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【ピリカ文庫】ひまわり【ショートショート】〜夏の花〜

「矢野です」と受話器越しに名前を聞いた瞬間、またかと思ってしまった。「すみません、急患があって、お迎えは7時になりそうです」聞き慣れた声とセリフに「わかりました」と明るい声で返した直後、プツッと電話は切れた。ツーツーと耳もとで通話音が響く。

「あさちゃん、お母さんね、今日もお迎え遅くなるって。今日は先生が遅番だから、一緒に待とうね」
学童室に戻り、机で本を広げて読む姿に言うと
「わかったー」
あさちゃんは顔を上げて返事をすると、また本に目を戻した。植物図鑑だろうか、大きな向日葵の写真が見える。次々と迎えがあり、60人いた子ども達も残るは一人、1年生のあさちゃんだけだ。冷房を入れても暑かった部屋が、今は涼しい。

小学校に併設されたこの学童クラブでは、子どもを夏休み中も預かっている。多くの保護者が決まりである6時半までに迎えにくるなか、矢野さんは大抵遅れてくる。以前は連絡がないまま7時を過ぎることもあった。あさちゃんは、そういったときも不安な様子は見せなかったけど、いつも一人残され、本当は寂しいんじゃないかと思ってしまう。

小さな手に色鉛筆を持つと、白い紙に茶色いマルを描いた。
「もしかして、向日葵を描くの?」
「そうだよー」
今度は黄色い色鉛筆で、一枚一枚花びらを描いている。見ながら描いているからか、やけにリアルで上手だ。
「すごく丁寧に描くんだね」
花びらを半分付けた向日葵を見ながら言うと
「これはね、ひまわりちゃんにあげるの」
手をとめて顔を上げた。丸い瞳が私を捉える。
「ひまわりちゃんって誰?」
「お母さんの病院に入院している女の子。もうすぐ誕生日だからプレゼントしたいの」
そういえば、矢野さんは小児科のナースだ。
「もしかして、ひまわりちゃんは8月生まれ?」
「そうだよ、面白いよね。お母さんから聞いたとき、びっくりしちゃった。はやく会ってみたいな」
そう言って笑う顔は、まるで向日葵のよう、という例えもおかしいのかな。

「朝顔、ごめんね、遅くなって!」
矢野さんが部屋に駆け込んできた。マスクの上のメガネが曇っている。そのまま机に向かうと
「これ、もしかしてプレゼントしたいって言ってた絵?」
と聞いた。その声に頷くと、あさちゃんは大きく咲いた向日葵のそばに「あさがお」と書いて、ランドセルに閉まった。              「本当にすみませんでした」
矢野さんは玄関でまた詫びると、手を繋いで帰っていった。

そっか。私が思う以上に、あの子は色々なことを理解して、考えているのかもしれない。寂しい気持ちもあるだろうけど、それだけじゃなかったんだ。心の片隅にある罪悪感が少しだけ薄れた気もする。

誰もいなくなった学童室に戻り、時計を見上げると時刻は7時10分。大変、私も早く迎えに行かなきゃ。

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