吐血潮流 #18
結局のところ。
セラキトハートの敗因とは、実力でも相性でもなく、いらん策を弄して物事を楽に済ませようなどと考えた点である。
ごく普通に篤との約束に従い、尋常な勝負に臨んでいたならば十分に勝ち目はあったし、その後悠々と藍浬を拉致することもできたはずである。
物事の優先順位を明らかに間違えていたのだ。
そのせいで攻牙と謦司郎の介入を許し、すべての計画が台無しとなった。
だが、それは何故だったのか?
なにゆえに彼女は障害の排除そっちのけで藍浬を手に入れようとしたのか?
そこに、何か意味があるのか?
●
視界が、白く塗りつぶされた。世界から、一切の音が消えうせた。
「かっ……くっ……?」
セラキトハートは、自分の体に何が起こったのかわからなかった。
ただ、痛みがあった。
それは篤の攻撃を防いだ時の、直接的な痛みではなかった。そんな感覚は、とうに麻痺している。
では、これは何か?
この、体の内部から響いてくる、耐えようもない痛みは何か?
「ひ……ぅ……」
違う。
これは痛みではない。
喪失感だ。
「う……う、うぅ……」
――射美は、なくし、ちゃった……?
何を?
自分は、何をなくしたというのか?
視界が、徐々に戻ってゆく。
空が広がっていた。視界の端を、沈みかけの太陽が、赤く照らしている。
どうやら仰向けに倒れているようだった。
徐々に意識がはっきりとしてくる。
背中に、土の感触。冷たく、ざらついた感触。
ごうごうと鳴る風。耳鳴りのごとく。
そして、空を覆う、目が覚めるほどの赤。
赤。
炎のような、華のような、絵の具のような、リンゴのような。
――血のような。
「……ぐっ……ぅ……っ!?」
そう思った途端、自分の体の中心にある、底なしの空虚が、中身を求めて暴れだした。
喪失感。
痛いほどの。
本能的に、セラキトハートは悟る。
――ショートして、灼き切れた。
彼女は知っている。自分の肉体の中に、ある機械が埋め込まれていることを。それは、体の中を〈BUS〉が流動した際、抵抗を減らして臓器への負担を軽くする機能を有していた。
……特殊操作系バス停使いの宿命である。人体とは、あらゆる部位が無駄なく組み合わさって形作られる精密なからくりだ。そこに特殊操作系能力のような、人体の本来の機能とはまったくかけ離れた余計な能力がそなわれば、不具合が起きないほうがおかしいのである。規格の違う部品を無理に押し込んでも故障するだけなのである。
もちろん、内力操作系や外力操作系のバス停使いにもその種の負担がないわけではないが、鍛錬次第で克服できる程度のものだ。特殊操作系能力がもたらす命の危機とは無縁である。
だからこそ、セラキトハートの体には、能力と人体の仲立ちをするシステムが組み込まれていたのだ。
それが、故障した。
本来ならばありえない事態。だが、慣れない近接戦闘を強いられたことによって、極度のストレスと肉体への負担が重なっていた。さらにバスを探そうと躍起になるあまり、『夢塵原公園』と深く感応しすぎた結果、バス停が受けたダメージの何割かがセラキトハートに逆流してきたのだ。
内臓機械は、その負荷に耐えられなかった。
「うぅぅ、う……あっ……!」
空虚が、暴れまわる。
なくしたものを求めて哭く。
牙を剥く。
セラキトハートは身をよじる。体内にブラックホールが発生し、次々と周囲の臓器を飲み込んでゆくかのような感覚。
死に直結した苦しみ。
冷たく熱い汗が噴き出す。体が痙攣を始める。心臓の鼓動が鳴り響き、そのたびに体の機能が死んでゆく。
――……いや……
セラキトハートははっきりと恐怖した。
――助けて……
自分と一緒にこの町へ乗り込んできた仲間たちを想った。
――タグっち! ディルさん! ゾンちゃん! ヴェっさん!
昏みゆく眼をいっぱいに開いて、彼らの姿を探し求める。
――助けて! たすけて!
だが、視界はすでに真っ赤に染まり、もはや何も捉えることはできなくなっていた。
さらに、視覚以外の感覚も、ひとつずつ深紅の暗闇に沈んでゆく。
触覚が沈んだ。横たわる地面の感触は真っ赤に染まった。
味覚が沈んだ。口の中に残る血の味は真っ赤に染まった。
嗅覚が沈んだ。かすかに香る土の匂いは真っ赤に染まった。
聴覚が沈んだ。鳴り響く風の音や、近くにいる誰かが上げる声は真っ赤に染まった。
セラキトハート……否、鋼原射美は、一切の感覚を失い、ただ深紅色をした狂感覚の牢獄の中を、無限に漂い続けた。
何もなく、何一つ感じ取れない世界が、これほどまでに恐ろしいものであることを、射美は思い知らされた。
そして、恐ろしいと思う心すら、徐々に溶けていった。
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