【掌編小説】本棚の向こうのきみに#ピリカ文庫
(読了目安3分/約2,400字+α)
今年はまだ二月だというのに暖かい。
日が昇り、空が青々と輝き出すと、僕は居てもたってもいられず寝癖を直して家を出た。外は風も無く、梅も咲きそうな麗らかな朝だ。
近所の市立図書館は九時開館で、それを待つように入る。
まっすぐに日本の小説の文庫コーナーへ進むと、先週読んでいた本を手に取った。シリーズものの小説の第六巻だ。もう少しで読み終わる。
それを持ったまま、本棚の反対側へ回ると本を開いた。
だが正直、本の続きよりも時計の方が気になって仕方がない。多分、あともう少し。
静かな図書館の中に控え目な靴の音が響く。図書館の床はよく反響するので、そっと歩こうとしているのがわかる。
彼女は本棚を挟んだ向こう側に立ち止まると一冊の本を手に取った。
市立図書館の本棚は、中央の仕切りが低く、本と上の棚の隙間から向こう側が見える。ちょうど彼女の顔は、本棚に並ぶ背表紙に隠れているが、本を開いている手元が見える。僕の持っているシリーズの第七巻だ。彼女の読むスピードからすると今日で読み終わるだろう。
自然とマスクの下の頬が緩む。僕は一度深く息をすると、本に視線を落とし続きを読む。
彼女のことを知ったのは去年の秋頃だ。でも今までにも何度かすれ違っていたのだろう。週末になると時々、僕は図書館に本を借りに来ていた。
肌寒くなったある秋の日、次来た時に借りようと思っていた本が棚に無かった。仕方なく他の本を物色しようとふと視線を上げると、その場で立ったまま本を読んでいる彼女がいた。
まっすぐな黒髪に理知的な目元。至近距離で見つめてしまった僕に一切気がつかず、本の世界に没頭していた。彼女が手にしている本は、僕が借りようと思っていた本だった。
もしかしたら少しだけ読んで、手放すかもしれない。そうしたら借りよう。
僕は適当な本を手に取り本棚の反対側に回ると、彼女が手放すのを待った。彼女はお昼過ぎまで読むと、本を閉じてその場を去った。
姿が見えなくなるのを確認すると、先ほどまで彼女が読んでいた本を手に取る。
さっさと借りて、家に帰ってじっくり読もう。
何気なくパラパラとページをめくると、しおりが挟んであった。四葉のクローバーの押し花。明らかに手作りのものだった。
彼女のだ、と直感した。忘れたことに気付き、後で取りに来るかもしれない。このまま借りて帰ってしまっては困らせてしまう。
僕は結局本を戻し、他の本を借りて帰ることにした。
翌週の日曜日の朝、彼女は同じように小説のコーナーへ現れた。あの本を手に取り、しおりの先を読み始める。僕はその様子を本棚の反対側から確認し、同じように本を読んだ。
それから毎週日曜日の朝、僕は本棚を挟んで彼女と読書をしている。彼女とは本の趣味が合った。彼女が読んでいた本はどれも面白く、彼女の読み終わった本を読むことにしていた。
昼前に彼女は本を読み終わった。第七巻を棚に返し、第八巻を手に取ると、パラパラとページをめくる。そしてすぐに本を閉じると、腕時計を見た。ピンク色の可愛らしい革の時計だ。
本の山の向こうで少しだけ頭を傾げると、本を置いて帰って行った。
いつも、日曜日が待ち遠しかった。
話の続きが気になるのもある。だがそれ以上に彼女と同じ空間を、同じ物語を共有する時間が、僕の淡々とした暮らしを目映いくらいに輝かせてくれる。あの時間が永遠に続くなら、どんなに幸せだろう。
日曜日は自然と早朝に目が覚める。まだ薄暗い朝に湯を沸かしコーヒーを飲む。室内で軽く筋トレをしてシャワーをすると、洗い立ての服を着て朝ごはんを食べる。鏡の前で寝癖を直すと支度は万全だが、まだ八時過ぎだ。早すぎるが家にいても落ち着かない。僕はコートを羽織ると散歩がてら遠回りをして図書館に向かった。
春と勘違いしそうな陽気だった。図書館の中はひんやりとして、じっとしていると寒いのだが、日の当たるところではもうコートは要らない。
僕はコートを片手に土手を歩く。足元の緑も生き生きとしている。そろそろシロツメクサが咲く頃だ。彼女は四葉のクローバーを見つけにこのあたりも散策するのだろうか。
結局、いつものように図書館の前で開館を待ち、中へと入る。
いつもの小説の棚で今日は第七巻を手にする。本棚の反対側へ行き、本を開くと最初のページにしおりがあった。四葉のクローバーのしおり。彼女のだ。
動揺した。
本を戻しておくべきだろうか。いつも使っているしおりだ。忘れたことに気付いているはずだ。今日ここへ来たらはじめに第七巻を開くだろう。
だったら本は戻しておいて、しおりが回収されてから本を取ろうか。
いや、それも何だか気まずい。だったら今日は別の短編を読むか。
だが続きは気になる。
もうじき彼女が来る時間だ。
僕は迷った末、しおりを第八巻の最初のページに挟んだ。
わかっている。不自然だ。まだ見ていない本にしおりが挟んであるなんて。
だが彼女は先週、一度、第八巻を手に取った。その時挟んだ、と勘違いしてくれれば良いと思ったのだ。
静かな図書館に控え目な靴の音が響く。彼女はいつものように本棚の向こう側で立ち止まると、第八巻を手にする。そして、しおりの挟んである一ページ目で手が止まった。
僕は隠れるように息を止めていた。
彼女はしおりを手に取り、表、裏と眺めると、少しだけ屈む。彼女の大きな二重が、本棚の間から僕の顔を覗き込んだ。
「あの」
綺麗な声だった。
澄み切った鈴の音が、リン、と館内に響いたようだった。
マスクの上から口元を押さえ、恥ずかしそうに顔を赤らめる。そして小声で続けた。
「良かったら、しおり、使いませんか。わたし、同じしおりをたくさん持っているんです」
彼女はカバンの中から四、五枚のしおりを取り出して見せる。どれも形や大きさは違うものの、四葉のクローバーの押し花だ。
はじめて見た彼女の照れくさそうな笑顔は、とても可愛らしかった。
彼女は「良かったら」と言いながら、本棚の間からしおりを差し出す。
僕は頭を下げながら、春の温もりを感じるしおりを受け取った。
なんとピリカ様より、あかがm……じゃなくて、ピリカ文庫のご用命をいただきました!
テーマは「本棚」。
ホントに突然来るのですね……。大変光栄なお申し出です。ピリカ様のオファーには「はい」か「Yes」の二択しかありませんから、お返事をさせていただきつつ、ピリカ文庫を読み、怖れおののき、悩みまくりました。
こちらから勝手に応募するのと、依頼されて書くのでは重みが違います。悩み押し潰され、ひよこはつくねになりそうです。
ピリカ文庫をまだ読まれたことが無い方は上のリンクからどうぞ。なんかもう、キラッキラッしてます。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートをお願いします!サポートいただいた分は、クリエイティブでお返ししていきます。