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🤩❤🥰【GO to KASHII キャンペーン】「天下人と樫椎家」其の弐


樫椎(かしい)は歴史と文化の宝庫! 見どころ満載の樫椎に観光に行こう!

いざ、関が原に勝手に出陣!

前回は太閤秀吉の天下までお話しした。

樫椎は史実として豊臣秀吉による『太閤検地』も『刀狩り』も実施されたという記録が無く、これは見逃してもらったというより、認知されていなかったと考えられる。

秀吉の没後、国内は東西分かれて"天下分け目"の関ケ原の戦いが始まろうとしていた。

東軍 徳川家康、西軍 石田三成、どちらの陣営も各大名を味方に付けようと、必死に奔走し、書簡を送りまくっている状況である。

樫椎家も、か細い交易の中で、家康と三成の間で戦が起こるだろうと情報を掴んでおり、当主 樫椎 実秀かしい さねひで

『東西、いづかたがこの樫椎に泣きつき来るならむや』


「東軍、西軍、どちらがこの樫椎家に泣きついて来るであろうか?」

媚び諂ってくれば、助けてやろうかと余裕で静観を決め込んでいた。

しかしいつまで経っても誰も泣きついて来ないまま、戦が始まりそうな気配になり、

「おかしいではないか!樫椎家を安く見ているのなら、東西まとめて討ち果しちやろうぞ!」

実秀は怒りに任せて出陣を決めた。

関が原前夜

実秀は「樫椎軍ほどの大群はおるまい」と御豆氏おまめしとの戦よりはるかに多い、80人近くの兵を引き連れて出陣した。

しかし関が原近くの山中に着いた時、斥候せっこう(偵察隊)が、

『おほかた足らぬ、百どころならぬ百があまた、兵士が百があまたほど居き、いま逃げ帰らばや』

「全然足りません!百人どころじゃない百人が沢山、兵士が百人の集団が数えられないほど大勢居ました!もう逃げたいです!」

報告を受けた実秀や兵士は大いに動揺して、「そんなに大勢が来るものなのか?」と泣き出す者もいた。

「生意気な東軍も西軍もまとめて樫椎軍で打倒してやろうぞ!」

つい今まで意気揚々だった実秀は、逃げるか、東軍に付くか、西軍に付くか選択を求められた。

当時の武士の価値観もあるが、プライドが高い実秀は、

『樫椎武士たるもの、逃げいだすなどといふことはあり得ず』

「樫椎の武士は逃げ出すことなどあり得ない!」

そう言って兵士の士気を高めたが、今度は東軍、西軍どちらに付くべきか、熱くなりやすい樫椎の兵士たちは掴み合いの喧嘩を始める有様だった。


運命の選択。

絶対に勝つ方に付きたい実秀は、樫椎伝統の占術に命運を託そうと決めた。

「どんぐりぐりぐり、エイィィッ!」

実秀が『団栗陣どんぐりじん』に力一杯、どんぐりを投げつけると
「絶対に西軍に付け!」という結果がでた。

「皆の者!我ら樫椎家は石田三成殿率いる西軍に参陣するちぞー!」

兵士の西軍派から大きな歓声が上がり、東軍派も君主の命にこぶしを突き上げた。


しかしその時、初陣を迎える実秀の嫡男ちゃくなん 実房さねふさ

「お父上殿!しばし待たれよ!『どんぐりさん』が東軍に付けと言っておるち!」

大声で実秀に進言した。

この一言で兵士たちは、また罵りあい、掴み合いを初めてしまった。

折角、大将として格好よく"西軍に付く"と告げて兵士の士気が上がって、
ご満悦だった実秀は、水を差された怒りで嫡男ちゃくなん 実房さねふさに掴みかかり、

折角、得意げに進言した実房も真っ赤になって怒り、配下を連れて陣を出ると、「お父上には『どんぐりさん』の罰が当たろうぞ!」と吐き捨て、泣きじゃくり、樫椎に帰ってしまったという。

