【モノカキングダム2025】能楽SF『誤差率0.3%の娘』

■ 登場人物
シテ(主役) 老女ハルカ/最後の語り部
ワキ(脇役) 男/2125年の時間考古学者
アイ(間狂言) ムスビ/予測AI
子方 少女アイ/ハルカの娘(2085年、6歳)
*
■ 序之舞
2087年。電脳の霧に沈む能舞台。
老女の声だけが、データログの虚空に滲む。
ハルカ 「誤差——そう呼ばれし、二日」
暗転。
*
■ 第一場 問答
明かりが灯る。老女ハルカ、舞台中央に座す。
黒装束の男が現れる。
男 「未来より参りました。AIの記録から消えた出来事を探しております」
ハルカ 「最後の語り部でございます。2085年の——記録されぬ物語を」
男 「あの二日ですね」
ハルカ 「……左様にて。あれは、記録してはならぬものでした」
沈黙。ハルカ、退場。
*
■ 間狂言(アイの語り)
舞台に光の柱。AI「ムスビ」の姿が浮かぶ。
ムスビ 「私はムスビ。予測システム。事実を報告します」
ムスビ 「2085年。被験体アイ、6歳。余命診断:90日。誤差率0.3%」
ムスビ 「母は毎夜、物語を語りました。非効率的行為です」
ムスビ 「88日目。アイは発言しました」
ムスビ 「89日目。予測との乖離発生」
ムスビ 「90日目。91日目。92日目」
ムスビ 「92日目朝。アイは停止しました」
ムスビ 「誤差:2日。原因:不明。記録価値:なし」
ムスビ 「……なぜ、私は語っているのか。当機に、感情実装の履歴なし」
光の柱が、フリーズしたかのように唐突に消滅。
*
■ 第二場 回想
88日目、夜。
少女アイ、白い病衣。母ハルカ、傍らに座す。
アイ 「ママ。わたし、ずるいことを考えてる」
ハルカ 「……何を、わが子よ」
アイ 「あと二日で90日。でもね——物語を数えてるの。83個」
ハルカ 「アイ……」
アイ 「100個聞けば、終われる気がする」
アイ、母を見る。表情がない。
アイ 「だめ?」
ハルカ、答えられない。
───
照明変化。91日目、朝。
アイ、目を覚ます。
アイ 「起きちゃった」
ハルカ 「……ええ」
アイ 「AIさん、間違えたのかな」
間。
アイ 「84個目を」
ハルカ 「——終わらない物語を、話したの」
アイ 「……終わらないの?」
───
夜。92日目、朝。
アイ、母の腕の中。
アイ 「数え終わったら、終わっちゃう。でも数えるのをやめたら、続きはずっと、この中(胸を指す)にあるの」
アイ 「だから、ここで止めるね。……永遠にするね」
アイ(無表情のまま)「ありがとう、ママ」
静かに眠る。
暗転。
*
■ 第三場 独白
ハルカ、再び舞台中央に。
ハルカ 「AIは問いました。『なぜ誤差が生じたのか』と」
ハルカ 「私には答えられませんでした」
ハルカ 「娘は——自ら決めたのです。終わりを」
ハルカ 「それが愛か。執着か。諦めか」
沈黙。
ハルカ 「あの子の心の内で、何が起きたのか。母である私にも、分からぬ」
ハルカ 「ただ——恐ろしゅうございました。6歳の娘が、自らの死を、操ったこと」
*
■ 終之舞
男、近づく。
男 「その後は?」
ハルカ 「完全知性AIが誕生いたしました。全てを予測する存在が」
ハルカ 「されど、あの二日は記録されませんでした」
男 「なぜ」
ハルカ 「人の意志は、測れぬゆえ」
男は、震える手で記録デバイスを見る。
数値が乱れ、赤いノイズが画面を浸食する。
機械が流す血のように。
遠くから少女の声。
声 「ママ、85個目を」
男、振り向く。誰もいない。
計測不能のエラー音が鳴り響く。
男は、静かにデバイスの電源を切る。
男 「……これは、何だ」
論理では説明のつかない熱量が、手元に残る。
ハルカが、こちらを見た。
能面のように表情を削ぎ落とした顔。
だが、その唇の端に、一瞬だけ——陽炎のような笑みが宿る。
男は思う。いや、それは幻影か。
次の瞬間、ハルカの姿は霧へ消えた。
男もまた、歴史の闇へ溶けていく。
舞台には、誰もいない。
ただ、風の音にも似たホワイトノイズだけが、
観測者のいない世界で、永遠に再生されていた。
【終】
▶年末恒例、ことばとさん主催の「モノカキングダム2025」にエントリーさせて頂きます。
▶百人いれば、百通りの「あい」がある。— そのすべてに出会える贅沢を、どうぞ。
