見出し画像

第2話:死を刻む蓄音機(記録No.013)|前編|管理官ニナの記録室|真相の標本箱|水平思考ゲーム

はじめに

前回のお話はこちらから

本編

【前編:鏡の表(おもて)】

その部屋の扉を叩いたのは、私自身の「存在意義」が揺らぎ始めたからだった。

管理室「0番の仕切り」。

地上から隔離された、青白い光が満ちる白銀の空間。
壁一面を埋め尽くす小さな引き出しの群れは、まるで無数の沈黙を収めた墓標のように整然と並んでいる。

「……お掛けなさい」

アッシュシルバーの髪をした少女――管理官ニナが、冷めた紅茶を前に座っていた。漆黒のドレスに、清潔な白いエプロン。
彼女がわずかに動くたび、腰の古い鍵束が「チャリ……」と硬質な音を立てて静寂を刻む。

「……お忙しいところ、申し訳ありません」

私は丁寧に膝を揃え、使い古された、けれど手入れの行き届いた布バッグを膝に置いた。

「母のことなのです。
もう十年、私は母一人を看てまいりました。
周囲には『現代の聖母だ』なんて言われますが、私はただ、母にそばにいてほしいだけなのです。 
……ですが最近、母の『声』がおかしくなりました。扉越しに聞こえる声が、日を追うごとに若返っていくような気がして……」

ニナは感情を排した翡翠色の瞳で私を射抜いた。

彼女は迷いなく一つの引き出しを開け、中から古びた蓄音機の針のような「標本」を提示した。

「……あなたのその『不安』。正体が何であるのか、この標本を使って確認しましょう」

【標本No.013:ママが消えた部屋】
ある少女が部屋に入ると、いたはずの母親が消えていた。
少女は毎日欠かさずその部屋の前に食事を届けており、母親の声も聞いていたはずなのに、一体なぜ?

「……あの、これは何でしょうか? 私は母の相談に来たのですが」

私は当惑して聞き返した。
今はクイズを楽しめるような心境ではない。
しかし、ニナは微塵も表情を変えず、冷徹に言葉を継いだ。

「これは診断よ。……私が提示したこの『不条理』に対し、あなたがどんな問いを投げ、どう解き明かすか。それを見れば、あなたの抱える歪みがどこにあるのかが分かるわ」

「……診断、ですか?」

「ええ。ルールは簡単。あなたは私に質問を投げなさい。私は『はい』『いいえ』、
あるいは『関係ありません』の三言だけで答える。……さあ、始めて」

少女の有無を言わせぬ視線に、私は気圧された。これもまた、母を救うためのプロセスなのだろうか。

「……わかりました。解いてみますわ。
……そのお母様は、少女が目を離した隙に、窓からこっそり外へ逃げ出したのでしょうか?」

いいえ

「……では、隠れん坊のようなものかしら。部屋の中の、クローゼットやベッドの下に隠れていた?」

いいえ

私は少し首を傾げた。
問題文をなぞるように、一つずつ可能性を埋めていく。
それが、母を案じる娘としての正しい思考の作法だと思ったから。

「おかしいわね。声は聞こえていたのでしょう? では……その声は、隣の部屋から聞こえていたとか、部屋の構造上の錯覚だった?」

いいえ。……声は、確かにその部屋の中から聞こえていたわ」

ニナの返答は短く、氷のように冷たい。
私は、整えたはずの指先が、わずかに震えるのを感じた。

「少女が声を聞いたとき、本当にお母様は部屋にいたのですか?」

「……いいえ。そこには誰もいなかったわ」

誰もいない部屋から、母の声がする。
パズルの中の不条理が、私の現実の輪郭をじわじわと侵食していく。


【後編へ続く】


◾️水平思考ゲームにご興味のある方はこちら

いいなと思ったら応援しよう!