私は他人に期待していたのではなかった(「デミアン」感想)
ヘルマン・ヘッセといえば、正直「車輪の下」しか知らなかった私が「デミアン」を読んだ。
きっかけは簡単、「リンバスカンパニー」だ。超絶おもしろ罪悪共鳴残酷RPGことリンバスカンパニーは誰でも無料で楽しめるソシャゲであり、このゲームの登場人物は有名小説の登場人物や作者が元ネタとなっている。
影響されやすいオタクこと私は早速元ネタ小説を読もうと図書館に足を運んだ。
「デミアン(著:ヘルマン・ヘッセ)」はメインキャラの一人であるシンクレアの元ネタ小説である。主人公であるシンクレア(シンクレールとも)がデミアンという少年に出会い、年月を通して精神的な成長を描くいわゆる教養小説だ。
そして私の人生を変えてしまった。
初めは子供らしい見栄や心労を可愛らしく思い、思春期のシンクレアも身に覚えがある荒れっぷりだと微笑ましく思っていた。
あ、と思ったのは次の一文が初めである(著作権等のため、ざっくり書く)。
「世界に何らかあるものを与えようと欲するのは完全に誤りだった。目覚めた人間にとっては、自分自身の腹を固め、どこに達しようと意に介さず、自己の道を探って進むということ以外に何らの義務も存在しなかった」
それはずっと私が考えていたことに対する答えだった。
より分かりやすいのは次の一文だろう。
「僕らには、未来づくりについての配慮という義務はなかった」
自分語りになってしまうが、私は昔から他人に対して疑問に思うことが多かった。
なぜこれくらいのこともやってくれないのか?なぜこの程度のことも察してくれないのか?と常に不満に、不思議に思っていた。
しかし、そんなものは当然私が勝手にイライラしているだけであり、怒りをぶつけた相手は私の周りからどんどんいなくなっていった。
流石にこのままではやばいと自己啓発本やらを読み漁ると、「人に期待しすぎるな」とよく書かれていて、確かにその通りだ、心がけようと思った。
ただ、納得はしていなかった。私は彼らに期待していた、と言われるとどうにも違和感があった。
その答えが「デミアン」にはあった。
私は彼らに期待していたのではなく、彼らを良い方向に導いてあげようという使命感に燃えていたのだ。
この程度のこともわからない人たちに素晴らしい方法を教えれば、巡り巡って世界はよりよくなる、その使命が私にはあると本気で思っていた。
それはしるしを持たないものの典型的な誤りだと作中で語られる。
私たちには、世界をより良くする義務なんてなかった。そんなものに配慮したり悩んだりなんてしなくてよかったのだ。
私たちの義務はただ一つ、自分自身に辿り着くことだけである。
「デミアン」を読んで、私はずっと感じていた疑問ともいえないもやもやが初めて言語化されたような気がした。
読了後の今でもまた使命感に燃えかけてしまうこともあるし、ここに答えを求めて彼らを真似ようとしている時点で、それは自分自身と言えるのかという不安もあるが、そんな私も自己にたどり着くまでの大切な行程だと覚悟しようと思う。
今はとりあえず、世界ではなく自分について考えるのに忙しい。
