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有吉ぃぃeeeee!に感じた違和感――ゲームへのリスペクトという視点から

有吉ぃぃeeeee!を、放送開始からずっと追い続けてきたわけではない。
ただ、よく目にする番組で、気軽に見られるゲーム番組として好意的に見てきた。
そんな番組のある回で、少し引っかかるものを感じた。
それはタレントの言動でも、盛り上がりの問題でもない。

マリオテニスをプレイしていた回での、ある「表現」だった。

正直に言えば、これが一度きりの演出上の工夫や、思いつきの表現であれば、特に問題はないと思う。
テレビ番組では、時にそうした試みが入ることもあるだろう。

ただ、もしあの表現が単なるミスではなく、
「こう見せたい」「こう整理したい」という番組側の考え方の表れだとしたら、
それは少し話が違ってくる。

なぜなら、考え方や思想は、ひとつの表現にとどまらず、
いずれ番組の様々な部分に滲み出てくるものだからだ。


有吉ぃぃeeeee!は「うまさ」を見せる番組ではなかった

有吉ぃぃeeeee!は、もともとゲームの上達や理論を見せる番組ではない。

FPSで高度な戦術が解説されるわけでもなく、
格闘ゲームでフレームや確反が前提として語られることもない。

むしろこの番組が見せてきたのは、

  • FPSでもシステムをすべて使わず、制限されたルールで遊ぶ姿

  • 格ゲーでも、うまい人だけを特別扱いしない構図

  • 分からないまま、下手なままで、わちゃわちゃ遊ぶ様子

そうした「うまくない人たちの遊び方」だった。

視聴者側にも、高い理解度は求められない。
「なんだかよく分からないけど、楽しそうだな」と思えれば、それで成立していた。


下手でも成立していた理由は「ごまかさなかった」ことだと思う

この番組の姿勢が誠実だったのは、
下手な遊び方を肯定しながら、ゲームそのものの意味は歪めなかった点にあると思う。

FPSを、別ジャンルのゲームのように作り替えない。
格闘ゲームを、技名と雰囲気だけのコンテンツにしない。

理解が浅くてもいい。
プレイが拙くてもいい。

それでも、「これは確かにこのゲームの遊び方のひとつだ」と思える形で見せてきた。

下手でもゲームは楽しめる。
そのことを、演出で“うまく見せる”のではなく、
そのまま出すことで示していた

そこに、ゲームへのリスペクトがあった。


マリオテニス回で起きていたこと

問題の回では、画面上にテニス準拠の正式なスコア表示、
「15–0」や「30–15」がそのまま映っていた。

一方で、番組側はそれとは別に、
タレント側の表示として「1–0」「2–1」といった数字を重ねていた。

つまり、

  • テニスの正式なスコアを理解しており

  • それを表示できる状態にあり

  • そのうえで、別の意味を持つ数字を加えていた

という形になる。


「分からなくていい」と「分かった形に直す」は違う

これまでの有吉ぃぃeeeee!は、
「分からなくていい」ことを前提に成立してきた番組だ。

プレイヤーが
「あと1ポイントで取れる」
「追いつかれた」
と口にすれば、十分に状況は伝わる。

ルールを言い換える必要はなかった。

今回のスコア表現は、
「分からなくていい」ではなく、
分かった形に直して見せようとしているように見えた

テニスにおいて「1–0」という表記は、
通常はポイントではなくセットカウントやゲームカウントだ。

マリオテニスもスコア構造はテニスを踏襲して作られている。

そこを書き換えることは、
ゲームにも、元になったスポーツにも、
敬意を欠いているように感じられた。


一度の演出ミスなら、まだいい

繰り返しになるが、
これが一度きりの演出ミスや思いつきであれば、深刻に捉える必要はない。

長く続く番組であれば、そうした判断が入ることもある。

だが、もし今回の表現が、

  • 下手な状態をそのまま出すことへの不安

  • 視聴者の理解を過剰に管理したいという意識

  • 番組側の考え方としての「整理」

そうした思想の表れだとしたら、話は別だと思う。

思想は、必ず他の部分にも現れてくる。


そうなったとき、この番組は危険になる

有吉ぃぃeeeee!は、

  • うまくならなくていい

  • 成長しなくてもいい

  • うまくないと意味がない、とは言わない

という姿勢だったから、ここまで続いてきた。

「下手だけど楽しく遊ぶ」ことを認め、
なおかつ、ゲームそのものは歪めなかった。

もし今後、

  • 見せ方を過剰に整理する

  • 制作側の安全な理解だけを優先する

  • 意味を独自翻訳して管理する

方向に進むなら、
わちゃわちゃの楽しさと、ゲームへのリスペクトは失われる。


結論

一度の演出ミスなら、それでいい。
だが、それが考え方として現れたものなら、危険だ。

この番組が魅力的だったのは、
うまさでも、分かりやすさでもなく、
ゲームを歪めずに、下手なまま遊ぶことを認めていたことだと思う。

だからこそ、今回の表現に違和感を覚えた。

ただの一視聴者として、
有吉ぃぃeeeee!が、これまで築いてきた軸を失わないでいてほしい。

・別の可能性として、”卓球のテレ東”を意識させようとしてやったということは  ないだろうか…


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