どんぐり農家を続けるべきか・・・#10 バテレン多陰失踪事件
どんぐり農家を続けるべきか・・・。
時々、もうこんな土地に居たくないと、一人のたうち回ることがある。
調子乗りの太郎やアホの幸三に純真を笑われ、からかわれ、下に見られることが耐え難いのだ。
自分は良美にフラれてはいない。バテレン多陰に敗れたのだ。それを飲みの席で何度もフラれたとからかわれるのだ。
こんなへんぴな地域にも勿論2月14日のバテレン多陰と前日のバテレン多陰イブはちゃんとある。バテレン多陰が日本で始まって間もなく伝わってきたという。
当時、山の男衆は地区を問わず『おなごから男に言い寄る日とはふしだらでけしからん』と反対の声が上がった。
一方、女衆は『自分から気持ちを伝えられるのは良いし、都会者がやってるなら格好いいからやるべきだ』と賛成しバテレン多陰を受け入れる、受け入れないで揉めに揉めたという。
山の掟として、揉め事は山主様に判断を委ねねばならないので、男衆も女衆も椎山のお屋敷に住む山主様の元へ歩いて行ったそうだ。
おなごの恋愛への熱はとても高く、『バテレンタイン決行』というのぼりを背負う者が大勢居たという。

当時は今の山主の二代前の樫椎 雅玖都(かしい がくと)様が90歳の頃だったというが
当時の文献によると『おなごの圧が強すぎて雅玖都様が大層驚き、よろめき尻もちをついたはずみに失禁して、バテレンタインするとええーとおなごの主張を認めてしまった』とある。
この山主の判断により、山にもバテレンタインが訪れることになったが、それから毎年バテレンタインの夜に少年の失踪事件が続いたのだ。
大概は近くの沢や山奥で震え泣いているところを保護されたらしいが、数か月も見つからず県央の方の工事現場で働いていたという者もいたという。
失踪した理由はやはり思春期の山の少年のガラスの様なピュアさだった。
発見された少年は親や消防団の前で正座させられながら詰められ、理由を白状させられたが、皆同じことを言ったという。
「好いとるおなごに『チョコレート』や『おはぎ』や『ぜんざい』を貰えないのは耐えれる。
しかし、バテレンタインで好いとるおなごが他の男に言い寄るのを見せられて、告白もしてないのにフラれるのは、どうにも耐えられなん!」
そんなことが続くうちに誰からともなく、『バテレンタイン』の『バテレン』は十字架の偉い人の弟子っこさん達のことらしい。
しかし『タイン』の方が何かどうにも分からなかったが、どうやら『多陰』ということだ。と広まったのだという。
女と男前は2月13日、14日にひときわ輝くが、一方多くの陰も生むのだ。
だからバテレン多陰というのだと、この山では昔から通説になっている。
都会に出て暮らしてみて、「聖バレンタイン」という言葉とあのなんとも言えん『明るさ』や『軽さ』を体験して、
『どこが聖じゃ!あれは悲しい男の祭りぞ!』
と憤怒したものだ。
かく言う自分もバテレン多陰の晩に失踪したクチである。
良美は地区内の同世代4人のおなごの内の一人で、皆は良美はふっくらしとると言う。子供の頃は残酷なもので「肥えとる」という者もいた。
しかし、ふっくら高感度女子アナウンサー似の愛嬌ある女だ。女子アナウンサーよりは二回りぐらい大きいことは大きいが。
しかし、どんぐりを喰ってしまうリスすら可愛がる気立ての優しい女で、小学生のころからずっと気になっていたのだ。
小学生はバテレン多陰が禁止だったので、いよいよやって来た中学1年生のバテレン多陰の日はどうにも前のめりで、かかりすぎていた。
早朝から夕方暗くなり「もう帰れ」と学校から追い出されるまで、教室の机と下駄箱を50往復ぐらいしたが、どうしたことか何も起こらなかった。
それは耐えられたのだが、帰り道に太郎が後方からアホほどスキップして来て、
「おい!良美が忍沢の長治に手作りのどんぐり入りチョコレート渡しよったどー!」
と喚くのを聞いて"パッリーン"とガラスのハートが冬の地蔵前で砕け散った。

どんぐり農家が一番偉いはずなのに、なんで一番偉くない小魚漁師の家の奴に!この山ではそう決まっているはずなのに!
しかも『おはぎ』や『甘藷』(さつまいも)ではなく、良美の『手作りチョコレート』と聞いて涙が頬を伝い、頭が真っ白になってしまうと、
「おおおああああああああああ」
と叫びながら太郎の元から走り出したらしい。
気が付いたら、裏椎山の頂上で膝を抱えて月を見ていた。
2月の山頂は黄土色のダサい学ランだけでは、あまりにも寒くガタガタ震えていたが、それすらもうどうでもよかった。
明け方に保護されたらしいが、何故かその時のことをあまり覚えていない。

数年後、良美と偶然二人きりになった時に思い切って、声を振るわせながら、
「長治といつ時知り合ったか、何が良いんか」と聞いてみた。
良美は照れてはにかみ、嬉しそうに炒りどんぐりを口に押し込むと答えた。
「腹が減ってたまらんくなって、川でタニシとかエビとか手掴みで捕って、塩かけて、たらふく食うてる内に、滑ってコケて膝すりむいてへたり込んだんよ。
したら長治が走ってきて「この漁場荒らしが!」と突き飛ばされたら、岸に鼻ぶつけて鼻血が止まらんくなったから、鼻と膝押さえながらヒョコヒョコ歩いて家に帰ったんよ。
長治はアチシに怪我させたことが父親にバレて叱られボコボコにされて、夜分にしゃくりあげながら謝りに来て、ウチの庭先で土下座して詫びると、毎日小魚とタニシを持ってきてくれるようになったんよ」
と言うと、何がおかしいのか
「アーッハッハッハッハッハッー」
と高らかに笑った。
それを聞いた瞬間に、何かどうでも良くなり全て吹っ切れた気がした。
しかし、吹っ切れたのに太郎たちは今でも、自分が良美にフラれて泣きながら山頂に駆け上がった男と小バカにするのだ。
こんな恥ずかしい気持ちをどうして良いか分からず、一人枕に顔を埋めて叫びながら、もうこんな場所から出ていきたいと心から思うのだ。
