若者よ、マルクスを読むな〜第6章 &第7章:内田樹×石川康宏『若者よ、マルクスを読もう』を読む
第6章 環境問題とマルクスの虚構
マルクスはしばしば「資本主義は自然を破壊する」と批判した。
近年では斎藤幸平のような論者が「マルクスは実は環境思想家だった」と解釈し直し、現代の若者に「脱成長コミュニズム」を訴えている。
だが、歴史と現実を冷静に振り返れば、マルクス主義こそが人類史上最大規模の環境破壊を引き起こしてきたことがわかる。
① アラル海の縮小 ― 「人類最大の環境破壊」
旧ソ連は「綿花の大規模栽培」を計画し、中央アジアのアラル海に流れ込む川の水を大規模に灌漑に利用した。
その結果、世界で4番目に大きかった湖は、ほとんど干上がり、塩害・砂嵐・生態系崩壊を引き起こした。
これは「計画経済による環境破壊」の典型である。
市場のチェック機能がなく、「党の計画」が絶対だったために、自然破壊は止められなかった。
② 大躍進と森林破壊
中国の毛沢東時代、「大躍進政策」において鉄鋼の増産が国策として掲げられた。
農村にまで粗末な高炉を設置させ、農具や鍋釜を溶かさせた。燃料として森林が伐採され、広大な山林が失われた。
結果は粗悪な鉄くずが山積みとなり、食糧危機と環境破壊だけが残った。
③ 北朝鮮の禿山と土砂災害
北朝鮮では、過剰な農地拡大と燃料確保のための森林伐採が進み、山々ははげ上がった。
その結果、毎年のように豪雨による土砂災害や飢饉が発生している。
「自然と調和する社会主義」とは名ばかりである。
④ 資本主義と環境問題の違い
資本主義も環境問題を抱えているのは事実だ。
しかし大きな違いは、資本主義には「修正と進化の余地」があることだ。
再生可能エネルギー市場
電気自動車の普及
カーボンプライシング制度
ESG投資や脱炭素金融
市場の需要と規制の組み合わせによって、資本主義は環境課題を克服する方向にシフトできる。
一方、共産主義には「党の命令」以外の調整メカニズムがなく、破壊がエスカレートするだけだった。
⑤ 「マルクスは環境思想家」論の欺瞞
斎藤幸平のような論者は、「マルクスは晩年、自然と調和した社会を構想していた」と主張する。
だがそれは、マルクスの思想の中から都合の良い断片だけを切り出した再解釈にすぎない。
実際の共産主義国家は、環境破壊の責任を一切免れない。
「理想は違った」という言い訳では済まされないのだ。
結論
環境問題を資本主義批判の道具にするのは容易い。
だが、歴史的に見れば「資本主義=環境破壊」ではなく、むしろ「共産主義=環境崩壊」こそが現実であった。
未来を考える上で必要なのは、マルクスの幻想を持ち出すことではなく、
市場原理と技術革新をどう環境保護に活かすかという冷静で建設的な議論である。
第7章 マルクス主義と知識人の欺瞞
マルクス主義がここまで長生きしているのは、若者たちが純粋だからではなく、大人たちがずる賢いからである。特に「知識人」と称される人々は、マルクスの理論の誤りを十分に承知しながらも、あえてそれを語らず、体裁の良い言葉で飾り立ててきた。
たとえば「環境問題に先駆的に着目したマルクス」といった評価はその典型である。実際には、マルクスの時代には二酸化炭素排出や森林破壊のスケールは現在とは比較にならない。にもかかわらず「環境問題の先見性」という看板を付ければ、古びた理論も新品同様に見える。
内田樹や石川康宏のような啓蒙家は、「若者よ、マルクスを読もう」と呼びかける。その言葉の裏には、「若者よ、マルクスの誤りを考えるな」という暗黙のメッセージが潜んでいる。なぜなら誤りを直視してしまえば、マルクスの権威そのものが崩れてしまうからだ。
だから彼らは、マルクスを読むことを「教養」や「嗜み」として位置づけ、その読書経験を通じて「大人の仲間入り」を演出する。まるで高級ワインを飲みながら「やはり五大シャトーは違うね」と頷き合うかのように。中身の真偽や実用性よりも、儀式そのものに意味を持たせるのである。
しかし、その儀式に付き合わされる若者の時間は、確実に浪費される。もし本当に社会の未来を憂うなら、マルクスを読むよりも現代の環境科学、エネルギー政策、国際関係論を学んだ方がよほど有益だろう。
それでもなおマルクスを薦めるのは、知識人にとってマルクスが「商品」だからだ。
資本主義を批判しながら、マルクスそのものを「商品化」しているのだから、これは高度なブラックジョークである。
マルクス主義の欺瞞は、資本主義の矛盾を突くことによって成立してきた。しかし、今やその欺瞞自体が矛盾を孕み、時に滑稽なまでの自己矛盾をさらしている。
知識人たちはその矛盾を逆手に取り、「批判のための批判」を飽きもせず繰り返す。だがそこに残るのは、若者の可能性を食い潰す空虚な時間だけである。
内田樹はしばしば「レヴィ=ストロースもマルクスを読んでいた」と書いているが、ここには微妙なトリックが潜んでいる。内田樹の文脈では、まるでレヴィ=ストロースがマルクスに深い敬意を抱いていたかのように読めてしまう。しかし実際には、レヴィ=ストロースにとってマルクスは単なる参照点にすぎず、原始社会や社会構造の現場を観察するなかで、マルクスやルソーが描いた「理想郷幻想」を冷徹に打ち砕いたのである。20世紀に入ってからも原子社会への理想郷幻想を人々は引きずっていたが、レヴィ=ストロースをはじめとする多くの人類学者の研究成果によりそれは否定された。理想郷幻想を否定し自分の理論をより強固にする上で、マルクスの文献に当たるのが一番手っ取り早かっただけではないのか。それを、まるで「知識人の正統な評価」かのように装ってしまう文章──これぞ、読者を鼻であしらうヤラシイ手法と言わざるをえない。内田樹はレヴィ=ストロースがマルクスを読んでいた詳しい経緯については触れていないのである。
【次回】第8章 環境と「反資本」という甘い罠
終章 建設的に未来を考える

