米国公民権運動の深い闇
アメリカにおける公民権運動において我々が義務教育で習う内容は凡そ以下のようになるだろう。「裁縫の仕事をしていたローザ・パークスは1955年12月1日にアラバマ州モンゴメリーの市営バスで白人乗客に席を譲ることを拒否したことにより逮捕された。この行動により黒人はバス・ボイコットを始めとした人種隔離に対する反対運動を始め、遂には廃止させることに成功した」と。
しかしこれは正確ではない。というか嘘とすら言える。ここで公民権運動に詳しい方ならパークス逮捕の数ヶ月前にも、クローデット・コルヴィン(15歳女性)、アウレリア・ブラウダー(37歳女性)、メアリー・ルイーズ・スミス(18歳女性)等の白人優先席を譲らずに逮捕された黒人女性の名前をあげ、「パークス以前から黒人女性による交通機関の人種隔離抗議運動は盛んだった」と答えることだろう。
また法律に詳しい方なら1944年にグレイハウンドバスで逮捕され、モーガン対バージニア州事件(州間バスにおける人種隔離を違憲とした1946年の最高裁判決)につながったアイリーン・モーガン(28歳女性)の名前を挙げることだろう。つまり「パークスの行動によって人種隔離反対運動の火の手が上がった」的な記述は嘘…は言い過ぎかもしれないが、正確とは決して言えない。
このようにパークスの行動は画期的であったが孤立したものではなく、アフリカ系アメリカ人による交通機関における人種隔離に対する長い抵抗の連続性の1部であったのだ。そしてこの運動において名前を残してるのは女性だけである。これは運動において男性はあまり参加しなかった、或いは目立った役割を果たした男性がいない事を意味するのだろうか?勿論そうではない。何故なら、この闘争は実に1世紀以上の文脈を持ち、最も差別が苛烈な頃に行われた運動は比喩ではなく死と隣り合わせであり、その矢面に立ってきたのは男性であるからだ。公民権運動は「非暴力的大衆抗議」「経済的合理性を逆手にとった融和」として語られるが、その背後には男性達の文字通り血で血を洗う闘争があり、その犠牲があったからこそ「非暴力的抗議」が通用するようになったのだ。パークスの活躍は彼等の高い屍の山の上に築かれた城である。
殺される黒人男性達
公的記録に残っている交通機関の人種隔離政策における最初の抗議活動はフレデリック・ダグラスによるものだとされている。ダグラスは1841年に列車で白人専用車両に乗り込み、彼を引きずり降ろそうとする鉄道職員と死闘を演じた。死闘というのは比喩ではなく、ダグラスはかなり激しく鉄道員と争ったらしく、ダグラスが再び乗車する可能性を考えて列車は数日間ダグラスが降りた駅には停車しなかった記録が残されているほどだ。またダグラス自身も、この経験を基に「死闘なくして前進なし(Without struggle, there is no progress.)」という名言を残している。このダグラスの行動が如何に勇気がいるモノであったか?彼は何故そこまで暴れる必要があったか?を知るには、この時代に如何に黒人リンチが蔓延していたか?を説明する必要がある。
https://www.amazon.co.jp/-/en/Francis-Boardman-Crowninshield-Bradlee/dp/0265611369
1840年代のリンチの公的記録は断片的であり、NAACPやタスキーギ研究所も収集を諦めたほどである。しかしながら1880年代からのリンチ統計の推移を見れば1840年代が如何にヤバいか?は大体想像がつくだろう。

リンチを実行するための口実として1般的に挙げられたのは殺人と白人女性への性的暴行容疑であった。具体的な数字をあげるとタスキーギ研究所が収集した1882年から1951年までの記録によれば、リンチの口実として挙げられた容疑のうち、殺人及び傷害が約41%、レイプが約19%、レイプ未遂が約6%を占めている。勿論コレはアイダ・B・ウェルズのような調査ジャーナリストの研究によって明らかにされたように、その殆どは虚偽であったり、誇張されていたり、あるいは他の動機を隠蔽するために利用されていたが、このような事件は人種隔離政策の正当化ツールとして使われていた。即ち当時の白人は「黒人は凶暴で傷害したり強姦するから白人スペースが必要なんだ!これはむしろ私達の方が黒人に追いやられてるんだ!」という被害者意識を抱いていたのである。そのような中でこの「レイプ神話」は白人の怒りを動員し、極端な暴力を正当化するための極めて強力な道具として機能した。
