どんぐり農家を続けるべきか・・・#4 どんぐり農家の智慧
どんぐり農家を続けるべきか・・・。
都会に背を向け土臭い山に戻り、20年毎日毎日ずっと考えている。
決断力が皆無で先送り癖に翻弄されながらも力強く生きている自分もまた愛おしいので、たまには逆にどんぐり農家の何が良いのか考えてみたいと思う。
まず秋まですることがない。
まあ、現実は厳しく春夏あたりは米、野菜、酪農農家の小間使いをせねばならない。
しかし、それ以外はウバメガシを見上げて「今年は沢山落ちてきてくれまいか」と願うぐらいしか出来ることがない。
たまにリスを見かけたら追いかけ回すことはあるが、俊敏なリスを捕らえることは不可能なので「あっちの家の木に行けー!」と怒鳴りながら木の枝を振り回すぐらいが関の山だ。

秋になったら毎日朝から晩までどんぐりを探し拾って回る。
この時期は面倒臭くて大変だが、他の作物を作ったり、畜産をされる立派な農家様のように何千万、何百万とするトラクターや農機を使い、年中作物や家畜の世話をする必要もない。
ランニングシャツにニッカポッカを履いて軍手を着けたら籠を持って自分のエリアの山を歩いて約1カ月間どんぐりを拾ってまわる。
虫が食ったどんぐりを見つけたら他の家の敷地に投げる。
他の奴もみんなそうしているので今更ケンカにはなることはない。
誰かに腹が立ってもケンカをせず虫食いどんぐりをその家の敷地に投げ入れることでストレスを発散する先人の知恵であり、村の伝統なのだ。
ただ、やけに虫食いどんぐりを拾ってしまった日の夜は『俺は村で凄く嫌われているのか?』と憂鬱な気持ちになることもある。
でも、寄合で「今年の虫食い被害はどうだ?」という話題になるとみんなが口を揃えて「今年は全然、虫食いを見ないな」と言う。
そしてみんな腹の中で『嘘こけ!お前んちの敷地に今年既に500個は虫食いを投げてるぞ!』などと思うのだが、それでケンカにならないのだから、素晴らしい伝統なのだと思う。

被害妄想の強い坂の上の幸次だけは秋になると毎年「あいつがあいつの敷地に『虫食い』を投げとる」とか
「昨日の夜中誰が誰の敷地を歩いとった」と吹聴して回っているが、もう皆、しんどい秋の風物詩として流している。
幸次の弟の幸三だけはそういう話を真に受けて顔を真っ赤にして
「お前っちかー!」
怒りに任せ乗り込んでくることもある。
しかし、「それは俺じゃなくて地蔵下の竜也だぞ」と言うと、すぐに顔を真っ赤にして走り去っていくので回覧板の様なもので苦でもない。

そうやって秋の山を朝から晩まで歩き回り収穫をしては虫食いを投げて、商いの分、自分の家で1年間食べる分のどんぐりを麻袋に入れて納屋にしまい込む。
晴れた日のみではあるがそんな過酷な労働が実に1カ月も続くのである。
ただ、ノルマもないし、そもそもどんぐりなどでいい生活など出来ないので、お気楽さは他の仕事の比ではない。
山菜も取り、カブトムシやクワガタも獲り、腐葉土も売る。川俣や大和田の稲作、野菜、畜産農家の小間使い。
自分が必要な分だけ働く。
山主様に平伏し、地区、他地区に飲まれぬように時には罵り合いやら掴み合いをしながら、日々生きてゆくのだ。
それが嫌なら、或いはそれ以上を望むなら、山を出て行くしかないのだ。
