バックパッカーの家族観🎒
2009年12月から2年間、
私たちは新婚旅行と題して地球一周の旅に出た
お金をかけずに時間と夢をかけたバックパッカースタイル
おむぎ(奥さん)は初めての旅スタイルだったので、最初はお試しで2ヶ月間、東南アジアを巡った
最初の夜は、バンコクのカオサン通りにある姉妹が経営するゲストハウス
エアコンは当然なく、蚊に刺されないように天井の大型ファンを最大風速で回し続けた
寝台列車にレンタルバイク、国境を越えてマレーシアの山奥の小さな町で年越しをした

車窓から眺める景色がお気に入り
順調に旅を続けて、バックパッカースタイルが意外にイケることが分かったのでいったん帰国して長期の旅に備えて準備をした
だいたい2年くらいで世界一周の始まりである
◇ ◇ ◇
費用を抑えたくて、下関から中国・青島までフェリーで出国を試みた
筆談でどうにかなると考えていたが、私は小学生レベルの漢字しか書けず、おむぎの英語も相手に通じず入国10分で引き返そうとした
そのとき、たまたま同じフェリーに乗っていた親切なカップルの導きで、ふたりを迎えに来てくれた車に一緒に乗せてもらって2時間。。。
この旅最初の宿は、即墨というどこかわからない町のゲストハウスとなった


初めてできた中国の友達は、文字通り家族同然のように迎えてくれた

2週間のトランジットビザの間になんとか中国を脱出
次に目指したのはネパール
理由は「航空券が安かった」からだった

住み慣れたポカラという町で初めて見たヒマラヤ
その10日後には全く興味がなかったヒマラヤを目指してトレッキングをしていた




乗合バス
いつもお気に入りはルーフトップだった
名前が読めない町や村を乗り継ぎバスと寝台列車で旅をした



旅を始めて1年が経ったころ、
すれ違った同世代の日本人な旅人が同じ目的地を目指していることに違和感を覚えた
目的地 = 日本
当時、高橋歩の書く本は自由を身近にした
「世界一周しちゃえば?」
ビレッジバンガードにはそのアイデアが溢れていた
天邪鬼な私はおもしろくなかった
2年間派遣でお金を貯めて、リーマンショックをなんとか凌ぎ、円高(当時1ドル 76円だった)を味方につけた私たちの目的地は、当時の若者が目指す目的地と重なっていた
そんな中に起きた『アラブの春』
次の目的地をエジプトにロックオンしていたが、情勢が不安定なエジプトを避けざるおえなかった

ピラミッドを見ずして世界一周は成立しない
ちょうどその頃、タイミングよくネパール・インドの各地で再会と別れを繰り返していた友達が、バイクで旅をしていた
これだ!
これがしたい!
ふたりの刺激的な旅の話を聞くうちに、自分たちの中に次の目的地が芽生えた
『バイク旅がしたい』
それからバイクを買って40キロの荷物と自炊道具を積んで6千キロ / 6ヶ月の旅が始まった

とにかく過酷だったバイク旅
今までの比ではなかった
お互いに疲れ切って、お腹が空いて顔は真っ黒
余裕がなかった
そんな頃、インドからネパールの国境を越えた最初の町・マヘンドラナガルでそれは起きた

ATMでキャッシュカードを吸い込まれ、
野菜を抜いてとお願いした焼きそばには大量のタマネギが入っていたあの日、
私は爆発してしまった
おむぎは溢れてしまった
何が違うのか
どこですれ違ったのか
原因はどこにあるのか
お互いにおもっていること
考えていること
大切にしている価値観などを全て机の上に並べて話し合ったあの夜、
ふたりの価値観に大きな違いがあることに気付いた
私の育った家族のあり方は、
『家族なんだから何を言ってもいい。ケンカしても次の朝はおはようで始まるから』
という価値観をベースにしていた
おむぎの育った家族のあり方は、
『家族だからこそ相手を許すこと。どれだけケンカしても家を出るときは「いってきます」 「いってらっしゃい」ということ』
という優しさがベースになっていた
真逆の家族観を持ったふたりは、親密になればなるほどギャップが広がっていった
私は言いたいことを昨日よりも言うようになり、おむぎは昨日よりも我慢して私を許した
これではいけない
親密になればなるほど相手に寄り添い、寛容になり、優しくなりたいとおもった
私は心の底からおむぎに謝った
国境の町で本当に反省した
あの夜から、おむぎ式の家族観を自分の家族観にして生きていくことを誓った
◇ ◇ ◇
あれから16年
私たちは友達のような夫婦として朝マックに行く
よき遊び相手であり、相談相手であり味方である
あの夜に立てた誓いは、今でも守られている