こうした中で行われた交通機関の人種隔離反対運動は白人に多大な恐怖感を与え、或いは彼等のプライドを刺激し、或いはコレはリンチにかける好機として…とにかく理由は最早推測するしかないが黒人死者を生み出した。その正確な数は追えない。またリンチ記録の中では白人女性に恐怖を与えたという理由で交通機関において白人女性の近くに座った/立っていた黒人男性をリンチにかけるのはよくある事であった。そしてこのリンチ自体が「リンチされる可能性があるにも関わらず白人女性の近くにくる黒人男性は女性に性加害するのが目的に違いない!」とリンチの正当化として機能した。当時の空気感は黒人にとって非常に厳しかったのである。
このように当時白人が黒人を差別的扱いする理由として最もよく使われた理由が「レイプ神話」である事は疑いようがなく、naacpの公式HPにもしつこく言及されている。
レイプ神話
とは、黒人男性が本質的に白人女性に対して性的衝動を抑えられない野蛮な存在であるという虚偽の物語であり、白人男性による「白人女性の純潔の保護」という名目での暴力行使を正当化するものであった。この神話はリンチの背後にある経済的・娯楽的な動機を覆い隠し、白人暴徒の行動を扇動する上で極めて効果的であり、彼等は「私達は被害者なんだ!これは正当防衛なんだ!仕方ないことなんだ!」と叫びながら黒人男性を殺し続ける。これは決して誇張表現でも何でもなく、例え白人系新聞「The Daily Commercial」は1892年にレイプ神話を統計的に裏付けるモノはなく、白人女性は嘘つきである…という言説に対して次のように反論した。
同族の最も凶悪な感情を掻き立てようとする黒人達は危険な感情(被害者意識)を弄んでいる。黒人達は黒人強姦犯の容赦のなさや、擁護者には忍耐もないことを理解すべきだ。この街で発行されている黒人機関紙の最新号には次のような残虐な1文が掲載されている。「この地域では黒人男性が白人女性を強姦するという古くさい陳腐な嘘を信じる者はいない。南部の白人男性が注意を怠れば、彼らは行き過ぎてしまい、世論が反発し、彼らの女性の道徳的評判(正直さ)に甚大な損害を与えるような結論に至るだろう」黒人の悪党が生きていて、これほど忌まわしく忌まわしい中傷を吐き出せるという事実は、南部の白人の驚くべき忍耐力を示す確かな証拠だ。しかし、もう我慢の限界だ。南部の白人には我慢出来ないことがいくつかあり、前述の卑猥な暗示は筆者の我慢の限界に達した。
(Those negroes who are attempting to make the lynching of individuals of their race a means for arousing the worst passions of their kind are playing with a dangerous sentiment. The negroes may as well understand that there is no mercy for the negro rapist and little patience with his defenders. A negro organ printed in this city, in a recent issue publishes the following atrocious paragraph: "Nobody in this section of the country believes the old thread-bare lie that Negro men rape white women. If Southern white men are not careful they will over-reach themselves, and public sentiment will have a reaction; and a conclusion will be reached which will be very damaging to the moral reputation of their women."The fact that a black scoundrel is allowed to live and utter such loathsome and repulsive calumnies is a volume of evidence as to the wonderful patience of Southern whites. But we have had enough of it.There are some things that the Southern white man will not tolerate, and the obscene intimations of the foregoing have brought the writer to the very outermost limit of public patience.)
