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【LAWドキュメント72時間】美術の核心

アートがわからない。

絵がわからない。

そんな言葉を、よく耳にするけど・・・


画家だろうと。

絵なんて。

わからない。(らしい)


アートや。

絵が。

何なのかなんて、誰にもわからない。(んだよなあ~)

わからなくて、当たり前。(そうなんでね)

わからないから、描いてる。(そうですよ)


今も。

昔も。

これからも。

一生。


わかってしまったその日には。

きっと、描く理由を失うだろうから、わからないから、楽しいんだ。

と、画家のみんさんは、思っていて、一安心(^^)


例えば、鴎外訳・ゲーテ「ファウスト」から、ファウストの台詞を引用しておくと。

「『刹那』と『止まれ、お前はいかにも美しいから』」

この台詞から、

「瞬間の感覚」

が、人の内面で新たな光を発して、永遠となっていく、恩寵のような体験に関して、医学者であり、文学者でもあった森鴎外の関心の高さが伺えます。


「幻術の核心」

は、森鴎外が、このファウストの台詞に込めた、

「瞬間」

「永遠」

を巡る

「知覚と感覚」

を、私たちに繋げてくれるのかも知れませんね(^^)


「美術の核心」(文春新書)千住博(著)

[ 内容 ]
芸術に関心がある人はごく一部。
大多数は美術オンチといわれる日本人。
その汚名をこの一冊で返上。
芸術は本当は面白い!もの。
学校では教えてくれない美術の本質がここにある。

[ 目次 ]
クールジャパン―逆輸入されたわかり易さ
浮世絵―包み紙に驚いたモネ、マネ
ポップアート―ヨーロッパへの反抗
印象派―「何だ、こんなの印象だけじゃないか」
縄文―うずまきの秘密
銘―なぜ工芸品に名を付けるのか
初期ルネッサンス―「ラ・プリマヴェーラ」から「ヴィーナスの誕生」へ
盛期ルネッサンス―赤い衣をまとう人間
水墨画―「景色の気」
仏像―仏像は仏教を超える
伊能図―科学と芸術が融合した傑作
バルビゾン派―バルビゾン派がなかったら、世界は違っていたかもしれない
マンガ―「鳥獣人物戯画」「北斎漫画」「火の鳥」
デザイン―芸術とは自分のイメージを他者に伝えようとする心
庭園―「在家市中ながらも山林深谷へ入りたるやうに作りなすべし」
襖絵―狩野永徳のバーチャルリアリティー
遠近法―いかにその呪縛から逃れるか
コンテンポラリーアート(1)―よくわからないコンテンポラリーアートのわかり方
コンテンポラリーアート(2)―「美とは、決して目で見るものではない」
印象派その後―日本人ははぜ印象派が好きなのか
美術館―マルセル・デュシャンの「便器」
紅白梅図の謎―光琳の声
日本画―なぜ、私は日本画を描き続けるのか

[ 問題提起 ]
書店の美術書コーナーへ足を運ぶと、そこには美術関連の入門書が驚くほどたくさん置かれている。

美術全般を広く扱うものから、日本美術、西洋絵画、現代アートなどジャンルを絞ったものまで。

中身も美術史を時系列で追っていくものから、名作を個別に読み解くものまで多種多様だ。

帯には、

「もっと美術を楽しもう」

ノリのフレーズが踊る。

そうした入門書の類いが平積みされているのを見ると、本来なら美術は、見て感じればいいだけのもののはずなのに、

「見る前に読む」

ものかと錯覚してしまうほどだ。

いったいこの手の本の多さというのは、なにを意味しているのだろうか。

ひとつに、

「美術には興味があるけれど、なんとなく敷居が高い」

と思う層が存在していて、美術をやさしく解説してくれる本への需要があるということ。

もうひとつに、

「美術は本当はおもしろいんだよ、もっと知ってよ」

という啓蒙する側の人間がいるということ。

さらに突っ込んで言えば、これだけ入門書が既刊されていながら、似たような本が次々発売されるということは、つまるところ

「美術」

は、いまだ世間の人々にとって、身近なものになり得ていないということの、悲しい証でもある。

今回取りあげる本書も、数多ある美術入門書のうちに分類される本だ。

[ 結論 ]
著者の千住博氏は、

「大徳寺聚光院別院襖絵」(七十七面もある)

