「秋茄子は嫁に食わすな」に込められた戒め 「一富士二鷹三茄子」に秘められたフロイト心理学的暗示
「秋茄子は嫁に食わすな」の
秋茄子とは男根の比喩
である。秋は収穫の季節で農家は忙しいのだから、
夜の営みは控え目に
という昔からの戒めの諺である。
秋サバ嫁に食わすな
秋カマス嫁に食わすな
秋フキ嫁に食わすな
五月ワラビ嫁に食わすな
など地方により表現の仕方はバラエティに富むが、いずれも性器に関係しているものと思われる。フキの茎は西日本では細いが、北海道や東北地方のフキの茎はかなり太く、男根並みとなる。
五月ワラビ嫁に食わすな、これは田植えの季節に関係しているのだろう。ワラビの穂先を女性器に見立てたか。ワラビを食べ過ぎると女性の性欲が増すと思われていたのだろうか。五月は旧暦であろう。
嫁を「夜目」と書いてネズミの意味とする解釈もある。子供をポンポン産む女性はネズミっ子と呼ばれたり、或いは子供のこともネズミっ子と呼んだりして、飢饉の時などは特に疎まれてきた。食扶持を減らすために間引きが行われることも、つい百年ほど前までは特段珍しいものではなかったという歴史もある。
多産がいつの時代でも歓迎されていたわけではない。
「秋茄子を食べると体が冷えるので、食べ過ぎないようにという意味の嫁に対しての思いやりの言葉」
という説も一部の人に根強く支持されているようだが、これだけたくさんの嫁いびりの諺があって日本の文化として息づいているのだから、説得力に欠けると言わざるを得ない。サバもカマスもフキもワラビも食べると身体に毒というものでもない。
「嫁には何も食わすな」
「嫁には飯を食わすな」
と言えばそれで済むものなのだが、それでは文学的なひねりも洒落も芸もなく、身も蓋もないことになってしまう。
「秋茄子は嫁に食わすな」
という言葉が残ったのは、それだけ洒落っ気が効いていたからだろう。
しかし、その本来の言葉の意味がすっかり忘れ去られてしまったことは非常に不可解ではある。土偶や前方後円墳の造形の理由が忘れ去られてしまったことといい、実に不可解な諺だ。
「一富士二鷹三茄子」の富士と鷹と茄子はいずれも男根の比喩である。
富士山と茄子は分かりやすい。問題は鷹だが、
これはピンと伸びた鷹の尾羽を男根に見立てている。語呂も良い。
正月から男根の夢を見る者は心身共に健全であろう
という江戸っ子の洒落が効いた諺である。
江戸っ子の深層心理学への理解は、フロイトの百年先を行っていた。
一富士ニ鷹三茄子の後ろに
「四扇五煙管六座頭」
と続くのだが、扇だけが女陰の比喩となっているところが粋である。
日本舞踊などの伝統芸能においては、師匠に認められた弟子は師匠から扇を伝承される。舞をする時に扇をパチパチと開け閉めさせるのは一つの暗示であり、扇は女の心なのである。