「レイプ神話」がこれほどまでに強力な影響力を持ち、事実に基づいた反論に対しても根強く抵抗され続けた理由は、単に政治的な道具として有用だったからだけではない。端的に言えばレイプ神話はある種の女性達や騎士の文字通りの神話…宗教とて機能していたのだ。
それ故にアイダ・B・ウェルズやNAACPらが、リンチの真の動機が経済的競争や政治的抑圧や娯楽にあること、そして告発された「レイプ」が実際には合意の上での関係であったケースや盛松や嘘松が殆どである事をいくら暴露しても神話は容易には消えなかった。何故なら神話は論理ではなく、恐怖と憎悪という感情に訴えかけるものだったからである。リンチの犠牲者を「怪物」として描く言説 は、暴力を正当化するだけでなく、白人側の加害意識を麻痺させ、残虐行為への参加を促す心理的メカニズムとしても働いていたのだ。
https://digitalcommons.memphis.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=4734&context=etd
ここで「しかしアイダ・B・ウェルズの根強い活動やNAACPの広報や法廷闘争により、徐々に真実が浸透して著名人の支持も得、レイプ神話は解体されていった」と続けられればいいのだが、実際はDNA検査が導入されるまでこの神話は解体されず、黒人男性は殺されこそしないものの以後もずっと強姦冤罪に晒され続ける羽目となる。
その為、ここではレイプ神話は「エメット・ティル事件」以降、少しマシになった…という表現で区切りを説明する。
血の犠牲
1955年8月…モンゴメリー・バス・ボイコット事件の3か月前ミシシッピ州で起きた14歳の少年エメット・ティルのリンチ事件は、反リンチ運動と公民権運動全体の転換点となった 。シカゴから親戚を訪ねてきていたティルは白人女性に対して口笛を吹いた(とされる)事を理由に残虐な暴行を受けて殺害された。
この事件が米国に大きな影響を与えたのはティルの母親メイミー・ティル=モブリーの決断によるところが大きい。彼女は、息子の無残な遺体を納めた棺を開けたまま葬儀を行い、「Jet」誌などのメディアがその写真を掲載することを許可した。これにより「白人の」暴動が発生した…「黒人の」のタイプミスではない。彼等は「シカゴの葬儀場で黒人の暴動が起こった」「事件に怒った州外の黒人は雪崩れ込んでる」と被害妄想に陥り、武装やバリケード作りや黒人排斥に乗り出したのだ。当時の記録には保安官も彼等と1緒に侵入者と見做した黒人を連行しようとした記録が残されている。
更に虚偽告発?した女性ブライアントとリンチ実行犯ミムラが殺人罪で起訴されると白人暴力はピークに達する。尚2人の起訴…特にブライアントの起訴は公民権運動上の重要な転機となった。何故なら「白人女性の虚偽告発が暴行や殺人教唆として罪を問うことが出来る」ということが初めて示された事例だからである。しかし白人はこれに抗議し、裁判では銃で武装して傍聴人席に座るという手段に訴え出た。これに対して黒人は裁判所を包囲し、有事に備える戦略をとる。こうした内外の圧力にも関わらず、陪審員は全て白人が行うことになり裁判では2人は無罪とされたが、この出来事は公民権運動の起爆剤となるだけでなく「虚偽告発リスク」を示す事により、レイプ神話の勢いが削がれる契機となった。
ローザ・パークスは何故活躍出来たのか?
は結論から言えば女性だからである。更に言えば、黒人の反リンチ闘争活動が実を結び始めたからである。それ以前にも抗議者は男性含めていないわけではなかったが、男性が個人の孤立した抗議活動として白人優先席に座るのは比喩ではなく死の危険性と隣り合わせだったのだ。
例えばジャッキー・ロビンソンは、1944年テキサス州に駐屯していたアメリカ陸軍少尉時代、陸軍バスの運転手から後部座席への移動命令を拒否して騒動になった。当時の陸軍には既に基地内のバスにおける人種隔離を禁止する陸軍規則が存在していたが、運転手は同僚の妻…黒人だが肌の色が白い女性…が1緒にいたことで騎士精神を発揮して移動命令を出したのだ。最終的に事件は軍法会議にもつれ込んだが、罪状は不服従や無礼な行動であり、直接的には座席を拒否したことではなかった。弁護士は告発が軍隊内における人種的緊張(レイプ神話)から生じたと主張し、ロビンソンは全ての罪状で無罪となった。これは軍隊における人種差別に対する小さな勝利であったが、同時に軍隊内でさえ、ジム・クロウの慣習に異議を唱えることがどれほど困難で危険であるかが露呈されたものでもあった。
