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【建築コラム】「比較」から考える評価の本質

―絶対評価・相対評価と創造性のすれ違い―

No.001

ゲルニカ』 Guernica 
スペインの画家パブロ・ピカソがドイツ空軍による無差別爆撃を受けた1937年に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られた壁画。

──ピカソが評価されたのは何故か?


建築設計という分野は地に足が付いた「論理」の部分と、世の中にまだないものを描く「創造」の部分があります。

そこでそもそも「創造性」の部分はいかに評価されるべきか?
…というものを「比較」の観点から考える内容です。


BEAVER、第1回目の建築コラムです。よろしくお願いします!



私たちが何かを「評価」するとき、知らず知らずのうちに「比較」という方法を使っています。

たとえば、

「AさんとBさん、どっちのプレゼンが良かったか?」
「昨日の自分より今日の自分の方が集中できたか?」

…といったように
私たちはつねに何かと何かを比べて判断しているのです。

こうした比較による評価は、いわゆる「相対評価」と呼ばれるものです。相対評価では、他の人や過去の自分などとの比較を通じて良し悪しを判断します。これは日常的でわかりやすく、使いやすい方法です。

一方で、「誰とも比べずに、あらかじめ決められた基準に達しているかどうか」で判断する「絶対評価」という方法もあります。たとえば、「100点満点のテストで80点以上が合格」といった形ですね。要はテストに基づいた点数付けです。

では、この2つの評価方法――相対評価と絶対評価――は、創造性に対してどのように働くのでしょうか?

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■相対評価のしくみと落とし穴


まず、「相対評価」について考えてみましょう。

相対評価を行うためには、以下のものが必要です。

  • 比較する対象(最低でも2つ)

  • 評価の観点や基準

  • 共有される文脈や条件

  • 判断材料になる情報

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たとえば「作文の良し悪し」を比べるとき、内容だけでなく「表現力」「論理性」「独創性」などの観点をもとに比較します。でも、誰がその基準を決めたのか? どこに重点を置くか? それは比べる人によって変わります。


つまり、相対評価には必ず「誰かの視点」「誰かの価値観」が入り込んでいるのです。「比較は中立なものではない」ということがここでのポイントです。


たとえばスポーツで「速さ」ばかりを見てしてしまうと、「工夫の面白さ」や「チームワーク」といった大切な要素が評価されにくくなってしまいます。

これが、比較には意図があり、視点があるということの意味です。比較という行為そのものが、見えないバイアスを持ち込むのです。

このしくみは、歴史の評価にも表れます。

たとえば「中世ヨーロッパは暗黒時代だった」という見方は、古代ローマや近代と比べたときの価値判断であり、それ自体が誰かの比較の視点から生まれたものです。「何と比べるか」「誰の目線で見るか」によって、歴史の語られ方すら変わるのです。


≪ちょっと深掘り≫


(本文を読み終わってから読んでください)

「歴史の評価」は、次の5つの視点が重要になります。

①学会(論文)
これは一番“正統派”の枠。論文・査読・学会発表を通じて、特定の視点や解釈が「妥当」とされていく。
一つの見方が定説化するには、資料的裏付け・論理的整合性・他の研究者からの支持が必要。

②教育
ここも影響力が大きい。教科書は、学会の成果+国の教育方針が反映されたものであり、「この歴史をどう教えるか」には、国のアイデンティティや政治的意図も入りがち。

③メディア
映画・ドラマ・小説・漫画・ゲーム…ここでの「歴史の描かれ方」も、実はかなり影響力がある。歴史小説の人気で再評価された人物。
・NHK大河ドラマで注目された女性の歴史
・最近だとSNSで「知られざる歴史」として再拡散される事実や解釈も多い

④政治
これは国によっては大変に根深い。歴史の評価は、「誰が語るか」だけでなく「誰に語らせないか」でも決まってくる。
戦争責任・植民地支配・差別・民衆運動など、特定の“都合の悪い過去”は見えにくくされやすい。「勝者こそが歴史」でもある。

⑤市民の声
最近では、学者以外の人びとの語りも「歴史の評価」に影響を持つようになってきている。被爆者の証言や移民の体験、女性史・マイノリティ史など、「当事者の視点から再構築される歴史」
オーラルヒストリー、パーソナルヒストリーの蓄積が再評価を生んでる

これら5つの要素が絡み合って、“時代ごとに更新され続けているもの”…
それが歴史です。



■絶対評価の限界―「創造性」は測れるのか?