生死をかけた究極の選択と短気で怒りやすい気質がそうさせたのか、怖くて逃げだしたのか分からないが、これにより戦を前に樫椎軍は半数の40名になってしまった。

西軍大将 石田三成陣営へ

夜が明けると、山歩きが得意な樫椎軍は、異常なスピードで笹尾山を回り込み、戦が始まる直前に、石田三成陣営に到達した。

しかし、三成の配下たちは、甲冑具足かっちゅう ぐそくも身に着けず、汚い藁を着た樫椎軍を見て呆れ、石田兵の数人が実秀らを森の中に連れて行き

ここは百姓どものいづる幕ならぬ いぶせければ失せよ』

「ここは百姓の出る幕ではない!汚い奴らめ去れ!」

兵たちがゲラゲラ笑いながら、追い払おうとした。

樫椎 実秀かしい さねひでが怒りで飛びかかろうとした時、既に配下の 平 藍利たいら あおとし大和田 恭平おおわだ きょうへいらが、我を忘れて石田の兵に斬りかかり、そこにいた数人全てを斬り倒してしまったという。

「石田殿の兵を斬ってどうするのだ!仲間に入れて貰えないではないか!」

実秀は慌てふためき泣いて、配下を強く罵倒し、ネチネチと叱責したが、
九頭 護実くず もりざね

円椎様つぶらしいさま(樫椎家の当主の呼び名)!この首を持って『石田勢の首獲ったりー』と徳川方に行ってはどうっちろうか?」

妙案を得て、樫椎軍は再び笹尾山を周り東軍陣営に駆け込んだ。

やっぱり、急遽、東軍へ

東軍の軍勢の前に、「石田三成めの陣に飛び込み首を獲ってきたっちぞ!」と告げると、怪訝な目で見られたが、首を預かりあらため、そのことは伝令により大将 徳川家康の耳にまで届いたという。
※『樫椎家絵日記』に記述。徳川家、黒田家、細田家、山内家などに一切資料なし

斬った相手は大した者ではなかったが、石田三成の兵だと確認が取れて、

『喜べ、家康公より「戦が始まりてほどなきに、敵大将の陣に斬り込むとはめでたしなり」といふお言の葉を給へしぞ、褒賞は頼め』

「喜んでいいぞ、家康様より「戦が始まって間もないのに、敵大将の陣に斬り込むとは見事である」というお言葉を頂いたぞ、褒賞は期待しておれ」

そう言われて実秀は天にも昇るほど舞い上がり、ご満悦な様子で、

「次こそはこの樫椎実秀が三成めの首を獲って参ろう!」

そう言って再び出陣したが、実際は山の中で、休憩しようという話になり、

『どうだ!自分の占術が正しかったであろう!』

『汚い格好で油断させ、石田の重鎮を一刀両断に斬り捨ててやったのだ!』

『急転直下、東軍に向かった判断は、並みの武将には絶対にできまい!』

『家康公と信長めとでは器が違うわい!わしは見抜いていたっちぞ!』

全て自分の手柄にして、得意げに大いに語っているうちに、戦が終わっていたという。

戦が終わると、首を渡した武将に、

「褒賞を貰えるということを、家康公に一筆書かせて持ってまいれ!」

英雄気分で上から目線でしつこく迫り、渋る相手から書状を貰ったという。
※『樫椎家絵日記』に記述。徳川家、黒田家、細田家、山内家などに一切資料なし

徳川家康と樫椎家

あらゆる大名の文書、資料にも信じられないぐらい出て来ない『樫椎家』だが、流石は抜け目ない家康である、しっかり間者かんじゃ(スパイ、闇リス)を送り報告させていた。間者が書いた文書が残っていたのだ。

『そもそも、あの土地を監視する必要はありません。遠いし、迷うし、危険だし、もう二度と行きたくありません。』

移動が非常に困難だったことが窺える。

『人はある程度いるが、山奥過ぎる上に技術も経済も聖徳太子の頃より遅れています。田畑はなく、ほとんどの者が山菜やどんぐりを拾い、小魚、獣を貪り食べている極貧の山村です。』

樫椎の状況を説明し、注目すべきは、

『何の恩恵を受けたつもりなのか知りませんが、領主以下、領民全員が朝晩に江戸に向かい「徳川様有難うございます」と頭を下げ、江戸、駿河、三河に足を向けて寝てはいけないとの法令が発布されています。』

そう報告したところ、家康は鼻で笑いながら、

『それならば捨て置け』

とだけ言ったと、残されている。

戦国時代から江戸幕府初期に樫椎家について、樫椎家以外の文書で『樫椎家』の名前が出てきたのは、間者が紙切れに日記として書いたのであろう、この一文だけである。

出典:『樫椎家絵日記』『樫椎雑記』『実秀記』『その他文書』
文:樫椎博物館館長・関谷学園大学教授(予定) 相州 賢一

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