しかしロビンソンの事例はこれでもまだ温情な方であり、1941年か1942年(資料によって違う)にテネシー州でバスの座席移動を拒否したバイヤード・ラスティンはリンチにかけられた。尚彼は1命をとりとめ、以降も不屈の精神で人種隔離政策に抗議し続けた。
このような中で黒人男性は白人の暴力から身を守るために組織として抗議する手法をとった。中でも1953年のバトンルージュ・バス・ボイコットは、南部で最初の大規模なバス・ボイコットであり、T・J・ジェミソン牧師(男性)が主導した。このボイコットでは「路面電車が使えないなら自家用車を相乗りしよう!」がスローガンになり、後のバス・ボイコット運動におけるテンプレートとなる。このボイコット運動で完全な人種差別撤廃には至らなかったものの、座席割り当てに関する妥協案が成立した。
https://www.blackpast.org/african-american-history/baton-rouge-bus-boycott-1953/
また暴力には暴力で対抗しようとした人物もいた。モンゴメリーのデクスター・アベニュー・バプテスト教会のヴァーノン・ジョンズ牧師は1947~1952年にかけて何回も白人優先席に座った。彼は運転手からバスを降りるよう命じられると、他の乗客にも抗議に参加するよう促して運賃の払い戻しを要求した。その際に彼は運転手の銃を抜いて自分にあて「撃てるものなら撃ってみろ」と挑発したり、黒人の歌を合唱させるなど攻撃的な言動を繰り返した。彼はキング牧師から「不正義に対して決して黙っていない恐れ知らず(fearless man)」と評されたが、彼の良いも悪いも目立つ言動は穏健派?黒人の間でも賛否を呼び、また地域社会と黒人の緊張関係を強めるものでもあった。
こうした点において公民権運動におけるローザ・パークスの逮捕は言い方は悪いが理想的だった。まずパークスの逮捕は、モンゴメリーの黒人コミュニティが組織的な行動を起こす準備が整った瞬間に起こったという時期的良さがある。(黒人)女性政治評議会やNAACPモンゴメリー支部は既にボイコットの可能性を議論しており、E.D. ニクソン(NAACPモンゴメリー支部長やジョー・アン・ロビンソン(WPC会長)のような指導者たちは、パークスの逮捕を契機として即座に行動を起こすことが出来たのだ。
次にパークスは象徴として完璧だった。モンゴメリー・バス・ボイコットの指導者たちは、運動の象徴となる人物を戦略的に選んだ。ローザ・パークスは「静かな尊厳」、地域社会での尊敬、NAACPでの活動歴、そして「非の打ちどころのない性格」により、象徴として理想的な候補者と見なされていたのだ。他の女性達はパークスとは対照的に、例えばクローデット・コルヴィンは若く(15歳)未婚で妊娠していたことが後に判明し、抵抗時も感情的だったと言われており、象徴としては難があった。またメアリー・ルイーズ・スミスも若く(18歳)、尚且つ父親がアルコール依存症であった(当時は禁酒運動も盛ん)。男性陣もヴァーノン・ジョンズ牧師はモンゴメリーで尊敬を集めていたものの物議を醸す人物であり、バイヤード・ラスティンも有能な戦略家であったが、元共産党員で同性愛者で性的倒錯での逮捕歴があった。
その為モンゴメリー・バス・ボイコット運動はパークスを担ぎ、意図的に「穏やかで非暴力的でファクトを重んじる聖人な黒人 vs 感情的で暴力主義でファクトを認めない野蛮な白人」という図式を作り上げたのだ。そして3か月前にはエメット・ティルのリンチ事件が起き、「感情的で暴力主義でファクトを認めない野蛮な白人」に対する風当たりはかつてないほど激しいモノになっている。
そして我々の良く知る物語は出来上がった。曰く「1人の勇気ある女性が行動を起こし、黒人の公民権運動に火をつけ、彼等は非暴力主義で人種隔離政策に抗議し人権を勝ち取った」と。
抵抗のタペストリー
しかしこの単純で美しい物語はパークス以前の多くの抵抗者や犠牲やボイコットを可能にした長年の組織努力…そして「そもそも何故人種隔離政策は続いたのか?」という文脈を見えにくくしてしまう。
ローザ・パークスの行動の重要性を損なうことなく、彼女以前の男性および女性による抵抗の歴史を認識することは、公民権運動のより完全でニュアンスに富んだ理解に繋がるだろう。パークスの行動は孤立した自発的なものではなく、長年にわたる個人の勇気、組織的な努力、法的な挑戦の積み重ね…そして血の犠牲の上に成り立っていたのだ。
