ある晴れた日の夕方、部活をさぼった帰り道のことです。地元を流れるまあまあきれいな川の土手を削って作ったサイクリングコースがあるんですよ。そこをえっちら自転車漕いで。帰り道だと右手側が川で左手を登るとあぜ道です。草むらの色合いからいって秋口だったと思います。たらたら走ってると、土手側の背の低い草むらがざわざわと動いてこっちへなにかが上がって来るの見えたんです。で、草むらからサイクリングコースへ、四つ足でした。それが飛び出して、自転車で走る僕の前、3メーターくらいでピタッと止まり。僕も急ブレーキ。イタチでした。黒に近いヌメエって光った鼠色のでかいやつでした。道の真ん中で僕と対峙、夕陽のイタチマンです。やつ、目を逸らしません。こんな時に限って誰も通らなくて。とても静かでした。いや、無音でした。音のない川沿いのサイクリングコースはイタチと僕だけです。不気味でした。僕は半分びびりながらも脅かしてやるつもりで大声を上げようとした瞬間、そのタイミングを待ってたかのように、やつはおもむろに立ち上がり「シェー」のポーズをしたんです。シェーのポーズなんて言っても分からないですよね。幼い頃に流行った漫画のキャラクターお得意の格好です。こうです🔄 心底びっくりしました。4,5秒だったと思います。それでもシェーをしながらずっと僕を見てました。やつの濡れてて気持ち悪そうな体毛が西日に照らされ輝いてたんです。固まってしまった僕を見定めたかのように、それからイタチは顔を背けて、出てきた草むらへと駆けてゆき消えました。僕は暫く呆然としてしまいました。でも憶えてるんです。辺りがなんか生臭かったのと、まるで耳栓がはずれたかのように、突然水辺の音がしてきたんです。
それから僕は、なにしにきたんだなにしにきたんだ…立ち尽くしそればかりを考えてました。
後ろから同級生が「なにやってんだよ!」と僕を抜いてゆき、僕は我に返りまた自転車を漕ぎ出しました。もう辺りは薄暗くなってきてました。
それからです。
少し先に行った左手の坂道を上がると青果市場があるんです。「青果市場入口」と大きな看板が立ってて、そこから2回曲がれば家まで続く県道に出られるんですけど、なぜか出られないんですよ県道に。ちゃんといつもと同じに走っても。最初はあれ?と思いました。また「青果市場入口」の看板が見えてきて。いつも通ってる道です。間違えるはずもなく、間違えようもないはずなのに。ここをこう行ってこう曲がってそうすれば…現れるのは...「青果市場入口」。こんなはずはない。この道でいいはずだ、脂汗が出てきて…「青果市場入口」。じゃあ、あえて違う道を進むと…「青果市場入口」。なにかがぶっ壊れた。パニックです。日はすっかり暮れてしまい、やけに明るい電灯に照らされた「青果市場入口」の看板の下で、僕は小さな震えを止められませんでした。
それまで気付かなかったんですが、そんな僕のすぐ先に電話ボックスが見えたんです。その日友達の小泉に貸してた100円を返してもらったんで、100円玉がズボンのポケットにあって、その日財布は学校に持っていってなかったから、その100円で親に電話したんです。100円玉が使える公衆電話ってお釣り出ないんだけど仕方なかった。で、「帰れないんだ、どうしても帰れないから青果市場まで迎えに来て欲しい」と伝えると、訳の分からない母は最初「なにを言ってるんだい」と怒ってましたが、意味不明な説明を繰り返す息子に只事ではないと察したらしく、「そこから動かないで」と言い残し電話が切れました。それからすぐ母が車で来てくれたんです。トランクに自転車を積み、さっき何度も出ようとした県道で帰りました。車ん中のことはなんにも憶えてなくて、きっと放心状態だったんでしょう。
夜、父と爺ちゃんに今日のことを話しました。すると二人共「イタチにつままれたんだ」って言うんです。狐や狸は聞いたことありましたが、イタチなんて。そういえば幼い頃、父からも、爺ちゃんからも、狐につままれた話しを聞いたことがありました。母は「そんなの遺伝するの」と言い、爺ちゃんは僕を家でいちばん狭い3畳間に座らせ、何本も何十本も線香を焚いたんです。僕に憑いた得体の知れない獣を煙で追い出すんだって。もう部屋中もくもくでしたよ。
それから次の日も、その次の日もあの場所を通るんですが、もう何も起きませんでした。ただなんか、鼻の中が生臭い気がしてしまって」
「そんなことあるんですね。まるで昔話聞いてるようです」
「昭和の頃のおおらかな、でもほんとの話しです」
「マスターは出口はたくさん有るから、一度迷ってみればと言いたいのですね」
「ん~、いや、逆かも。迷ってしまっても出口は有るから。
僕たちの日常は波のようで、凪の日、しけの日、満ちたり引いたりゆらゆらしてて、その浮き沈みに、いろんな要因が重なって、例えば年齢とか月齢とか、季節とか、風向きとか、時間や体調や心の状態や人間関係…そんなのが偶然全部リンクした時、草むらからイタチが現れるんだ。そう思います。
迷わなくて済むんならそれはそれでいい。僕は爺ちゃんの線香も効かず、ずうっと迷ったまま来ちまったのかな。
この辺りにはイタチなんていないけど、分かってれば大丈夫。気を付けて欲しいのは、悪意を持つモノと対峙した時は、真正面から相手の目は見ないほうがいいです」
今ここに存在していた時間の欠片すら知らない田畑にも、さすがにそろそろ起きてもらって→→→→→→→→→→→→→→→→主題歌🌅
きみがあくびで涙ぐむ夜明けも
モヤモヤくすぶる朝の気配も
ぼくはこの時間を見続けてた
明日は起きれば在るのではなくて
今日もこの眼から入ってくるのだから
その時「じゃあね」と出ていく日を知り
ぼくは正確に繰り返し繰り返す
HOW COME
また朝焼けが始まり
HOW TO GO
一晩を消しにかかる
きみは置いて終電通過
重い荷物埋める穴を掘る
ぼくはその時間を見続けてた
明け切らぬ群青が問いかけるのに
ナイスなぼくは考える振り
その時「じゃあね」と出ていくきみを知り
ぼくはそれでも繰り返し繰り返す
HOW COME
また朝焼けが始まり
HOW TO GO
一晩を消しにかかる
涙が滲むと足元ぼやけて
次の場所が見つからない
涙を落としなにも見えないのなら
涙の枯れた願いを枕に
ふたりだった床に就く
(朝焼けエピローグ/歌とギター:田畑耕作)
以前書いてた「朝焼けエピローグ」の一部を抜粋、大幅に加筆修正し、バーよかぜのある夜にきちんと嵌める。
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