など数々の大作を手がけてきた日本画家で、京都造形芸術大学の学長でもある。

美術を題材にした新書を、既に7冊も出しており、美術入門書の書き手としてはおなじみだ。

「千住博の美術の授業 絵を描く悦び」(光文社新書)千住博(著)

「美は時を超える~千住博の美術の授業2~」 (光文社新書)千住博(著)

「ニューヨーク美術案内」(光文社新書)千住博/野地秩嘉(著)

「〈オールカラー版〉日本画を描く悦び」(光文社新書)千住博(著)


「ルノワールは無邪気に微笑む 芸術的発想のすすめ」(朝日新書)千住博(著)

「芸術とは何か 千住博が答える147の質問」(祥伝社新書)千住博(著)

そんな著者が

「核心」

と掲げただけあって、この本は、他の著書と比べ

「美術とはなんぞや」

という根本的な問いに、よりフォーカスした内容になっている。

取りあげているのは、時代もジャンルもまちまちだ。

印象派について語った次の章では、縄文土器の文様を取りあげ、盛期ルネッサンスの後には、水墨画といった具合。

その並びに教科書的なルールは一切感じられない。

「浮世絵」というジャンルで語っていたかと思いきや、一章まるまる江戸中期の名絵師・尾形光琳の代表作「紅白梅図」にぐっと寄ってみたりで、切り口も柔軟だ。

また、伊能忠敬の地図や漫画、庭園など、一般には「美術」と言えるのか言えないのか微妙なものまで踏み込み、フリージャズみたいな奔放さがある。

むろん、ただ好き勝手に題材を選んだわけではない。

背景には、著者の考える

「美術」

を含む

「芸術」

の定義がある。

〈そもそも芸術とは、ここではない「どこか」につれていってくれるかどうかで真価が決まります。

一方、絵画とはいえ、「どこにもつれていってくれない」ものも多くあり、絵画なら全て芸術ではない、と気付きます〉

油絵だから美術なのではない。

彫刻だから美術なのでもない。

見る前と見た後で世界が違って見える、そんな影響力を及ぼすものこそが著者にとっての

「芸術」

であり、その範疇からいえば地図だって、庭だって立派な

「芸術」

になり得るのだ。

そして、著者はこうも語りかける。

〈見る方は同じ人間として、絶対の正直さでそれらに向かえばいいのです。

好きか嫌いか、です。

これが正しい芸術への接し方だと思います〉

表現するほうも自由ならば、それを享受する側も自由というわけだ。

だから、著者は名作や巨匠を説明するときにも自分なりの表現を使う。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の構図をホームドラマの「時間ですよ」のカメラアングルと重ねあわせたり、江戸の代表的絵師・俵屋宗達を「アートディレクター」と評したり。

そのたとえは、等身大でわかりやすい。

ただ、ちょっと注意したいのは、ここに書かれていることは、すべて著者なりのひとつの解釈に過ぎない、ということだ。

たとえば、先述の「紅白梅図」にふれているくだり。

絵の中央に配した河に銀箔が使われているという従来の説をもとに、著者の想像はふくらむ。

〈完成当初は目にもあざやかな銀色であったと思われます。

しかし銀は早くて数カ月で酸化して黒く変色してしまいます。

(中略)

時の流れを表わす河が、時の流れとともに次第に様相を変える。

光琳は大胆にも時の流れに作品の最後の完成を託したのです〉

なかなかロマンを感じさせる解釈ではある。

だが最近の科学調査の結果によって、この部分には銀箔などの金属成分ではなく、有機色料が使われていたことがわかっている。

著者の読みは絶対的なものではない。

つまり、著者の

「美術の楽しみ方」

を受けて、あなたがどう思うかはまた別問題なのだ。

そうした点をあらかじめ考慮して読むなら、ストレートに

「美術」

の魅力を語りかけてくる本書は、単なるウンチク披露の入門書よりずっとおもしろい。

[ コメント ]
私自身、読後に、この本に登場したコンテンポラリーアートの作家について調べたり、実際に作品集を見たりとずいぶん興味の幅を広げてもらったクチだ。

入門書を手に取る以前、美術に興味を持つための

「窓口本」

ともいうべき1冊である。

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