我ら鬼なり。理想郷を焼き尽くす獣なり。
「ようやクおいデなすったナ、おい」
ヴォルダガッダは不機嫌さを隠しもせずに言った。もっとも、彼の気分は不機嫌であるか、手が付けられないほどブチ切れているかのどちらかしかない。
その左腕は、体よりやや薄い色なのは変わらなかったが、太さと大きさはすでに無傷の右腕とまったく遜色ない。鵺火総十郎によってつけられた手傷も、もはや完全に塞がって凄味のある傷痕となっていた。〈螺旋律の魔竜〉によって最凶の歩兵として創造されたオークの肉体には、尋常の生物では考えられない頑健さと治癒能力があった。
「で? その食いでのねえヒョロカス未満のクズはなンだ? あ?」
「おやおや、歓迎がぞんざいだなぁ。僕ははっきり言ってこの戦いの勝利を確定させたと言っても過言ではない大金星をあげてきたんだけど」
「あァ?」
〈道化師〉は鳥かごの中に手を入れ、姫君の顎を掴んで顔を上向かせた。
「オブスキュア第三王女、シャーリィ・ジュード・オブスキュア殿下だ」
「クズの素性なんかクソどうデもいいンだよ。なんでそンな御大層に捕まえてやがんだヨ」
「彼女こそがヤビソー氏をこの世界に召喚した張本人だ」
「ナに……?」
凶気が烈風となって吹き付けてきた。極限の殺意が精霊力と反応し、ヴォルダガッダを包む空間を歪ませる。
「彼女を今この場で殺せば、厄介なヤビソー氏は煙のように消えて元の世界に戻ってしまう。僕らからすれば、事実上死んだも同然だね」
「て、めエ……」
驚愕と、困惑の色が、オークの唸りに交じった。
「まぁ、ここに来るまでに殺しても良かったんだけど、一応二人の判断も仰いどこうかなと思って」
微笑みながら、姫君の折れそうなほど細い首に手をかける。
「……もちろん、殺すよね?」
「ちょっと待てヤ〈道化師〉てめェ!!」
「なにかな?」
「そいツ殺したらヤビソーと殺し合えネえじゃねエかヨ!!!!」
「だから?」
「野郎が血反吐と臓物吐き散らして命乞いすルところが見れねえってこトじゃねえかフザけんなァァッ!!!!」
「もう一度言うよ。だから?」
〈道化師〉はシャーリィから手を離し、悠然とヴォルダガッダに歩み寄った。
「ふざけているのはどっちだい? 君、なんのために戦ってるの? ねえ、言ってみなよ。ほら、早く」
怒りと狂乱に満ちた唸り声が周囲を圧した。
反論できないので睨んでいるのだ。こういうところはけっこう可愛らしいと〈道化師〉は思う。
「邪魔なオブスキュア王国を突破し、人族の領域にオークの勢力圏を確立する。後顧の憂いを断つためにもエルフどもは皆殺しにする。君はそう語ったよね。あぁ、善悪はともかくとして、壮大な夢だ。ドス黒く、しかし眩いよ。君ほどの勇者が身命をかけるに値する野望だ。そんな君だからこそ、僕たちは手を貸しているんだよ。あまり失望させないでくれるかなぁ」
ヴォルダガッダの胸板に、こんこんと裏拳を当てる。ノックしてもしもし、壊れてないよね?
悪鬼の王のこめかみに、太い血管が浮かび上がった。怒気と殺気が吹き付け、ローブをそよがせる。
葛藤。
オークが本来抱くはずのないもの。そして〈道化師〉からすれば、己の欲望にきちんと順位をつけることができていないがゆえの、未熟で瑞々しい精神の発露だった。見ていてとても初々しい。いずれ必ず袂を分かたねばならない相手だが、たぶん憎むことはできそうにない。
「オレに指図スんな殺すゾ」
〈道化師〉を乱暴に押しのけ、ヴォルダガッダはシャーリィのもとに向かう。
その巨大な腕には、神統器〈終末の咆哮〉が出現していた。禍々しい血色の輝きが、威圧的に振り上げられる。
ヴォルダガッダの眉は不快げにしかめられていた。こんな問題外のゴミに対してわざわざ何かのアクションを起こすこと自体が、彼にとっては屈辱らしい。
だが、ともかくオーク族全体のために、支配者として成すべきことを成す。
瞬間。
黒く寒々しい影が、今まさに得物を振り下ろそうとしたヴォルダガッダの前に出現した。
青白い人差し指が、オークの肘にぴたりと押し当てられている。指先ひとつで、緑の凶獣の動きを抑えている。
椅子に座った者が、額を抑えられると立ち上がれなくなるのと同じだ。動作の最初の段階で止められると、どんな怪力の持ち主でも動きを封じられてしまう。
だが、それを迷いなく正確にやってのけたこの運体。彼――〈鉄仮面〉の戦技の冴えは、生前のものを錆びつかせることなく保持し続けているようだった。
「……おイ、なんのつもりだ、テメェ」
ヴォルダガッダは、抑えられていない方の手を開き、鉤爪を威圧的に見せつけた。
「その指はなンだ? ア?」
「……殺すのは、反対だな」
「アアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
爆発が起こった。そう錯覚してしまうほどの、感情の迸り。生気と怒気が津波のように叩きつけ、〈鉄仮面〉の瘴気を吹き散らす。
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