次に、「絶対評価」について考えてみます。絶対評価は、一見とても公平でわかりやすい評価方法に見えます。あらかじめ決められた基準に達しているかどうか、それだけを見ればいいのですから。

そういった意味では、「攻略法がある」とも言えます。

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でも、ここでも忘れてはいけないのが、「絶対評価にも設計者がいる」ということです。絶対評価は「このテストで何点か?」という観点ですので、むしろ評価の基準を詳細に決めるのがこの評価方法の最も重要な点です。それはテストの設計者自身の能力が試される評価方法であることも意味します。

絶対評価というのはそもそも設計がかなり難しいとも言えましょう。特に問題になるのが、創造性を絶対評価しようとする場面です。

創造とは、何か新しいことを考えたり、これまでにない視点で物事をとらえたりする行為です。そこには「正解」や「基準」がないことも多く、だからこそ自由で面白いのです。

ところが絶対評価を導入すると、「この基準に合っていれば創造的」「合っていなければ創造的ではない」といった評価になってしまいます。そうなると、創造そのものが、評価基準という枠の中に閉じ込められてしまうことになるのです。「攻略法はテストの設計者の好み」ということです。

本来、創造とは「枠の外に出る」こと。「今ある評価の軸では測れない」ことをやるのが創造の面白さです。だから、相対評価と比べて、絶対評価と創造はどうしても相性が悪くなってしまうのです。

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ピカソやデュシャンのような芸術家たちは、まさにその「絶対性の枠組み」を破壊し、価値の再定義に挑みました。

伝統的な「美の基準」をくつがえし、「そもそもアートとは何か?」という根本的な問いを突きつけたのです。彼らの作品は、当初多くの人に理解されませんでした。なぜなら、「評価の土俵」そのものを変えてしまったからです。




■創造性をどう見つめ直すか


では、創造的な行為をどう受け止めればよいのでしょう?

ここで必要なのは、数値で評価するのではなく、
「見て感じる」「問いを持つ」「共に考える」
…といった柔らかな視点です。

評価軸を持ち込む前に、「これは何を伝えようとしているのか」「ここにどんな可能性があるのか」といった問いかけを通じて、意味をじっくり探っていく。そのような対話型のまなざしが、創造性と向き合うにはふさわしいのです。

ただし、誤解してはいけないのは、「独自性=完全な孤立」ではないということです。何かを生み出すには、自分の中の“引き出し”を増やすこと、つまり多くのものを見て、知って、比較しながら育てることも大切です。創造とは、ゼロからつくることではなく、多くを参照しながら自分なりに“ずらす”ことでもあります。

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ここで大事なのは、
創るときに使う比較と、評価するときに使われる比較はまったく違うということです。

前者は可能性を広げ、後者はそれを絞ってしまいがち。だからこそ、創作のプロセスには自由な比較が必要であり、評価の場ではその自由を奪わない態度が求められます。




■まとめ──比較社会で生きるために


ここまで見てきたように、評価の多くは相対評価を基本にしていて、絶対評価は一見公平に見えても創造性とは相性が悪く、その評価設計者の能力に依存するという課題があります。

そして私たちは、学校、社会、SNSなど、比較が前提となる世界の中で生きており、評価されることから逃れるのは難しい!だからこそ、あえて問いかけたいのです。

「この比較は、何を前提にしているのか?」
「その評価軸は、誰が作ったのか?」

そうした問いを持ち続けることが、自分なりの見方や考え方を育てる第一歩になるのだと思います。根拠なき比較は、比較そのものが価値を持ちません。

たとえ相対評価という条件の中で生きるとしても、私たちは「評価される側」としてだけでなく、「何を大切にするかを選ぶ側」としての意識を持てる。

そのとき初めて、創造に向けるまなざしが生まれ、評価に振り回されるのではなく、自分の目で意味を見出す力が育つのではないでしょうか。

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※文中の≪ちょっと深掘り≫コラムもよければ読んでみてくださいね。


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